ケベック州

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テンプレート:基礎情報 カナダの州

ケベック州テンプレート:Lang-fr-shortテンプレート:IPA-fr ケベック。テンプレート:Lang-en-shortテンプレート:IPA-en )は、カナダ東部のの1つである。公式の綴りはフランス語公用語)、英語ともにアキュート・アクセントの付いたQuébecである。略語QC、Que.またはPQProvince du Québecの略、現在はあまり用いない)。カナダ国内では唯一、フランス語のみを公用語に定めている。

総面積1,542,056平方キロ[1]、人口約778万人(2009年現在)[2]カナダの州・準州の中で、面積はヌナブト準州に次いで第2位。人口はオンタリオ州に次いで第2位。州都はケベック・シティーだが、州最大の都市はモントリオール。モントリオールはフランス語圏の都市としてはパリキンシャサに次ぐ規模の都市である。また、ケベック州の人口の約半分がモントリオール大都市圏に集中している。

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歴史

主要記事:History of Quebec

先コロンブス期

クリストフ・コロン(クリストファー・コロンブス)がアメリカ大陸に到達するまでは、この地域にはアルゴンキン族、(クリー族(Cree)、ミックマック族(Micmacs)含む)、及びイロコワ族、(モホーク族(Mohawks)含む)などの狩猟インディヘナが居住していた。また北部にはイヌイット族も居住していた。

フランス人の入植

1492年スペインカトリック両王の命を受けたジェノヴァ人の航海者コロンブスイスパニョーラ島へ到達し、アメリカ大陸を「発見」すると、ヨーロッパ人によるアメリカ大陸の植民地化が進み、ケベックにも1534年フランス王フランソワ1世の命を受けた探険家、ジャック・カルティエが到達した。カルティエはセントローレンス湾周辺を探検し、この地を「ヌーヴェル・フランス」(ニュー・フランス)と名付け、フランス王による領有を宣言した。

ラ・ヌーヴェル・フランス

1604年サミュエル・ド・シャンプランにより最初の定住植民地が開拓され、1608年にはヴィル・ド・ケベック(現在のケベック・シティー)が建設された。ケベック植民地が創設されたことによりフランス人による開拓が進み、1642年にはヴィル・マリー(後のモントリオール)市が建設された。「ヌーヴェル・フランス」(北米フランス植民地)はミシシッピ川流域にまで及んだ。その後、イギリスとフランスの間での北米の覇権争いが続いた。

イギリスの支配

主要記事: Province of Quebec (1763–1791)

18世紀七年戦争(特に北米での戦争を「フレンチ・インディアン戦争」と呼ぶ)により、ケベックが英軍に占領されると、講和条約でイギリス領となった。当時のフランス系住民は約6万であった。しかし、英国議会が制定したケベック法により、フランス民法典やローマ・カトリックの存続が認められ、フランス色が残った。

このため、カナダは英語フランス語を国の公用語としているが、ケベック州では今日までフランス語のみが公用語となっている。

連邦への加盟

1776年イギリスから独立したアメリカは、ケベックの反英感情の強さをテコに連邦参加を呼びかけていたが、当時のケベックの住民はアメリカよりはイギリスに付いていた方が得策と考えていた。1791年にケベックは、アッパー・カナダ(後のオンタリオ州)とロウアー・カナダ(後のケベック州)に分割された。1867年のカナダ自治領(Dominion of Canada)の成立により、ロウアー・カナダ植民地はケベック州となった。もともとかなり貧しい州で、社会的にも遅れていたため、近代化がなかなか進まなかった。経済の重要部門は少数派のイギリス系住民が運営し、州予算は当時から連邦政府に大きく頼っていた。フランス系の大半は農業に従事し、教育や社会福祉は教会が主に携わった。1898年にカナダ議会によりルパート・ランドノースウエスト準州に属していたジェームズ湾沿いの北部ケベックに領土を拡大した。そして、1912年に、イヌイットが居住する極北のウンガバ半島を加えた。1920年代以降の、電力と非鉄金属などの重工業化はイギリス系とアメリカ資本を中心に行われた。1927年に、当時はカナダと同格の事実上の独立国だったニューファンドランド(現在のニューファンドランド・ラブラドール州)との境界が、英国枢密院司法委員会によって確立されたが、ケベック側は、公式にはこの境界線を認めていない[3][4][5]。産業化の過程で、商業に従事するイギリス系の人々との経済的格差が広がり、フランス系住民は「二級市民」として劣等意識を持つようになった。1944年にはアルミニウムのような産業を拡張するのを助けるためにハイドロ・ケベック電力公社が設立された。

