ケビン・ホッジス

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テンプレート:Infobox baseball player ケビン・ホッジスKevin Jon Hodges[1], 1973年6月24日 - )は、アメリカ合衆国出身の元プロ野球選手投手)。

弟はテンプレート:By阪神タイガースに在籍したトレイ・ホッジス。なおケビンは2004年には韓国プロ野球に在籍していたため、兄弟が同時に日本でプレーしたことはない。

経歴

テンプレート:Byカンザスシティ・ロイヤルズからドラフト8巡目指名を受ける。ロイヤルズ時代はマイナーリーグで6年間プレーしたが、メジャーリーグ登板がないまま自由契約。ヒューストン・アストロズを経て、テンプレート:By6月19日、マット・ミースキーとのトレードでシアトル・マリナーズに移籍する。テンプレート:Byにメジャーリーグ初登板。

テンプレート:By6月29日ヤクルトスワローズへの入団が発表される。外国人投手の故障や不振などで先発投手が不足したための緊急補強の意味合いが強く、当時の支配下選手登録期限の6月30日を目前とした入団となった。この年は8月からの実働2ヵ月間であったが5勝を挙げ、チームのリーグ優勝に貢献した。だが、日本一のかかった日本シリーズ第5戦では、5回持たず2失点。試合には勝利し日本一を決めたものの、先発投手としての役割は果たせなかった。

テンプレート:Byはシーズンを通して先発ローテーションの軸として活躍して17勝を挙げ、上原浩治と同数で最多勝のタイトルを獲得した。テンプレート:Byは外国人としてはテリー・ブロス以来球団2人目となる開幕投手を務めたが、年間を通して不安定な投球が続き9月にシーズン限りでの退団が決定する。退団にあたっては、監督の若松勉が球団から「(ホッジスに)最後にもう1度神宮で投げさせてほしい」と言われていたことから、9月19日の神宮での広島東洋カープ戦で「さよなら登板」の機会が与えられた(6回から2番手で登板、2回1失点)。

ホッジスは日本国内でのプレー続行を希望していたが獲得に名を挙げる球団はなく、テンプレート:Byは韓国プロ野球の三星ライオンズに入団。主に先発として9勝を挙げた。

テンプレート:Byは新規参入の東北楽天ゴールデンイーグルスにテスト入団し日本球界に復帰した。岩隈久志以外に計算できる先発投手がいないチーム事情の中でローテの一角として期待されたが、シーズンに入ると背信投球を繰り返した。登板機会は多く与えられたが、調子が上向く気配は一向になく、8月28日西武戦で1回5失点KOされると、監督の田尾安志は試合後の会見で「もう使うことはない」と事実上の戦力外を明言。その後は登板のないまま1年で退団した。

テンプレート:Byは、独立リーグであるアトランティックリーグブリッジポート・ブルーフィッシュでプレーし、引退。

2012年1月1日付で埼玉西武ライオンズ編成部渉外担当(アメリカ駐在)に就任した[2]

プレースタイル・人物

ムービングファストボールとカットボールを軸に球を低めに集め、ゴロを打たせるスタイルを基本とする。内角攻めも辞さなかったため死球が多く、2002年にはリーグ最多の17死球を記録している。2003年以降は四球の多さが目立つようになり、四球をきっかけに大量失点を喫する試合もしばしば見られた。打撃力もあり、2002年には2本塁打を打っている。

日本ではヤクルトでの最終登板の1試合を除き、全て先発として登板したが、特に最多勝を獲得した2002年は中4日で登板する代わりに100球前後で降板するのが基本だったこともあり、完投の経験は1度もない。2005年5月6日読売ジャイアンツ戦で70試合連続先発機会完投なしとなり、それまで戸叶尚が持っていたプロ野球記録の69を塗り替えた。なおこの年ホッジスと戸叶は楽天で同僚であった。その後、ホッジスは連続先発機会完投なしを81まで伸ばして日本球界を去ったが、この記録はテンプレート:By西口文也が更新した。ただし「初先発から」に限定すれば現在もホッジスがプロ野球記録を持っている。

前述の死球の多さから乱闘が起こることもあり、楽天の球団創設以来、一軍・二軍を通した公式戦で乱闘による初めての退場者となった。

2005年6月29日イースタン・リーグ、対インボイス戦(宮城)で、3-0とインボイスリードの9回1死三塁、ホッジスの2球目が、野田浩輔の腹部を直撃。これは野田がバントの構えを引かなかったためストライクの判定となったが、続く3球目が野田の背中部分への死球となった。
これに野田が激怒し、ホッジスに飛びかかると両軍ナインがマウンド付近で入り乱れる乱闘となった。約5分間もみ合いの末、応戦したホッジスと、乱闘原因をつくった野田の両名が暴力行為で退場処分となり、その後はこの試合は警告試合となった。その直後、退場したホッジスに代わった谷中真二が西武のバッターに初球から死球を与えてしまい、即刻退場処分を受け、試合の方は3-2とインボイスが辛うじて逃げ切ったが、後味悪い試合結果となった。
乱闘の発端は、インボイスが3点リードの状況で野田がバントの構えをしたことにホッジスが腹を立てたとみられるが、原因は明らかになっていない。それに関して野田は「(ホッジスに)当てられるのは3度目。あれはない!」と怒りを露にした。一方死球で退場処分となった谷中は「わざとじゃないけど、あそこで内角を攻められないと…」とコメントをしている。
因みにこの試合は二軍公式戦ではあるが、楽天球団史上初の乱闘となり、一部の新聞の紙面に載る程の記事となった[3]

詳細情報

年度別投手成績

テンプレート:By2 SEA 13 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 73 17.1 18 4 12 0 2 7 1 0 10 10 5.19 1.73
テンプレート:By2 ヤクルト 12 12 0 0 0 5 3 0 -- .625 293 66.1 73 5 34 1 4 30 0 0 29 28 3.80 1.61
テンプレート:By2 32 32 0 0 0 17 8 0 -- .680 848 200.2 183 15 67 2 17 132 6 2 82 76 3.41 1.25
テンプレート:By2 20 19 0 0 0 5 9 0 -- .357 455 100.2 119 15 39 1 8 48 5 1 74 66 5.90 1.57
テンプレート:By2 三星 30 27 0 0 -- 9 10 0 0 .474 719 163.1 158 15 81 1 21 123 9 1 91 77 4.24 1.46
テンプレート:By2 楽天 18 18 0 0 0 2 12 0 0 .143 446 95.0 116 12 51 1 9 42 3 1 73 68 6.44 1.76
MLB:1年 13 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 73 17.1 18 4 12 0 2 7 1 0 10 10 5.19 1.73
NPB:4年 82 81 0 0 0 29 32 0 0 .475 2042 462.2 491 47 191 5 38 252 14 4 258 238 4.63 1.47
KBO:1年 30 27 0 0 -- 9 10 0 0 .474 719 163.1 158 15 81 1 21 123 9 1 91 77 4.24 1.46
  • 各年度の太字はリーグ最高

タイトル

NPB

表彰

NPB

記録

NPB投手記録
NPB打撃記録

背番号

  • 58 (2000年 - 2003年)
  • 54 (2005年)

脚注

テンプレート:Reflist

関連項目

外部リンク

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  1. ウェイン・グラシック『2002 JAPAN PRO BASEBALL - 英語版 日本プロ野球メディアガイド』日本洋書販売、2002年、ISBN 9784901178778
  2. テンプレート:Cite web
  3. 2005年9月30日[nikkansports.com]楽天初乱闘、2軍戦でホッジス死球めぐりテンプレート:リンク切れ