グノーシス主義

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グノーシス主義(グノーシスしゅぎ、テンプレート:Lang-de-shortテンプレート:Lang-en-short)またはグノーシステンプレート:Lang-grc-short、ラテン文字転写:Gnosis)は、1世紀に生まれ、3世紀から4世紀にかけて地中海世界で勢力を持った古代の宗教思想の1つである。物質二元論に特徴がある。普通名詞としてのグノーシスは古代ギリシア語認識知識を意味する言葉であり、グノーシス主義は自己の本質と真のについての認識に到達することを求める思想傾向を有する。

またグノーシス主義は、地中海世界を中心とするもの以外にイランメソポタミアに本拠を置くものがあり、ヘレニズムによる東西文化のシュンクレティズムのなかから生まれてきたものとも云える。代表的なグノーシス主義宗教はマニ教であるが、マニ教の場合は紀元15世紀まで中国で存続したことが確認されている。

定義

1966年4月にイタリアメッシーナ大学でグノーシス主義研究者たちの「国際コロキウム(シンポジウム)」が開催され、そこでグノーシス主義とは何であるかという学術的な定義について一つの提案が行われた。これを「メッシーナ提案」と通称する。半世紀近くの時を経てグノーシス主義に関する研究も進展したが、グノーシス主義を語る上でメッシーナ提案は研究者たちの共通基本認識として前提となる。

この提案では、紀元2世紀から3世紀頃のキリスト教グノーシス体系を「グノーシス主義(Gnostizismus)」と定義し、より広い意味での「秘教的知識」の歴史的カテゴリーを「グノーシス」と定義した[1]。この提案によれば、「グノーシス」とは「グノーシス主義」を「典型」とする非常に範囲の広い意味を持つことになり、これはハンス・ヨナスが提唱したように、「精神の姿勢・現存在の姿勢」であるという解釈が概ねにおいて承認されたものである。マニ教や、カタリ派ボゴミール派などは当然として、それ以外にも、時代や地域を越えて、「グノーシス」は人間の世界把握の様式から来る宗教または哲学思想として普遍的に存在するものとの考えが示された[2]

しかし必ずしもこの定義が定着したわけではなく、一般に「グノーシス」ならびに「グノーシス主義」という言葉は同義語として用いられており[3]、キリスト教「異端思想」としてのグノーシス主義を「キリスト教グノーシス派」と呼ぶことが多い。したがってこの記事では広義の「グノーシス」について、「グノーシス主義」という用語で説明する。

物質からなる肉体を悪とする結果、道徳に関して、2つの対極的な立場が現れた。一方では禁欲主義となって顕われ、他方では、放縦となって現れる。前者は、マニ教に見られるように禁欲的な生き方を教える。後者は、霊は肉体とは別存在であるので、肉体において犯した罪悪の影響を受けないという論理の下に、不道徳をほしいままにするタイプである。4世紀の神学者アウグスティヌスがキリストに回心する前に惹かれたのは、前者の禁欲的なタイプであったと言われる。

反宇宙的二元論

グノーシス主義には様々なバリエーションがあるものの、一般的に認められるのは、「反宇宙的二元論(Anti-cosmic dualism)」と呼ばれる世界観である。反宇宙的二元論の「反宇宙的」とは、否定的な秩序が存在するこの世界を受け入れない、認めないという思想あるいは実存の立場である。言い換えれば、現在われわれが生きているこの世界を悪の宇宙、あるいは狂った世界と見て、原初には真の至高神が想像した善の宇宙があったと捉える。

グノーシスの神話では、原初の世界は、至高神の創造した充溢(プレーローマ(Pleroma))の世界である。しかし至高神の神性(アイオーン)のひとつであるソフィア(知恵)は、その持てる力を発揮しようとして、ヤルダバオト(Yaldabaoth)あるいはデミウルゴス(Demiuruge)と呼ばれる狂った神を作る。ヤルダバオトは自らの出自を忘却しており、自らのほかに神はないという認識を有している。グノーシスの神話ではこのヤルダバオトの作り出した世界ことが、我々の生きているこの世界であると捉えられる。