静かなる革命

しかし、1960年代の州政府による一連の社会改革(公的部門を基にした経済自立戦略)は、英語系住民によるケベック経済の支配構造を変え始め、教会による教育・社会福祉への関与も州政府の役割に取り替えた。これは自由党ジャン・ルサージュ州首相がはじめた「静かなる革命」と呼ばれるもので、民族主義ケベック・ナショナリズム)と社会民主主義に動機付けられた。 1965年に、州民の年金と公共保険を扱うためのケベック州投資信託銀行が設立されたが、同社は債券や株式への投資などを行っており、その後の州の経済発展に寄与している。1976年まで職場において、ボスの言語は英語、労働者はフランス語とされ、企業内は英語に限られていた。

現代のケベック

様々な面でアメリカ合衆国と緊密なカナダからの分離主義的傾向が永年にわたってくすぶり、1970年には過激派ケベック解放戦線」 (FLQ) のテロで州副首相が誘拐、殺害される惨事(オクトーバー・クライシス)も起こった。政治レベルでの連邦政府への反感も根強いが、独立を巡って1980年1995年に行われた住民投票では、2回とも否決された。1980年の住民投票では独立反対の割合が約60%。1995年の投票ではモントリオール市民、先住民ならびにメティ(先住民との混血者)たちの反対票が勝敗を決したものの、反対票の割合は約50.6%と賛成と反対の差が縮まっている。カナダ最高裁は単なる過半数の賛成では条件に満たないとした。この背景には、社会的経済的主導権をフランス系住民が完全に握るべきだという主張と、フランス系住民の出生率低下・移民の増加による民族構成変化への不満がある。単純に見ると、独立運動は労働組合と地方の住民に根強い人気があり、不況になると勢いづき、景気が回復すると下火になる。

また、旧英領北アメリカ (British North America) 法を踏襲した1982年のカナダ新憲法をケベック州のみが批准しておらず、これも火種のひとつとなっている。 なお、1967年にはモントリオール万国博覧会(EXPO'67)が開催されている。また、1976年モントリオールオリンピックも開催されている。

政治

州議会では、事実上、独立派のケベック党(左派)と自由党(中道左派)との二大政党制が成立しており、民主行動党(保守)の支持は弱く、カナダでは最も欧州的な社会民主主義思想が支持されている。しかし、連邦議会選挙になると、自由党の票は新民主党(社民主義)に食われ、その結果独立派のケベック連合が議席数で漁夫の利を得ていた。なぜなら新民主党は、ケベック州議会選には参加せず、連邦選挙のみ候補者を立てているからである。

1970年代前半までは自由党とユニオン・ナショナルケベック保守党)の二大政党制だった。

ケベック自由党は1955年に連邦レベルの自由党から独立した。ケベック州の独立については、緑の党も含めて他のどの連邦政党からも支持されていない。ただし新民主党はケベックの自決権を認めている。1995年に行われた住民投票において、連邦議会の政治指導者層は、イヌイット居住地域の「ヌナビク分離カード」を使って独立運動を牽制した[6]。ケベック州議事堂にはカナダの国旗はなく、ケベック州の旗のみが掲げられている。

地方行政区分

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地理

主要記事:Geography of Quebec

南から西にかけてオンタリオ州と接し、西北部はハドソン湾に面する。北部は北極海に面し、ラブラドール半島の東北部はニューファンドランド・ラブラドール州ラブラドール地方となっている。東部は大西洋に繋がるセントローレンス湾に面し、ノバスコシア州アメリカ合衆国東北部に接する。最高峰はディバーヴィル山(1,622m)。南部には平野広がり、アメリカ合衆国との国境を形成しているオンタリオ湖からセントローレンス川を伝ってセントローレンス湾に水が流れ、大西洋に至る。州人口の大部分は州南部のセントローレンス川流域に居住している。北部はラブラドール半島に属し、タイガツンドラ、湖、川が広がる。人口は極僅かで、小さな集落が見られる程度となっている。

