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グル・ナーナク
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'''グル・ナーナク'''(ਗੁਰੂ ਨਾਨਕ, [[1469年]][[11月5日]] - [[1539年]][[9月7日]])は、[[シク教]]の[[教祖]]にして初代[[グル]](尊師)。シク教では、歴代グルの全員がグル・ナーナクの聖性と宗教的権威を継承していると考えられている。グル・ナーナクの誕生日には、各地でお祭りが行なわれる。 == 名称 == シク教では宗教指導者を[[グル]](尊師)と呼ぶため、グル・ナーナク(あるいはナーナク師)という呼称が一般的であるが、神格化された'''グル・ナーナク・デヴ'''という尊称もある。また、日本語文献ではグル・ナナク(あるいはナナク師)という表記も散見される。 [[ファイル:Sikh Gurus with Bhai Bala and Bhai Mardana.jpg|250px|サムネイル|中央上に座るのがグル・ナーナク]] == 略歴 == [[ラホール|ラーホール]](現在の[[パキスタン]]の都市、[[インド]]との国境近く)近郊のタールワンディー村で、[[ヒンドゥー教]]徒の両親の元に生まれた。 その後シク教の開祖となり、[[インド]]の[[パンジャーブ]]地方で布教活動を行った。 彼は第2代グルに息子を選ばずに、信仰心のあつい[[グル・アンガド|アンガド]]を指名した。息子はすねて独立して[[ウダーシー派]]を結成した。 == 思想 == 身分差別の激しい[[カースト]]制には否定的であり、また礼拝後には男女貴賎を問わず、すべての人が同じ場所に座り同じ食べ物を分けあう事を奨励した。これはヒンドゥー教がカーストが異なると一緒に食事をしないことに対する批判である。 宗教改革者[[カビール]]と[[イスラーム]]神秘主義[[スーフィズム]]の影響を受けている。カビールの思想とグル・ナーナクの思想は大変似ているが、違う点はカビールが[[タントラ教|タントラ]](密教)の影響を受けているのに対し、グル・ナーナクにはそれがないことである。カビールと対面したかどうかはカビールの生没年がはっきりしないこともあって、学者によって意見が異なるが、現在主流の説では[[1440年]]誕生で[[1516年]]死亡なので、これなら出会った可能性はあることになる。 グル・ナーナクの教える神は形がなく、人格を持ち、慈愛深く、[[一神教]]で、偶像を持たず、定まった神の名前を持たない、つまり[[アッラーフ|アラー]]も[[ヴィシュヌ]]も同じ神の異名にすぎないということである。 グル・ナーナクは数珠を首にかけ、頭にターバンを巻きヒンドゥー教とイスラーム教の両方の身なりをしていた。 グル・ナーナクの教えをヒンドゥー教とイスラーム教の折衷であるという人がいるが、ナーナクはヒンドゥー教でもなくイスラーム教でもない諸宗教の本質を追求したのである。 == 関連項目 == * [[シク教]] * [[ヴェーダの宗教]] * [[アブラハムの宗教]] {{DEFAULTSORT:なあなく くる}} [[Category:インドの宗教家]] [[Category:シク教]] [[Category:1469年生]] [[Category:1539年没]] [[Category:宗教・宗派の開祖]]
グル・ナーナク
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