反宇宙論
グノーシス主義は、地上の生の悲惨さは、この宇宙が「の宇宙」であるが故と考えた。現象的に率直に、真摯に、迷妄や希望的観測を排して世界を眺めるとき、この宇宙はまさに「善の宇宙」などではなく「悪の宇宙」に他ならないと考えた。これがグノーシス主義の「反宇宙」論である。
二元論
宇宙が本来的に悪の宇宙であって、既存の諸宗教思想の伝えるや神々が善であるというのは、誤謬であるとグノーシス主義では考えた。ここでは、「」と「」の対立が二元論的に把握されている。善とされる神々も、彼らがこの悪である世界の原因であれば、実は悪の神、「偽の神」である。しかしその場合、どこかに「真の神」が存在し「真の世界」が存在するはずである。
悪の世界はまた「物質」で構成されており、それ故に物質は悪である。また物質で造られた肉体も悪である。物質に対し、「霊」あるいは「イデアー」こそは真の存在であり世界である。

、真の神と偽の神、また肉体イデアー物質と云う「二元論」が、グノーシス主義の基本的な世界観であり、これが「反宇宙論」と合わさり「反宇宙的二元論」という思想になった。

研究史、異教 vs.異端

グノーシス主義の研究史を通じて、この思想の理解については2つの根本的に異なる立場が存在している。一方はグノーシス主義をキリスト教とは別個の、オリエントに起源を持つ「東方」の宗教であるとし、その非キリスト教(異教)的側面を強調する姿勢である。もう一方はグノーシス主義をキリスト教内部の異端、あるいはギリシャ哲学に影響を受けた宗教哲学の出発点としてキリスト教史のなかに位置づけようとする姿勢である。今日では、グノーシス主義をキリスト教とは別個の宗教思想であると考える立場が主流である[4]

グノーシス主義に関する初期のキリスト教文献、初期教会教父たちによる種々の異端反駁文書の中において、グノーシス主義はキリスト教内部の異端思想として扱われている。リヨンのエイレナイオスオリゲネスエウセビオスなどがグノーシス主義を主要な対象として、正統信仰擁護の著作を残している。彼らの著作から、初期の聖書解釈やキリスト教神学の成立にグノーシス主義の影響が多大であること、そしておそらく彼らの時代には、グノーシス主義的なキリスト教文献は正統信仰の著作を量において上回っていたと考えられている。

ルネサンスの時代には、新プラトン主義と『ヘルメス文書』がヨーロッパで流行した[5]。今日では『ヘルメス文書』に含まれるいくつかの著作はグノーシス主義のものであったことが明らかにされている。19世紀後半から20世紀半ばには、コプト語で書かれたグノーシス文献が相次いで公刊され、研究資料はだいぶ整えられた[6]

資料の充実と前後して、近代的なグノーシス研究も開始された。その契機となるのはバウルの『キリスト教グノーシス、あるいはキリスト教宗教哲学の歴史的展開』である。これに続いたのがハルナックの教会史的グノーシス研究で、彼はグノーシス研究に史料批判の手法を持ち込んだ。これら初期のグノーシス研究はキリスト教の教会史からグノーシス主義を捉えるもので、その思想をキリスト教のヘレニズム化・「東方」化したものと考えていた。

それに対し、ブセット1907年、『グノーシスの中心的諸問題』を著し、このなかで彼はグノーシス主義をキリスト教の教会史のなかにとどめずに、その外側にあるオリエント的な宗教思想として捉える見解を示した。これを継承したのがライツェンシュタインであり、彼はグノーシス主義をキリスト教以前の別個の宗教で、当時の様々な秘儀宗教に影響を与えたとした。この後のグノーシス研究で最も影響が大きかったと考えられるのがハンス・ヨナスで、彼はグノーシス主義が厳格な二元論的世界観に基づいていることを明らかにし、さらにグノーシス主義を古代末期に最も影響を持った主流思想であったと位置づけた。