また、セントローレンス湾にアンティコスティ島や、マドレーヌ諸島を領有している。

主要都市

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州最大都市モントリオール中心部の風景。

経済

主要記事:Economy of Quebec

ケベックの経済はオンタリオ州に次いでカナダでは第2の規模であるが[7]、州民一人当たりのGDPは約40,394カナダドル[8]であり、カナダ平均よりも低く大西洋諸州と同様の下位(10番目)に位置している。かつては、オンタリオ州に並ぶカナダ経済の中心地であったが、1976年以降の州政府によるフランス文化促進策以降、金融保険業を中心として数十万人の英語系企業や投資資金がトロントなど他の地域に移転し[9]、カナダにおけるケベック経済の地位は急速に低下した。現在は、ケベック州の経済はそれなりに復興しており、モントリオールを中心にハイテク産業が盛んである。航空宇宙産業のボンバルディア、通信事業者のベル・カナダはその代表格である。近年は、政府による積極的な人材育成と企業誘致により、北米におけるソフトウェア情報産業の一大中心地となっている。他にカナダ最大の航空会社と鉄道会社のエアカナダカナディアン・ナショナル鉄道もケベック州を本社に置いている大企業である。

セントローレンス川沿いは肥沃な農地となっており、酪農、果実、野菜、フォアグラ、メープルシロップの生産が盛んである。特にメープルシロップは世界における生産量の75%を占めている一大産業である。セントローレンス川の北側では林業や製紙業、水力発電が盛んで、イドロケベック社 (Hydro-Québec) は世界最大の水力発電会社であり、ケベック州の電力の97%が水力発電によるものである。

経済的にはアメリカと非常に強く結びついており、輸出先の7割、輸入元の3割を占めている。ケベックのGDPの約3分の1は輸出から生じている[10]。たとえばブリヂストンの工場近代化のため、州政府は2009年に480万カナダドルの助成金を提供したが、その生産物の大部分は米国市場に輸出されている[11]。 かつては耐久性がない商品中心だった製造業は、北米自由貿易協定の発効以後、構造転換を迫られ、多角化を図っている。織物・靴工場は縮小し、パルプ・紙産業の多くが閉鎖された。世界金融危機以後は航空機産業が不調になったが、カナダの安い薬価制度により、製薬バイオテクノロジー部門は好調である[10]。モントリオールは、バンクーバーとともにゲームソフト企業の集積地になっており、税額控除と人材育成によって映像関係を含めたゲーム産業を誘致している[12]

1995年に経済学者は、独立した場合のケベックが、平価を切り下げられた通貨による扱いにくい大きい負債と膨大な失職者を受け継ぎ苦しむと警告した。より大きなカナダの経済スペースの一部であることは、ケベック州民のための巨大な利点である[13]

主な企業

ケベック州に本拠地のある企業には以下のようなものがある。

生活

2007年時点で、ケベック州民の一人当り購買力はオンタリオ州より18%低く、北米全体では57番目である[9]。ただし、就労人口の約4割が労働組合に属し、北米で二番目に最低賃金が高く、労働時間も少なく、早めに定年退職する。他のカナダ諸州ではキャリアと実力の差で賃金が優遇されたりするが、ケベックでは労働組合が強いため社歴や序列が重視される。

ケベックでは両親が4歳以下の子供を託児所に預けるために、以前は1日につき25~30カナダドルを支払っていたが[14]、現在は7カナダドルしか支払っていない[15]。これは低収入の家族のために1997年に州政府が助成金を大幅に引き上げたためであり[14]、2009年度だけで約20億ドルを使っている[16]。その保育プログラムのせいもあって、2009年までの10年間で40%貧困率を減らすことに成功した[17]。ちなみにオンタリオ州では、子供を託児所に預ける費用は1日につき40~60カナダドルかかる[18]

