クロフネ

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テンプレート:Infobox クロフネ1998年 - )は日本競走馬アメリカ合衆国で生まれ、日本で調教された外国産馬である。2001年に、NHKマイルカップジャパンカップダートで優勝した。現在は種牡馬

馬名

馬名は、江戸時代末期に浦賀沖に来航した、マシュー・ペリー率いるアメリカ艦隊に代表される欧米列強の蒸気船の通称(黒船)に由来する。これには2001年から東京優駿(日本ダービー)が外国産馬に開放されるという背景があった。

現役時代

戦績

2000年

初戦の2000年10月14日の新馬戦はエイシンスペンサーの2着に敗れたが、2戦目の新馬戦、続く3戦目の500万下条件のエリカ賞をレコードタイムで勝った。続くラジオたんぱ杯3歳ステークスではアグネスタキオンジャングルポケットといった内国産の評判馬を押さえて単勝1.4倍の1番人気に推されたが、その2頭に及ばず3着に敗れた。

2001年・春

年が明けて初戦の毎日杯では、2着に5馬身の差をつけて勝利。NHKマイルカップでは単勝1.2倍の圧倒的1番人気に推される。13番人気のグラスエイコウオーが逃げ、先頭をキープしたまま最後の直線に入ると場内は騒然となったが、クロフネは後方から追い込み、ゴール直前でグラスエイコウオーを1/2馬身差でかわして勝利。これによりGI初勝利を果たすとともに東京優駿(日本ダービー)への出走権を獲得した[1]。しかし東京優駿では直線で伸びを欠き5着に敗れた。

2001年・秋

夏場の休養を経て神戸新聞杯に出走するも、3着に敗れた。この年から菊花賞も外国産馬に開放されていたが、神戸新聞杯3着までの優先出走権は、内国産馬にしか与えられていなかった。そのため距離適性を重視し、天皇賞(秋)を目指すことになる。

当時天皇賞(秋)は外国産馬の出走が2頭までとされていた。しかしアグネスデジタルが急遽出走登録したため、本馬は除外対象となり、出走できなくなった。そのため、天皇賞と同じ週の土曜のメインレースである、武蔵野ステークスに出走することとなった。調教師の松田は、この時「せっかく仕上げたのに走らせないのはもったいない」と語っている。しかしこのダートレースへの出走は、単なる思いつきではなく、元々ダートへの適性もあると考えられていたためであった。

武蔵野ステークス

ダート競走初戦となったその武蔵野ステークスでは、鞍上が武豊に戻り、1番人気に支持された。レースでは4コーナー手前で早くも先頭に立つと、直線では後続馬を遥かに引き離し、2着のイーグルカフェに9馬身差をつけて圧勝。ダート1600mの日本レコード、1分33秒3を記録した。この圧勝劇で、むしろクロフネはダートへの適性の方が高いという見方がされ、引き続きダートのレースへ出走することとなり、次走をジャパンカップダートとすることとなった。

ジャパンカップダート
ファイル:Kurofune at Japan Cup Dirt.jpg
クロフネ(2001年11月24日、東京競馬場にて撮影)

ジャパンカップダートに出走した本馬は、前走同様第4コーナーで早くも先頭に立つと、2着の前年の優勝馬ウイングアローに7馬身の差をつけて圧勝した[2]。この時本馬が記録したタイムは、ダート2100mの世界レコード2分5秒9という破格のものであった。その圧倒的な強さから、レース後には「怪物」と呼ばれている。また、「日本にはクロフネという名の、白いセクレタリアトがいる」とも言われた。これはクロフネが記録したジャパンカップダートのペースで2400mを走れば、伝説の「セクレタリアトのベルモントステークス」のタイムに迫ると言われたためである。

ダートの日本レコードは本馬が記録したもの以外は、タイムの出やすくなる重馬場や不良馬場で記録されたものが多い。良馬場で上記の様なレコードを叩き出した同馬は規格外と言える。このレースにはダートの本場アメリカから参戦の実力馬リドパレスも出走し8着と敗れている。同馬の惨敗に関しては、体調がすぐれなかったこと、日本の重い砂のダートが、同じダートという名称とはいえアメリカの硬い土のダートとは全く異なることなどが影響としてあげられたが、鞍上のジェリー・ベイリーは、「直前の発熱とか、初めての馬場だとか、色々言われているけれども、15馬身も開けられるとそんな事は全て関係ない」と完敗を認めている。

