サハリン州

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

テンプレート:基礎情報 ロシアの連邦構成主体 サハリン州テンプレート:Ru, テンプレート:En)は、ロシア連邦オーブラスチ)で連邦構成主体のひとつ。サハリン島(樺太島)とクリル諸島(千島列島)を管轄し、極東連邦管区に属する。州都はユジノサハリンスク。面積は8万7100km2、南北の広がりが約900km、人口は54万6695人(2002年)。

概要

宗谷海峡オホーツク海を挟んで日本北海道に接しており、日本との経済的な結びつきが強い。主な付属島嶼にモネロン島(日本名は海馬島)があり、1983年9月1日に発生した大韓航空機撃墜事件のあった舞台としても有名である。サハリン島の南部(南樺太)およびクリル諸島(千島列島)全域は、第二次世界大戦以前は日本領であった地域であった。日本がソビエト連邦に対して1918年にシベリア出兵をした際には北サハリンを占領して実効支配を続けていたが、1925年に日ソ国交樹立したのを期に日本軍が撤退し、ソ連統治下に戻った。

1945年8月、未だ有効期間中であった日ソ中立条約を破棄してソビエト連邦が侵攻した(樺太の戦い)。現在でもロシア連邦が実効支配している。そのうち、南クリル(南千島、「北方領土」)については、日本政府は日本固有の領土であるとして返還を強く求めており領有権を巡って係争となっている。その他日本が領有権を放棄した地域については日本政府は「ソ連ロシア条約に調印していないため国際法上は帰属未定」[1]との立場を取っている。なお、日本政府による積極的な返還要求が南千島のみであるのに対し、日本共産党は、樺太・千島交換条約によって合法的に日本の領土とされていた歴史的経緯を根拠に、北千島を含む千島列島全域の返還を主張すべきという立場を取っている。

島々

サハリン(樺太)

小クリル列島

ロシア語ではテンプレート:Ruと表記する。歯舞群島、色丹島

  • シコタン島(テンプレート:Ru)…日本名は色丹島。人口3222人(2004年1月1日現在、ロシア統計より)。
  • ハボマイ諸島(テンプレート:Ru)…日本名は歯舞群島。いずれの島も現在は一般人の定住のない無人島であるが、志発島に夏のみ少数のロシア漁民が移住する。また主な各島にはロシア沿岸警備隊が配置されている。
    • パローンスキー島(テンプレート:Ru)…日本名は多楽島。現在は無人島で、ロシア沿岸警備隊が常駐。
    • ゼリョーヌイ島(テンプレート:Ru)…日本名は志発島。ロシア沿岸警備隊が常駐。無人島であるが、夏になると昆布を採りに来る漁民が季節移住し、季節営業の食堂もあり活況を呈する。
    • ユーリ島…日本名は勇留島
    • アヌーチナ島…日本名は秋勇留島
    • タンフィーリエフ島…日本名は水晶島納沙布岬から珸瑤瑁(ごようまい)水道(ロシア名:ソビエツキー海峡テンプレート:Ru)を隔ててわずか7kmの距離。ロシア沿岸警備隊が常駐している。
    • シグナーリヌイ島(テンプレート:Ru=灯台島の意)…日本名は貝殻島。珸瑤瑁(ごようまい)水道(ロシア名 ソビエツキー海峡テンプレート:Ru)のほぼ中間地点。1957年に、当時ソ連KGBの一機関であったソ連国境警備隊が実力で占拠した。その時、日本は日米安全保障条約により米国によって防衛されることになっていたが、米軍は一切出動しなかった。この島の灯台は長らく点灯していなかったが、近年ロシア当局により修理された。しかしその後も点灯と消灯を繰り返している。この島と納沙布岬との中間にロシア側の主張する「国境線」があり、それを示すブイが設置されている。

大クリル列島

日本名では千島列島。国後島から占守島まで

その他の地形

半島

  • クリリオンスキー半島…日本名は能登呂半島。南の宗谷海峡に対しては、西側に位置する。
  • トニノ・アニフスキー半島…日本名は中知床半島。南の宗谷海峡に対しては、東側に位置する。
  • テルペニア半島…日本名は北知床半島。
  • シュミット半島