隣接しているオンタリオ州ニューブランズウィック州とは良好な関係を保っているが、ニューファンドランド・ラブラドール州とは不仲。背景には、ラブラドール地方にある水力発電会社からハイドロ・ケベック電力公社への超格安(1キロワット時あたり約0.25カナダセント)の電力販売にある。これは電力料金が安かった1969年に結ばれた契約に基づくもので、2016年以降は1キロワット時あたり0.20カナダセントまで下がり、2041年まで効力がある[19]。この取引によりケベック側は2008年度だけで17億カナダドルの利益を得ている[20]。発電量のほとんどが水力発電で賄われているおかげで、消費者は北米で最も安い電気料金(1キロワット時あたり5.45~7.46カナダセント)しか払っていない。

州の予算

ケベック州政府が行う公共サービスはカナダで最も手厚く、カナダの中でも最も欧州的な福祉国家に近い。その費用はオンタリオ州より150億~170億カナダドル多い[21]。ケベック州では公共部門の比率が高く、2009年時点で508,663人の公務員、教員、看護士やその他の労働者を抱えている[22]。その結果、ケベックは州のGDP比に対する州政府債務比率がカナダで最も高い。その総負債は2010年時点でおよそ1601億カナダドル、州GDP比の53%である[23]。ケベックにおける州税もカナダで最も高い[24]

州による社会福祉サービスの予算は連邦政府からの平衡交付金に助けられている。カナダでは、地方の財政能力を等しくするため、あまり裕福でない州政府に毎年現金の支払いをするが、このプログラムで最大の受益者は常にケベック州民だった[25]。 2009–2010の会計年度における平衡交付金プログラムの総量はおよそ142億カナダドルで、その約6割の83億5500万カナダドルがケベックに支払われている[26]。それでもケベック州蔵相は不十分だと主張し、さらに10億カナダドルの増額を要求した[27]

観光

リゾート地

交通

空港

道路

州民

ケベック州は植民地時代においてイギリスよりも先にフランス人の入植が始まったため、州民の圧倒的多数がフランス系であると考えられるが、2006年の国勢調査(複数回答)では66.2%がカナダ人、30.8%はフランス人と答えている。3番目に多いのがアイルランド人(5.5%)で、これはアイルランド人がカトリック教徒であったためにケベック州に順応しやすかったためである。4番目以降はイタリア人(4.0%)、イングランド人(3.3%)、インディアン諸部族(3.0%)、スコットランド人(2.7%)と続く。他には、白人と先住民(インディアン)の混血者のメティや北極圏地方にはイヌイットも居住している。

移民

出身国別移民受け入れ者数(2008~2012年)[28]
出身国 人数
テンプレート:Flag 21,519
テンプレート:Flag 20,822
テンプレート:Flag 19,901
テンプレート:Flag 19,130
テンプレート:Flag 17,317
テンプレート:Flag 11,355
テンプレート:Flag 7,629
テンプレート:Flag 6,654
テンプレート:Flag 6,449
テンプレート:Flag 6,162
テンプレート:Flag 6,043
テンプレート:Flag 5,502
テンプレート:Flag 5,494
テンプレート:Flag 5,370
テンプレート:Flag 4,218
テンプレート:Flag 4,189
テンプレート:Flag 4,018
テンプレート:Flag 3,982
テンプレート:Flag 3,836
テンプレート:Flag 3,413
テンプレート:Flag 3,111
テンプレート:Flag 3,105
テンプレート:Flag 2,938
テンプレート:Flag 2,885
テンプレート:Flag 2,601
移民受け入れ総数(5年間) 255,442

ケベック州はフランス人による入植開始以降、初めは主にイギリス人スコットランド人ドイツ人アイルランド人などが移民の中心であった。その後はイタリア人ユダヤ人ポーランド人ポルトガル人ギリシャ人中国人ベトナム人レバノン人など世界各地からより多くの移民を受け入れるようになり、近年では同じくフランス語圏であるハイチハイチ系カナダ人)や、マグリブアルジェリアモロッコ、そしてコロンビアなどのラテンアメリカ諸国からの移民も多くなっている。

