サクラショウリ

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テンプレート:Infobox サクラショウリとは日本競走馬である。名種牡馬パーソロンが送り出した初めての牡馬クラシックホースであり、おもな勝ち鞍に1978年東京優駿(日本ダービー)1979年宝塚記念があるほか、1978年優駿賞最優秀4歳牡馬を受賞した。種牡馬としてもサクラスターオーなどを出した。主戦騎手は小島太

  • 馬齢については原則旧表記(数え年)とする。

戦績

デビュー4戦目に勝ち上がり、朝日杯3歳ステークス3着で3歳時を終えた。

4歳時は京成杯3着・東京4歳ステークス1着・弥生賞2着・皐月賞3着と勝ち切ることは少なかったものの常に好走を続ける。そして臨んだ日本ダービーでは2番人気となり、アグネスホープを半馬身差抑えて勝利した[1]。秋になってセントライト記念1着・京都新聞杯2着で挑んだ菊花賞では、単枠指定の1番人気に推されたが、インターグシケンの5着に敗れ、クラシックを終えた。暮れの有馬記念も5着。

古馬になってからはアメリカジョッキークラブカップ目黒記念宝塚記念に勝つなど活躍。しかし秋になってからは精彩を欠き、着順こそ悪くないものの勝ち馬に離されるレースが続く。6歳のアメリカジョッキークラブカップも4着に完敗。さらに続く目黒記念を大敗、これを契機に引退した。

通算成績は24戦8勝。掲示板を外したのは5歳時の有馬記念と引退レースとなった目黒記念のみと、負けたレースでも常に好走を続けた。

引退後

引退後は種牡馬となり、二冠馬サクラスターオーやサムソンビッグきさらぎ賞)、サクラトモエオー(ジュニアカップ)、アスカクラウン(ダイヤモンドステークス2着)らを輩出したが気性の悪い産駒が多く、全体的には低調だった。サクラスターオーは父が獲れなかった皐月賞と菊花賞を勝ち、親子で3冠を獲得する形になっている。

代表産駒であるサクラスターオーがレース中のアクシデントで早逝してしまったため、同じ父親を持つメジロアサマメジロティターンを、シンボリルドルフトウカイテイオーを輩出しているが、本馬は最後まで後継種牡馬には恵まれなかった。

1995年には種牡馬からも引退。新和牧場で余生を送っていたが、1999年に老衰のため死亡した。

おもな産駒

母の父としてのおもな産駒

血統

サクラショウリ血統トウルビヨン系 / Avena、Choclo 4×4=12.50%、Tourbillon 5×5=6.25%

* パーソロン
Partholon
1960 鹿毛
Milesian
1953 鹿毛
My Babu Djebel
Perfume
Oatflake Coup de Lyon
Avena
Paleo
1953 鹿毛
Pharis Pharos
Carissima
Calonice Abjer
Coronis

* シリネラ
Shirinella
1968 芦毛
* フォルティノ
Fortino
1959 芦毛
Grey Sovereign Nasrullah
Kong
Ranavalo Relic
Navarra
Shirini
1961 青毛
Tehran Bois Roussel
Stafaralla
Confection Fun Fair
Choclo F-No.22-a

脚注

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外部リンク

テンプレート:JRA賞最優秀3歳牡馬 テンプレート:東京優駿勝ち馬 テンプレート:宝塚記念勝ち馬

テンプレート:Keiba-stub
  1. この勝利はシンボリ牧場生産馬初の東京優駿(日本ダービー)制覇となり、2着のアグネスホープもシンボリ牧場生産馬だった。