  • クリリオン岬…日本名は西能登呂岬。
  • アニワ岬…日本名は中知床岬。
  • テルペニア岬…日本名は北知床岬。
  • エリザベート岬…日本名は鵞小門(ガオト)岬。

  • アニワ湾…日本名は亜庭湾。
  • テルペニア湾…日本名は多来加湾。
  • サハリン湾

行政区画

管区・地区

管区・地区等とその人口。人口は2002年。「市町村」は行政中心の戦前の日本の市町村での所在。

管区 ロシア語 行政中心 旧市町村 総人口
ユジノサハリンスク テンプレート:Interlang ユジノサハリンスク 豊原市 サハリン島 182142
アレクサンドロフスク・サハリンスキー地区 テンプレート:Interlang アレクサンドロフスク・サハリンスキー (北樺太) サハリン島 17509
アニワ都市管区 テンプレート:Interlang アニワ 留多加町 サハリン島 15275
ドリンスク都市管区 テンプレート:Interlang ドリンスク 落合町 サハリン島 28268
コルサコフ都市管区 テンプレート:Interlang コルサコフ 大泊町 サハリン島 17509
クリル都市管区 テンプレート:Interlang クリリスク 紗那村 択捉島得撫島新知島 7104
マカロフ都市管区 テンプレート:Interlang マカロフ 知取町 サハリン島 9802
ネベリスク自治地区 テンプレート:Interlang ネベリスク 本斗町 サハリン島 26873
都市管区ノグリキ テンプレート:Interlang ノグリキ (北樺太) サハリン島 13594
オハ都市管区 テンプレート:Interlang オハ (北樺太) サハリン島 33533
ポロナイスク都市管区 テンプレート:Interlang ポロナイスク 敷香町 サハリン島 28859
セヴェロ(北)クリル都市管区 テンプレート:Interlang セベロクリリスク 柏原 占守島 - 計吐夷島 2595
スミルヌイフ都市管区 テンプレート:Interlang スミルヌイフ 敷香町(気屯 サハリン島 1504
トマリ都市管区 テンプレート:Interlang トマリ 泊居町 サハリン島 11669
ツイモフスコエ都市管区 テンプレート:Interlang ツイモフスコエ (北樺太) サハリン島 19109
ウグレゴルスク自治地区 テンプレート:Interlang ウグレゴルスク 恵須取町 サハリン島 30208
ホルムスク都市管区 テンプレート:Interlang ホルムスク 真岡町 サハリン島 49848
ユジノ(南)クリル都市管区 テンプレート:Interlang ユジノクリリスク 古釜布 国後島色丹島歯舞諸島 9702
546481

主な都市・村落

サハリン島(樺太)

南クリル管区

テンプレート:Main

  • マロークリリスク(テンプレート:Ru=「小千島の町」の意)とクラバザヴォーツク(テンプレート:Ru = 「カニ工場の町」の意)…色丹島。日本名は斜古丹と穴澗。シコタン島(テンプレート:Ru)(日本名 色丹島)の2大集落。中心地はマロークリリスク。「小千島」とは、根室半島に連なる歯舞群島と色丹島の列島を、ロシア側は「小千島列島」(テンプレート:Ru)と呼んでいることに由来する。穴澗には日本の拿捕漁船乗組員の収容所がある。1945年8月ソビエト連邦によって占領され、連邦崩壊後は、それを継承したロシア連邦占領実効支配している。面積255.12km2。人口3195人(2005年)。
  • ゴロヴニノ(テンプレート:Ru)…国後島。日本名は泊。ロシア連邦による占領実効支配が続いている。人口は350人(1992年)。ゴロヴニノとは「ゴロヴニンの町」という意味である。ゴロヴニンとは、日本では一般には「ゴローニン」として知られている人物である。詳細はゴローニン事件を参照されたい。
  • ユジノクリリスク(テンプレート:Ru=「南千島の町」の意)…戦後ソ連によって新たな中心都市が、ソ連軍侵攻前の漁村であった古釜布(ふるかまっぷ)を望むほぼ無人であった高台に建設された。人口6300人(1992年)。現在は中心地の古釜布を除き廃村状態。