ただし、州政府の言語政策により、本国に帰国したり、カナダの他州やアメリカなどへ再移住する人も少なくない。たとえば、2001年から2010年にケベック州が受け入れた移民数のうち2012年時点でケベック州内に留まっている割合は、全体では75.9%、北アフリカ系が82.9%なのに対し、東アジア系は57.3%、南アジア系は59.8%にすぎず、出身地域によりばらつきが見られる。ケベック州はカナダの他の州と比べ、移住が比較的容易であるため中国人やインド人などは、ケベック州での移民権取得後に、オンタリオ州ブリティッシュコロンビア州など同胞コミュニティが大きい地域へ再移住するケースが多く、中国人は58.4%、インド人は50.6%、パキスタン人は55.4%、イラン人は56.8%しか州内にはとどまっていない。対照的に、モロッコ81.7%、アルジェリア87.2%、コロンビア82.8%、ハイチ91.9%、フィリピン87.6%、ペルー85.0%、モルドバ87.3%からの移民は高い定着率となっている[29]

また、古くからのフランス系入植者以外は実際にケベックに定住する人が少ない。新しく来た移民が他のカナダ諸州に去る割合は、5年後に約28%、10年後に約40%になり、20年後には結局約50%しか残らない。1966年以降、英語を話すケベック居住者は毎年およそ30,000人が他のカナダ諸州に去ったのに対し、他のカナダからの移住者はおよそ16,000~17,000人のみをケベックに受け入れた[30]

言語

ケベック州はカナダ、及び米州で最大のフランス語話者を擁する。

公用語フランス語ケベック・フランス語)のみだが、人口の約8%の州民の母語英語カナダ英語ケベック・英語)である。イタリア語スペイン語アラビア語などの移民の言語も話されている。モントリオールとその周辺では英仏二か国語が話され、特にモントリオール西部はほぼ英語圏であり、多くの住民がバイリンガルもしくはトライリンガル。それ以外の多くの地域(米国国境と接するイースタンタウンシップス地方モンテレジー地域では英語も話されている)ではフランス語しか通じない。ケベック独立運動が盛んになり始めた1970年代は英語系住民とフランス語系住民の対立が根強かったが、今では、二言語教育が盛んであり、英語を母語とする住民はイマージョン・プログラムでフランス語を習得し、一方、フランス語を母語とする住民は、就職に有利な英語をバンクーバーなどカナダの他の州へ留学して学ぶ人も多い。

ただ、言語の問題は微妙な問題であり、Bill101というフランス語を守る法律をめぐっては、英仏言語間の根深い問題をはらんでいて独立問題の大きな原因ともなっている。

2006年の国勢調査では、フランス語を母国語とする州民は5,877,660人で、そのうち3,770,910人はフランス語しか話さないが、残り2,105,815人は英語も話すバイリンガルと答えている[31]

母語話者別移民受け入れ者数(2008~2012年)[32]
言語 人数
アラビア語 58,508
フランス語 40,994
スペイン語 28,886
クレオール語(フランス語系) 19,149
中国語北京語 15,164
英語 9,207
ルーマニア語 8,211
ロシア語 7,354
ベルベル語 6,685
タガログ語 5,423
移民受け入れ総数(5年間) 255,442

宗教

ケベック州民の大多数を占める、フランス系カナダ人やフランス人は自らのアイデンティティを守る精神的な支柱として、ローマ・カトリックを信仰しているため、ケベック州はカナダで最もカトリックが強力な州となっている。州民の約83%はカトリック信者で、州の守護聖人洗礼者ヨハネである。しかしながら、現在は世俗化が進んでおり、日常的に教会に通う人は少数派である。

その他にはプロテスタント諸派、東方正教イスラム教ユダヤ教ヒンドゥー教シーク教ヴードゥー教が信仰されており、無宗教者もいる。

教育

大学

ケベック・シティー

モントリオール

ガティノー

サグネー

シェルブルック

トロワ・リヴィエール

その他

文化

主要記事:Culture of Quebec

米州、及びフランス語圏でも最大級のフランス語都市であるモントリオールが文化の中心であり、ケベック文化が栄えている。シルク・ドゥ・ソレイユを生み出すなど、ケベック州はカナダにおける文化・芸術の中心地となっている。