1950年に『ナグ・ハマディ写本』の最初の総括的研究報告が発表されると、グノーシス主義についての理解は大きく転回した[7]。まず文書のなかにキリスト教的なものと非キリスト教的なものが混在しており、これはおそらくグノーシス主義とキリスト教が本来別個であったことを示していると考えられている。さらにキリスト教に取り入れられたグノーシス主義は初期キリスト教思想の形成に大きな役割を持っていたことも確認された。同時にグノーシス主義はユダヤ教の神話やギリシャ哲学とも密接な思想的相互交流をおこなっており、その思想をかなり取り入れていることも明らかとされた。

東西のグノーシス主義

テンプレート:出典の明記 グノーシス主義は、エジプトシリアパレスティナ小アジアギリシアローマなどで興隆した「西方グノーシス主義」と、イランメソポタミアなどで成立した「東方グノーシス主義」の二つの大きな宗派に分かれる。これらの宗派は、より多数の宗派に更に分岐するが、地理的な差異以外に、救済思想・神話構成においても、区別が存在する。

西方グノーシス主義
ウァレンティノスの宗派が代表的であるが、グノーシスの立場に立つ者と、そうでない者を峻別し、宗教原理よりして、グノーシスの立場に立つ者は、禁欲を旨とし、世俗的な快楽を避け、生殖に通じる行為を一切してはならないとした。新プラトン主義の哲学者であるプロティーノスの「一者」よりの流出説を採択して、なる永遠界は流出によって生じたが、その過程において「ソピアー神話」が示すような過失があり、この結果、「の世界=この世」が生まれたとした。
西方グノーシス主義は哲学的・思想的であり、信徒には高い知性を持つ者や、中流階級の者が多数属した。高潔な理想を説き、みずからも禁欲を守り、生殖を避けた結果、西方グノーシス主義は外部要因(キリスト教ローマ帝国での国教化等)以外に、内部の思想原理からしても、永続し得ず、4世紀から5世紀頃には、その宗派は消えてしまった。
東方グノーシス主義
マニ教が代表であるが、西方グノーシス主義諸派よりも少し遅れて興隆した。従って、西方グノーシス主義諸派の理論を取り入れる余地が多数あり、また、ペルシアゾロアスター教などの二元論的宗教の影響の元にもあった。イランインドの古くから存在する神々やその神話をも取り入れ、グノーシスの立場に立つ者を二つの段階に分けた。これはマニ教に特有の信徒制度である。
創世神話においては、プロティーノスの流出説も採用しているが、ゾロアスター教の流出説も援用しており、その結果、絶対善が原初に存在したとするのではなく、善の原理と悪の原理が二元的に原初より存在したとする思想を持つ。2つの信徒階級を定めた結果、救済宗教として広く一般の人が入信することとなり、西方グノーシス主義の知的エリート主義を乗り越えることができた。生殖も一般信徒は可能であったので、宗教として永続し、マニ教は15世紀まで、マンダ教は、二千年のときを経過して、現在も存続している。

グノーシスの諸派

西方グノーシス主義

  • サトルニロス
  • セト派(Sethians
  • ケリントス(Cerinthus)
  • シモン・マグスSimon Magus)(2世紀) - (魔術師シモン)「使徒行伝」(8:3-)に言及がある人物とは別人だが、混同される。サマリア人
  • ウァレンティノス(Valentinians) - 大ウァレンティノスともいわれ、西方グノーシスの代表的な理論家。多数いた弟子たちは各地でグノーシスの伝道を行った[8]
  • プトレマイオス - ウァレンティノスの弟子[9]エイレナイオスはその『異端反駁』において、主にプトレマイオスのグノーシス主義を批判している。従来のグノーシス主義の研究においては、このエイレナイオスの書物の批判で引用された「プトレマイオスの説と称されるもの」がグノーシスの理論の代表とされた。
  • バシレイデースBasilidians)- ウァレンティノス、シモン・マグス、マルキオンとともにグノーシス派の最も有力な4人の理論家の1人として数えられる[10]
  • オフィス派(Ophites) - 「旧約聖書創世記」に出てくるギリシア語でオピス)は人間を堕落させたものではなく、至高者が人間に知識を授けるため遣わしたものと考えるので、このように呼ばれる。
  • ナハシュ派 - ヒッポリュトスが名付けた。オフィス派と同じものではないかと云われている。「ナハシュ」はアラム語で蛇の意味である。
  • カイン派(Cainites
  • カルポクラテス派(Carpocratians)- カルポクラテスは2世紀頃のアレキサンドリアの学者。プラトンの影響を受ける[11]
  • ボルボル派(バルバロイ派)(Borborites