クリル管区

テンプレート:Main

  • ブレヴェスニクテンプレート:Ru)…択捉島。日本名は天寧。6,500人(1992年)が住むのみで、かつての中心地である留別(クイビシェフ テンプレート:Ru)や内保(ドブロエ(テンプレート:Ru)等、他の集落は廃村状態。島唯一の軍民併用空港であるブレヴェスニク空港(旧天寧飛行場)があり、サハリンのユジノサハリンスク空港との間に週3~4便の定期便があるが、有視界飛行が前提のため欠航が多い。このため、隣接する紗那(クリリスク)郊外に新飛行場が建設されており、完成時には廃港されるとの観測もある。
  • クリリスクテンプレート:Ru=「千島の町」の意)…択捉島。日本名は紗那。人口2700人(1992年)。漁業資源が豊富なこの海域の漁業活動の中心地となっており、町が面するナヨカ湾(キトブイ湾(テンプレート:Ru))には、外国からの船も含む大型の漁船が補給のため来訪する。なお、中心地・紗那から北東約14kmの別飛(レイドヴォ(テンプレート:Ru)には、いま択捉島の産業を支えているギデロストロイ社の大規模な水産加工工場が立地し産業の中心地である。人口は1700人(1992年)。隣接する留別(ピオネール(テンプレート:Ru))、蘂取(スラブノイェ(テンプレート:Ru))には道路が通じているが、いずれも舗装はされておらず砂利道である。留別村に向かう道路は、島唯一のブレヴェスニク空港(旧天寧飛行場)(軍民共用)に向かう道路でもあり、ある程度の整備はされているが、蘂取に至る道路はソ連崩壊前後に廃村となり、ロシアが設定した自然保護区域に属していることもあって、一般の通行に供しうる整備された道路は廃道となった。クリリスク港はサハリンコルサコフ港と週2便の船で結ばれているが、2006年現在、島側の港湾整備が進んでいないため、を利用した物資の積み卸しや乗客の移動が行われている。また、2006年から始まった「クリル開発計画」で、クリリスク近郊にイトゥルップ空港を2008年に着工し、2014年に竣工予定。全天候型の空港であり、完成すれば、島の住民の悩みであるユジノサハリンスクへの定期便の欠航率が劇的に低下して、物資や観光客の輸送に利便性が大幅に向上することが期待されている。
  • スラブノエ(テンプレート:Ru)…択捉島。日本名は蘂取。現在は村域のほとんどがロシア当局によって自然保護区に指定されており、地元のロシア人さえも立入を制限された地域である。Google Earthの解析[2]によれば、紗那から蘂取までの道路は、(途中のも架かっていないような悪路ではあるが)戦前に日本が作ったものが残っており、走行する自動車も認められる。また、蘂取には漁業施設と思われる建物が数軒認められる。

北クリル管区

住民

テンプレート:年[3] テンプレート:年[4] テンプレート:年[5] テンプレート:年[6] テンプレート:年[7] テンプレート:年[8]
ロシア人 77.7 % 80.4 % 81.7 % 81.6 % 84.3 % 86.5 %
朝鮮人 テンプレート:06.5 % テンプレート:05.7 % テンプレート:05.3 % テンプレート:05.0 % テンプレート:05.4 % テンプレート:05.3 %
ウクライナ人 テンプレート:07.4 % テンプレート:06.3 % テンプレート:06.1 % テンプレート:06.5 % テンプレート:04.0 % テンプレート:02.6 %
タタール人 テンプレート:01.8 % テンプレート:01.8 % テンプレート:01.7 % テンプレート:01.5 % テンプレート:01.25 % テンプレート:01.0 %
ベラルーシ人 テンプレート:02.1 % テンプレート:01.9 % テンプレート:01.7 % テンプレート:01.6 % テンプレート:01.0 % テンプレート:00.6 %
モルドヴィン人 テンプレート:01.7 % テンプレート:01.3 % テンプレート:01.0 % テンプレート:0 - テンプレート:0 - テンプレート:0 -

