ゲーリー・リネカー

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テンプレート:サッカー選手 ゲーリー・ウィンストン・リネカー OBE(Gary Winston Lineker OBE, 1960年11月30日 - )は、イングランドレスター出身の元イングランド代表サッカー選手。ポジションはフォワード。ガリー・リネカー、ギャリー・リネカーと表記されることも多い。

略歴

青果商の息子として生まれ、1974年に地元のクラブチーム・レスター・シティに入団。1984年5月26日スコットランド戦にてイングランド代表に初招集された。1986年ワールドカップ・メキシコ大会では直前に手首をケガしギプスをつけた状態で出場、一次リーグ最終戦のポーランド戦で前半だけでハットトリックを達成するなど6得点を挙げて得点王に輝き、1990年ワールドカップ・イタリア大会でも4得点を挙げ、その大会以降はブライアン・ロブソンの後を継ぎ主将をつとめた。

イングランド代表通算歴代2位の48得点で迎えた1992年5月17日に行われたブラジルとの親善試合では自ら得たPKを外し、歴代1位のボビー・チャールトンの代表49得点に並ぶことはできなかった。直後に行われた欧州選手権でも得点を記録できないままにイングランド代表から引退した。イングランド代表通算80キャップ48得点。ワールドカップ通算12試合出場10得点。現役通算333得点。

1984-85シーズンはレスター・シティで24得点、1985-86シーズンはエバートンで30得点、1989-90シーズンはトッテナムで24得点と得点王を3度獲得。全て異なるクラブでの記録であった。

1993年Jリーグ開幕時に名古屋グランパスエイトに移籍。当時のJリーグ最高年俸(3億円)だった。しかし、Jリーグでは周囲が期待するほどの活躍ができないまま2年目の1994年シーズン終了後をもって現役を引退した(リーグ戦通算18試合出場4得点)[1]

20年間の現役生活において一度もレッドカードはおろかイエローカードすらもらったことがなく、1990年の「FIFAフェアプレー賞」を受賞している。

1999年ワールドサッカー誌の20世紀の偉大なサッカー選手100人で36位に選出された。

2002年には古巣のレスター・シティが経営破綻した際には、私財を提供し救い、翌2003年にはイングランドサッカー栄誉の殿堂 (English Football Hall of Fame)入りを果たした。

現在はイギリス・BBCのサッカー番組「Match of the Day (en:Wikipedia)」(1964年から続くサッカーのニュース番組)の司会を務める他、新聞などのコメンテーターとして活躍中。洒脱な語り口と紳士的な人柄から同国民に大変人気があるテンプレート:要出典範囲

所属クラブ

個人成績

テンプレート:サッカー選手国内成績表 top テンプレート:サッカー選手国内成績表 th |- |1978-79||レスター・シティ||||FL2部||7||1|||||||||||| |- |1979-80||レスター・シティ||||FL2部||19||3|||||||||||| |- |1980-81||レスター・シティ||||FL1部||9||2|||||||||||| |- |1981-82||レスター・シティ||||FL2部||39||17|||||||||||| |- |1982-83||レスター・シティ||||FL2部||40||26|||||||||||| |- |1983-84||レスター・シティ||||FL1部||39||22|||||||||||| |- |1984-85||レスター・シティ||||FL1部||41||24|||||||||||| |- |1985-86||エヴァートン||||FL1部||41||30|||||||||||| テンプレート:サッカー選手国内成績表 th |- |1986-87||バルセロナ||||プリメーラ||37||22|||||||||||| |- |1987-88||バルセロナ||||プリメーラ||36||16|||||||||||| |- |1988-89||バルセロナ||||プリメーラ||26||6|||||||||||| テンプレート:サッカー選手国内成績表 th |- |1989-90||トッテナム||||FL1部||38||24|||||||||||| |- |1990-91||トッテナム||||FL1部||32||15|||||||||||| |- |1991-92||トッテナム||||FL1部||35||28|||||||||||| テンプレート:サッカー選手国内成績表 th |- |1993||名古屋||-||J||7||1|||||||||||| |- |1994||名古屋||-||J||11||3|||||||||||| テンプレート:サッカー選手国内成績表 通算始235||145|||||||||||| テンプレート:サッカー選手国内成績表 通算行105||47|||||||||||| テンプレート:サッカー選手国内成績表 通算行99||44|||||||||||| テンプレート:サッカー選手国内成績表 通算行18||4|||||||||||| テンプレート:サッカー選手国内成績表 通算終457||240|||||||||||| |}

脚注

  1. 後に2006 FIFAワールドカップイングランド代表の主将であったベッカムが、翌年アメリカのクラブチームに移籍する際には、自身の日本でのキャリアになぞらえて、テンプレート:要出典範囲

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