食文化

主要記事: Cuisine of Quebec

フランス系移民の影響でフランスの食文化を受け継いだケベック料理が主体となっており、カナダで最も食文化が発達している州である。

メープルシロップの生産が盛んであり、カナダ全体の生産量のおよそ9割をケベック州が占めている。また、プーティンというケベック生まれのファストフードが今では代表的なカナダ料理となっている。他にはモントリオール式ベーグルスモークミートなどはユダヤ人移民が生み出したケベックの代表的食文化である。

文学

主要記事: Quebec literature

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映画

主要記事: Cinema of Quebec

モントリオールでは例年モントリオール国際映画祭WFF)が開かれる。

音楽

主要記事: Music of Quebec

クラシック音楽の分野ではモントリオール交響楽団が有名である。

ジャズの分野では世界的ジャズピアニストのオスカー・ピーターソンがケベック州出身であり、毎年7月上旬開催のモントリオール国際ジャズフェスティバルMIJF)では約2週間で200万人の聴衆が集まる。

また、ポピュラー音楽の分野ではフランス語圏であるため他の英語圏の州とは異なる独自の音楽シーンを形成している。世界的に有名なセリーヌ・ディオンレナード・コーエンがケベック州出身である他、ロックではシンプル・プランヘヴィメタルにおいては、ヴォイヴォドクリプトプシーなどの世界的に有名な優れたバンドを生み出してきた。

世界遺産

ケベック州内には、ユネスコ世界遺産リストに登録された文化遺産が1件、自然遺産が1件存在する。詳細は、ケベック州の世界遺産を参照。

祝祭日

日付 日本語表記 現地語表記(英語/仏語) 備考
1月1日 元日 New Year's Day/Nouvel an
6月24日 ケベックの日 (聖ヨハネの日) Quebec National Day/Fête nationale du Québec
7月1日 カナダの日 Canada Day/Fête du Canada
11月27日 自治記念日 Fête de l'Autonomie
5月25日 女王の日 Victoria Day/Fête de la Reine
9月第一月曜日 国際労働者の日 Labour Day/Fête du travail
10月第二月曜日 感謝祭 Thanksgiving Day/Action de grâces
12月25日 クリスマス Christmas/Noël
12月26日 クリスマスの翌日 Boxing Day/Lendemain de Noël

スポーツ

主要記事: Sport au Québec

※ケベック・ノルディクス (1972年 - 1995年) →コロラド・アバランチ (現在、新たなケベック・ノルディクスの設立が検討されている[33]。)

※モントリオール・エクスポズ (1969年 - 2004年) →ワシントン・ナショナルズ

スポーツイベント

州の象徴など

著名な出身者

主要記事:List of Quebecers

その他情報

参考文献

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脚注

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関連項目

外部リンク

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  1. テンプレート:Cite web
  2. テンプレート:Cite web
  3. テンプレート:Cite web
  4. テンプレート:Cite web
  5. テンプレート:Cite web
  6. テンプレート:Cite web
  7. テンプレート:Cite web
  8. [1]
  9. 9.0 9.1 テンプレート:Cite news
  10. 10.0 10.1 テンプレート:Cite web
  11. テンプレート:Cite news
  12. テンプレート:Cite web
  13. テンプレート:Cite web
  14. 14.0 14.1 テンプレート:Cite web
  15. テンプレート:Cite news
  16. テンプレート:Cite news
  17. テンプレート:Cite web
  18. テンプレート:Cite web
  19. テンプレート:Cite book
  20. テンプレート:Cite news
  21. テンプレート:Cite news
  22. テンプレート:Cite news
  23. テンプレート:Cite news
  24. テンプレート:Cite web
  25. テンプレート:Cite web
  26. テンプレート:Cite web
  27. テンプレート:Cite news
  28. Statistiques sur l'immigration récente . Tableaux sur l'immigration au Québec 2008-2012
  29. Présence en 2012 des immigrants admis au Québec de 2001 à 2010
  30. テンプレート:Cite web
  31. テンプレート:Cite web
  32. Statistiques sur l'immigration récente . Tableaux sur l'immigration au Québec 2008-2012
  33. テンプレート:Cite news