2010年の各民族の人口

交通

鉄道の概要

ファイル:Sakhalin Train.jpg
2007年のオハ─ノグリキ狭軌鉄道線廃止でロシア国内の最東端鉄道駅となったロシア鉄道ノグリキ駅構内(2009年

現状の詳細については、サハリンの鉄道の項目を参照

戦前、南樺太には日本の建設した鉄道があったが、1945年ソビエト連邦(ソ連)による南サハリン(南樺太)の実効支配にともなう1946年2月2日ソ連人民委員会議令263号に基づき、1946年4月1日、ソ連国鉄を運営するソ連運輸通信人民委員会および同人民委員会を改組したソ連運輸通信省が編入した。

以後、ソ連運輸通信省南サハリン鉄道局および極東鉄道局、ロシア連邦運輸通信省サハリン鉄道局、ロシア鉄道サハリン鉄道支社を経て、現在はロシア鉄道極東鉄道支社が所管している。全線非電化で軌間は日本国鉄と同じ狭軌(1067mm)。現在の路線総延長は804.9kmである。

1975年にかけてサハリン北部のノグリキまで路線が延伸された。1973年ワニノ─ホルムスク間鉄道連絡船就航で、車両航走を介して、ターミナル埠頭への操車場が設けられたホルムスク=ソルチローヴォチヌイ駅(旧ポリャーコヴォ)がバイカル・アムール鉄道(バム鉄道)と接続され、かつてのコルサコフ中心の貨物輸送体系から、サハリン島最狭部のアルセンチェフカ─イリインスク間を結ぶ新線(1971年開通)を経由してホルムスクに集約する輸送体系への移行を果たした。

ソ連崩壊にともなう1990年代の経済混乱期には、保守修繕予算不足から、かつて幹線だった旧豊真線など輸送需要が小さい閑散区間の廃止が行われ、部品不足で休車が相次ぐなどした。この間、JR東日本で廃車になったキハ58系気動車を無償譲受して車両不足を凌いだ時期があった。

しかし予算不足の状況が解消した2000年以降は車両や路線の再整備が始まり、2003年からは施設・路盤改良工事に合わせ、ソ連国鉄編入時からの課題であった本土規格の広軌(1520mm)への軌間変更工事も始まった。2012年夏には改軌区間が400kmを超え、早ければ2016年にも本線区間の広軌化が終了。2020年以降には本土と同じ広軌車両による運行が行われる見通しである。

2006年に全線の沿線における光ファイバー通信網整備が完了しており、2012年には東海岸のユジノサハリンスク─ソコル間とユジノサハリンスク─ノヴォデレヴェンスカヤ間、ソコル─ブイコフ間で運行されるディーゼル旅客列車内での公衆無線LANWi-Fiサービスも始まった。

列車はロシア国内や欧米と同じく貨物が主体で、ユジノサハリンスク─ノグリキ間では日本の東海道本線の約2倍にあたる1列車3000トンまでの重量貨物列車の運行が可能である。旅客列車の運行本数は日本統治時代から通して少なく、支線や閑散線区では季節運行とされている区間もある。日本時代と異なって東海岸南端のコルサコフ─フリストフォロフカ間は末端閑散線区と化して途中の駅・乗降場はすべて廃止されており、西海岸南端のシャフタ=サハリンスカヤ─ホルムスク=ソルチローヴォチヌイ間も1997年以降、旅客運行が休止されている。

サハリン島内にはこのほか、1934年運行開始のオハ─モスカルヴォ鉄道線および1925年運行開始、1953年全通のオハ─ノグリキ狭軌鉄道線が存在したが、自動車交通への転移でオハ─モスカルヴォ鉄道線は1980年代に、オハ─ノグリキ狭軌鉄道線は2007年にそれぞれ廃止されている。

道路

サハリンでは長年鉄道が主な交通手段となって道路の舗装率は低かったが、自家用車の普及も相まって2000年代後半から整備が急ピッチで進められ、2012年にはサハリン島を南北に縦貫する幹線道の連邦政府道路Р487号線(ユジノサハリンスク─アレクサンドロフ=サハリンスキー、総延長約800km)のうち、ユジノサハリンスクからポロナイスクまでの約300kmで舗装が完了した。Р487号線について州政府は2014年までにスミルヌィフまでの舗装工事を完了させる方針である[9]