東方グノーシス主義

  • マニ教 - マニを開祖とする救済宗教。紀元3世紀サーサーン朝ペルシア時代に起こり、西は、メソポタミア、パレスティナ、エジプト、北アフリカ、東は、インド、西域、中国にも伝道され繁栄した。中国で、15世紀頃に最後の教団が確認されるが以降、消滅した。
  • マンダ教 - イラクに現在も存在する宗派。イスラム教の『クルアーン』に記されている正体不明な民族または宗派は自分たちであると主張し、イスラームの側でこれを認めた為、イスラーム世界のただなかで存続した。

グノーシス主義的宗派

グノーシス主義は、精神の姿勢(Geisteshaltung)が問題となり、現存在における世界の現象解釈と了解によって教えが成立するとされる。そのため、二元論宗教のなかで、古代のグノーシス主義と直接的・間接的に関係のあるものも、広い意味ではグノーシス主義となるが、それらは判断について諸説がある。

脚注

  1. 要するに、「グノーシス主義」はキリスト教「異端思想」としての「認識」を、「グノーシス」はキリスト教から独立した別個の宗教・哲学体系の「認識」を代表するものであるといえる。この提案では前述の研究史で見られた2つの立場が併存している。
  2. クルト・ルドルフ『グノーシス』、pp.57-58。
  3. クルト・ルドルフ『グノーシス』、p.58。
  4. 以下この節は全体的にクルト・ルドルフ『グノーシス』pp.1-50に依拠する。
  5. 19世紀以前には『ヘルメス文書』は新プラトン主義の祭儀文書と考えられていた。
  6. 『アスキュー写本』の出版は1851年、『ブルース写本』については1891年、『ベルリンパピルス』については1955年
  7. 文書自体の公刊は1977年
  8. テンプレート:Cite book
  9. テンプレート:Cite book
  10. テンプレート:Cite book
  11. テンプレート:Cite book

関連項目

参考文献

テンプレート:参照方法

  • 荒井献 『原始キリスト教とグノーシス主義』 岩波書店 1971年、ISBN 4000004956
  • ハンス・ヨナス 『グノーシスの宗教―異邦の神の福音とキリスト教の端緒』 人文書院 1986年、ISBN 4409030337
  • 荒井献 『新約聖書とグノーシス主義』 岩波書店 1986年、ISBN 4000010247
  • 大貫隆 『グノーシスの神話』 岩波書店 1999年、ISBN 400000445X
  • クルト・ルドルフ 『グノーシス―古代末期の一宗教の本質と歴史』 岩波書店 2001年、ISBN 4000226053
  • 大貫隆 『グノーシス 陰の精神史』 岩波書店、2001年、ISBN 4000226037(島薗進高橋義人村上陽一郎との共編)
  • 大貫隆 『グノーシス 異端と近代』 岩波書店、2001年、ISBN 4000226045(島薗進、高橋義人、村上陽一郎との共編)
  • 筒井賢治 『グノーシス―古代キリスト教の“異端思想” 』 講談社2004年、ISBN 4062583135
  • Time-Life Books編・著『二原理の書』無頼出版、2006年、ISBN 978-4903077048
  • 柴田有 『グノーシスと古代宇宙論』 勁草書房 1982年、ISBN 4326100532

外部リンク