一方サハリン島西岸では舗装道路は少なく、北方四島を含む千島列島には舗装道路がまだないのが実情で、州政府では州内の舗装工事事業者を総動員して幹線道路を中心に舗装化を促進することにしている[9]

船舶

ファイル:Холмский порт.JPG
サハリン州最大の国際貿易港であるホルムスク海洋貿易港
ファイル:Сахалинский Западный морской порт.jpg
近代的荷役設備が整備されているホルムスクのサハリン西海洋港

サハリン島では、日本統治時代の大泊(コルサコフ)に代わり、戦前は漁港だった西岸のホルムスク(真岡)が本土連絡の基地となっており、大規模な港湾設備が整備されている。

旧真岡港域に設けられたホルムスク海洋貿易港Холмский морской торговый порт)はサハリン州最大の港で、ホルムスク=ソルチローヴォチヌイ駅(旧手井駅)のヤードに直結した鉄道桟橋がある埠頭は大型貨物ガントリークレーン14基を備え、2011年の取扱貨物量は210万5100トン。サハリン島内の鉄道とバイカル・アムール鉄道を連絡するワニノ─ホルムスク鉄道連絡船のほか、小樽─ホルムスク─ワニノ間の日ロ定期フェリー航路が就航している。

またホルムスク=セヴェルヌイ駅(旧北真岡駅)に隣接して設けられたサハリン西海洋港Сахалинский Западный морской порт)はソ連時代に漁業船団基地だった港で、一時廃港状態だったものの、2002年以降サハリン2プロジェクトのサハリン側の荷役基地として大規模な整備が進められ、現在は最新の荷役設備を備えた大型貨物港としてサハリンプロジェクトを支えている。

北海道からサハリン島

1995年5月から、北海道・稚内港とサハリン・コルサコフ港との間に、「平成版稚泊航路」が運航されるようになった。当初はロシア船を利用して定期フェリーが就航したが、1997年、1998年は、旅行会社のチャーター船による運航となった。1999年から日本船籍のアインス宗谷号が就航している(冬季を除き週2便の運航)。

北海道本島から択捉島

ソ連軍侵攻後は、北海道本島から択捉島への定期公共交通は、船便・航空便ともに存在しない。北海道本島から島に直接渡る場合は「ビザなし交流」に参加し、チャーター船で根室港から出発、クリリスク(紗那)に入港する。「ビザなし交流」の場合であっても、チャーター船がロシアが主張する領海に入ると、国際航路を通航する船舶の慣例によってロシア国旗をマストに掲げ、また、クリリスクに到着後は、ロシアの税関当局による入域審査を受ける。

なお、このチャーター船の利用は、日ロ両政府の合意により、旧島民、その子孫、ならびに返還団体から推薦された者等に限定されている。これは日本側がロシア領であることを認めたくないため、ロシア側の正式な手続きを取らないことを提案し、ロシア側がそれを受け入れているからである。実際には日本政府に申し出れば、研修を受けた後、返還団体の推薦を得ることが出来る。つまり希望すれば誰でも「ビザなし交流」に参加できる。

サハリン島から択捉島

コルサコフ大泊)港からは、サハリンクリル海運の貨客船「イゴール・ファルハトディノフ」号が週2便出発している。この船は、月曜日にコルサコフを出帆、火曜日に択捉島、水曜日に色丹島ならびに国後島に寄港、木曜日にコルサコフ帰着、金曜日にコルサコフ発、土曜日に国後島と色丹島、日曜日に択捉島に寄港、月曜日にコルサコフに戻るというスケジュールで、3月~12月まで運航される。

北海道本島から国後島

ソ連軍侵攻後は、北海道本島から国後島への定期公共交通は、船便・航空便ともに存在しない。北海道本島から島に直接渡る場合は、「ビザなし交流」に参加し、チャーター船で根室港から出発、古釜布(ユジノクリリスク)に入港する。「ビザなし交流」の場合であっても、チャーター船がロシアが主張する領海に入ると、国際航路を通航する船舶の慣例によってロシア国旗をマストに掲げ、また、古釜布に到着後は、ロシアの税関当局による入域審査を受ける。なお、このチャーター船の利用には、前述の制限があり、自由に利用することができないため、南サハリン経由で渡ることとなる。

航空機

サハリン島から択捉島

現在の択捉島にアクセスする定期公共交通は、南サハリン(南樺太)を拠点に運航されている。ユジノサハリンスク(豊原)ホムトヴォ空港(大沢飛行場)からはサハリン航空が週4便(月、水、木、金、いずれも午前発)、択捉島留別村のブレヴェスニク空港(旧天寧飛行場)まで就航している。しかし、有視界飛行であるため、霧がかかりやすい夏季には欠航となる確率が相当に高い。また、この空港は、戦前の日本の海軍飛行場を改装したロシア軍基地と共用になっており、中心都市のクリリスクから砂利道を自動車で片道2時間半かかる不便な場所にある。

サハリン島から国後島

現在の国後島にアクセスする定期公共交通は、南サハリン(南樺太)を拠点に運航されている。ユジノサハリンスク(豊原)ホムトヴォ空港(大沢飛行場)からはサハリン航空が週4便(月、木、土、日、いずれも午後発)、国後島メンデレエフ空港まで就航している。しかし、有視界飛行であるため、霧がかかりやすい夏季は欠航になりやすい。

北方四島への渡航

一般の日本人・外国人が北方四島を訪問するには、ロシアのビザを取得の上でまずサハリンに渡り、ユジノサハリンスクにて北方四島への入境許可証を取得後、サハリンから空路または海路でアクセスすることになる。この方法は、北方領土のロシア領有権を認める行為であるとして竹下改造内閣当時の1989年以来自粛が求められているが、法的強制力は無い。なお、それ以前は個人旅行者が北方領土を含むサハリン州に旅行することは困難であった。

ビザなし交流

近年、樺太に住んでいた元住民およびその親類や政府関係者、一般関係者などの日本人によるサハリンへのビザなし訪問を実現する運動があり、認められるようになった。

歴史

テンプレート:Seealso 第二次世界大戦中は日ソ中立条約により戦闘地域にはならなかったが、大戦終結直前の1945年8月9日にソ連が条約を破棄して日本に宣戦布告、侵攻し、南樺太と千島列島の全域を占領した。ソ連は翌1946年に併合を一方的に宣言し南サハリン州を設置、1947年これらの地域をサハリン州に編入した。

  • 1945年9月17日、ソビエト連邦により南サハリン・クリル列島住民管理局設置。
  • 1946年2月2日、ソビエト連邦、南樺太及び千島列島(北方領土を含む)の領有を宣言し、南サハリン州設置。
  • 1947年1月2日サハリン州設置。南サハリン州はサハリン州へ編入される。

ソ連はサハリン全域を自国のものとするにあたり、日本の南樺太統治の中心であった豊原とその周辺を併せユジノサハリンスク市と改称し、これを州都としてサハリン州を成立させた。その後、全域にロシア人の入植が進み、現在ではかつての日本人の居住地も完全にロシア化されている。

ソ連末期、ミハイル・ゴルバチョフ政権による緊張緩和により冷戦が終結すると、1989年からサハリン州への外国人が立ち入りが許可されたため、『薬師丸ひろ子が見た! サハリン(樺太)縦断1000キロ』などのテレビ番組が放送され、それで今まで不明であったサハリンの様子が明らかになった。1991年ソ連8月クーデターでは、ソ連の各メディア報道が首都モスクワでの事態について混乱する中、サハリン州政府や住民は日本のNHKの衛星放送を活用して情報を得た事もあった。

さらに、同年末のソ連崩壊に伴いロシア連邦がサハリン州の支配権を継承した後も日本、特に北海道とサハリンの間の交流は活発化し、稚内港からは国際フェリーが、札幌及び函館からは航空機が運航されるようになっている。多くのロシア漁船が稚内港根室港をはじめとする北海道(一部は本州(東北地方北陸地方北近畿山陰地方などの本州の日本海側)にも及ぶ)の漁港に入港し、海産物を水揚げするようになった(具体例:日本国内のスーパーマーケットなどでよく見かける「ロシア産」と産地表記のラベルが貼ってあるカニなど)のもロシア連邦成立以降に顕著になったことである。サハリン州との交流の活発化により、稚内市内や根室市内にはロシア語の標識や表記が増えている。

また、サハリンにおける油田ガス田開発(サハリンプロジェクト)の進展により、石油メジャー、日本の大手商社が開発に参加。2004年、採掘された最初の石油が日本に輸出された。2001年にはユジノサハリンスクに日本の総領事館が設置され、交流の促進に寄与している。日本とサハリン州の関係はさらに緊密になるものと考えられるが、今なお解決されていない領土問題が暗い影を落しているのも不幸な事実であり、サハリン州の歴代知事は「クリル諸島南部の日本引き渡し」には絶対反対の立場を続けている。

ファイル:Dmitry Medvedev in Yuzhno-Sakhalink 18 February 2009-2.jpg
麻生太郎がサハリンを訪問したときの様子。奥にはLNGタンカーも見える。人物は左から、ファン・デル・フーフェーン(蘭)、ドミトリー・メドヴェージェフ、アンドルー王子(英)、麻生太郎

2009年2月、州内のコルサコフ近郊で行われたサハリンプロジェクトの一つ、サハリン2のLNG工場稼働式典に合わせ、日本の首相としてはかつての領有時代を含めて初めて麻生太郎がサハリン州を訪問し、ロシアのドミトリー・メドベージェフ大統領と会談した。日本政府の公式見解では「所属未定地」となっている南樺太(サハリン南部)での会談には一部の有識者から批判が提起され[10]、日本では鳩山邦夫総務相が国会答弁で「正直、実に微妙な問題だなと思う」と感想を述べたが[11]、前述のように既にユジノサハリンスクに総領事館が置かれ、ロシアの実効支配を前提とした日常業務を行っている事もあり、訪問への反対運動は広がりを見せなかった。

一方、千島列島の択捉島について、ソ連崩壊後に続いたロシアの経済不振と1994年に発生した北海道東方沖地震の影響から、人口は減少傾向にあった。

だが、ソ連崩壊後、ユダヤ系ロシア人のアレクサンドル・ベルホフスキーが創業した水産加工のギドロストロイ (テンプレート:Ru) 社(本社はユジノサハリンスク)が、周辺の豊富な水産資源と北米の冷凍食品市場とを結びつけて、めざましい成長を示し、択捉島の経済基盤は強固なものとなった。同社は現在、別飛(ロシア名 レイドヴォ テンプレート:Ru)に日産400tの加工が可能な大工場を持つほか、蓄積した豊富な資本を元に択捉銀行 (テンプレート:Ru) を設立、金融業にも乗り出した。しかし、日本政府が領土問題がらみで規制を行っているため、日本企業はこのビジネスチャンスに公式には協力できていない。

また、北部の茂世路岳(クドリャブイ火山)は、その火山ガスに、レアメタルであるレニウムを大量に含有している。このため、ロシア科学アカデミー科学者たちは、レニウムの世界有数の産出源になり得る火山として茂世路岳を見なしている。

インフラ整備では、2015年を目標年次とするロシア政府のクリル開発計画によって、中心都市のクリリスク(紗那)の近くに新空港が建設中である。

北方領土に投資をさせず、経済的に困窮させて日本への返還を誘発しようという日本政府の戦略は、少なくとも択捉島に関する限り、完全に行き詰っているといってよい。

また、国後島ではソ連崩壊後に続いた経済不振と1994年に発生した北海道東方沖地震の影響から、人口は減少傾向にあったが、近年のめざましいロシアの経済成長に伴い、この島にも人口増に向けたテコ入れが始まっている。2015年を目標年次とするロシア政府のクリル開発計画では、立ち遅れているインフラ整備などに重点的な投資がなされる予定である。

ユージノクリリスク(古釜布)に、日本政府のロシアへの援助として建設された日本人とロシア人の友好の家(通称 ムネオハウス)がある。

国後島では、日本のテレビ放送[12](カラー方式はNTSC)が映り、一部の住民が日本のテレビを情報源にしている。大部分の住民は、ロシアのテレビ(カラー方式はSECAM)を視聴している。北海道放送(HBC)では、一時、北方領土の住民向けに天気予報の画面にロシア語のテロップを入れていた。

漁船銃撃・拿捕事件

2006年8月16日、水晶島付近の海域で操業中の、北海道根室市花咲港所属のカニかご漁船がロシア国境警備局の警備艇により追跡され、貝殻島付近で銃撃・拿捕され、乗組員1人が死亡する事件が発生した。日本政府はロシア当局に対し、北方領土は日本固有の領土であるとの前提に立って「日本領海内で起こった銃撃・拿捕事件であり、到底容認できない」と抗議した。しかし、この海域はロシア側の実効支配海域であるため、ロシア側にとっては国境侵犯密漁事件であり、日本側の「この海域は日本領海」とする抗議とは根本的な点で相容れないために、今回の問題をさらに複雑にした。

この付近のロシア実効支配海域では、コンブや許可された魚については、許可を得て入漁料を支払った漁船についてのみ認められていたが、無許可操業は日本の農林水産省や北海道当局も禁止しており、またカニ漁に関しては日本側には一切認められていなかった。北海道庁は近く付近の漁協に対して、周辺海域でのカニ漁を行わないよう指導しようとしていた矢先の事件であった。今回の漁船はロシア側海域での一切の漁を認められていなかったうえに、カニ漁を行っていた可能性が高く、実際に船内からは1.1トンのカニが残留していたとロシア側は発表した。

乗組員は国後島の古釜布(ユージノクリリスク)に連行され、日本人とロシア人の友好の家(いわゆるムネオハウス)に拘束された。また、死亡した乗組員の遺体は8月19日海上保安庁の船によって日本に引き取られた。8月30日には船長以外の2乗組員が解放され、海上で北海道庁の船に引き渡されたが、船長は9月4日にロシア側の検察により国境侵犯と密漁の罪で起訴され罰金刑が確定し、約50万ルーブル罰金賠償金を支払ったうえ、10月3日に釈放されビザなし交流の船で根室に帰還した。

帰国後、船長は密漁について責任逃れの発言をしていたが、その後、根室海上保安庁の捜査に対して、違反操業を認め、2007年3月、道海面漁業調整規則違反の疑いで書類送検された。

マスコミ

  • ユジノサハリンスク・ラジオ放送局(旧日本放送協会豊原放送局)

出身者

スポーツ

標準時

サハリン(樺太)

ウラジオストク時間を使用している。時差はUTC+11時間で、夏時間はない。(2011年3月までは標準時がUTC+10、夏時間がUTC+11であった)

クリル(千島)

マガダン時間を使用している。時差はUTC+12時間で、夏時間はない。(2011年3月までは標準時がUTC+11、夏時間がUTC+12であった)

脚注

  1. これに関して、国際連合は正式にロシア領との見解を示している。
  2. 2006年に新バージョンとなり、写真の半分以上が高解像度画像となっている。
  3. http://demoscope.ru/weekly/ssp/rus_nac_59.php?reg=60
  4. http://demoscope.ru/weekly/ssp/rus_nac_70.php?reg=87
  5. http://demoscope.ru/weekly/ssp/rus_nac_79.php?reg=86
  6. http://demoscope.ru/weekly/ssp/rus_nac_89.php?reg=73
  7. http://www.perepis2002.ru/index.html?id=17
  8. Информационные материалы об окончательных итогах Всероссийской переписи населения 2010 года
  9. 9.0 9.1 "На Сахалине в 2012 году строится рекордное количество асфальтобетонных дорог - около 60 км" イタル・タス通信、2012年9月24日。
  10. 産経新聞2009年2月11日付、首相の「樺太」訪問、誤ったシグナル送ることにならないか
  11. 首相のサハリン訪問後の記帳、総務相「微妙な問題」[1]
  12. テレビ北海道(TVh)は映らない。対岸の根室地域では2011年の地上デジタル化以降に同局の中継局が設置される。

関連項目

テンプレート:Sister

外部リンク

テンプレート:Navbox テンプレート:北方領土におけるロシア側の行政区分