アグネスデジタルとの顛末

アグネスデジタルは予定通り天皇賞に出走し、当時圧倒的な強さを誇ったテイエムオペラオーを破り優勝した。「これでクロフネ陣営も天皇賞に出走できなくなった件について文句は言えまい」との評価もあった。さらにアグネスデジタルは暮れの香港カップをも制し、天皇賞の勝利がフロックでないことを証明した。天皇賞の後、再び本馬とデジタルが同じレースに登録することは無かったものの、ダートへの高い適性を見出されたジャパンカップダートを制した本馬と、芝の中距離レースで海外G1まで制したデジタルと双方にとって好結果をもたらしている。ちなみにアグネスデジタルは、2001年マイルチャンピオンシップ南部杯、及び2002年フェブラリーステークスとダートGⅠを立て続けに制しており、奇しくも当事者同士の2頭が芝・ダート双方の適性を認められる結果となった。

現役引退

ジャパンカップダートでのパフォーマンスにより、ドバイワールドカップ等の海外ダートGIでの活躍が期待されていた。主戦の武豊は後の雑誌インタビューにおいて、サキーとの勝負を楽しみにしていたと語っている。しかし、12月26日、右前浅屈腱炎のため電撃引退。そのまま種牡馬入りすることとなった。その後、2001年のJRA賞最優秀ダートホースに選出されている。

関係者による評価

調教師の松田は馬体が規格外であったためにゲートにすっぽりと収まらなかったと語っている。それでも無理させたことがのちの気性にも影響したのではないかとも語っている。

また、松田はセールの様子からクロフネに大きな期待を寄せていた。しかし輸入後の検疫のためにしばらくは馬体が痩せていたという。しかしその様子を見て同師は逆に「若い時に苦しい思いをした馬は走る」と言う考え方のため、期待がより大きくなったと語っている。

武豊はクロフネについて「自分が乗っていてすごいと思った馬の一頭」などと語っており、自身が騎乗したオグリキャップ、サイレンススズカと並列している。このインタビューはディープインパクトのデビュー以前のものであるが、このように武はクロフネを高く評価している。

競走成績

年月日 競馬場 競走名 頭数 枠番 馬番 オッズ
(人気)
着順 騎手 斤量
[kg]
距離(馬場) タイム
(上り3F
タイム
勝ち馬/(2着馬)
2000. 10. 14 京都 3歳新馬 9 4 4 6.9(3人) 2着 松永幹夫 53 芝1600m(良) 1:35.7 (34.2) 0.0 エイシンスペンサー
10. 28 京都 3歳新馬 9 3 3 1.3(1人) テンプレート:Color 松永幹夫 53 芝2000m(良) テンプレート:Color (34.8) -0.3 (マイネルエスケープ)
12. 3 阪神 エリカ賞 12 7 10 1.3(1人) テンプレート:Color 松永幹夫 54 芝2000m(良) テンプレート:Color (35.1) -0.6 (ダイイチダンヒル)
12. 23 阪神 ラジオたんぱ杯3歳S テンプレート:Color 12 5 5 1.4(1人) 3着 松永幹夫 54 芝2000m(良) 2:01.4 (34.8) 0.6 アグネスタキオン
2001. 3. 24 阪神 毎日杯 テンプレート:Color 11 2 2 1.3(1人) テンプレート:Color 四位洋文 55 芝2000m(良) 1:58.6 (34.5) -0.9 (コイントス)
5. 6 東京 NHKマイルC テンプレート:Color 18 2 4 1.2(1人) テンプレート:Color 武豊 57 芝1600m(良) 1:33.0 (34.3) -0.1 (グラスエイコウオー)
5. 27 東京 東京優駿 テンプレート:Color 18 8 17 3.0(2人) 5着 武豊 57 芝2400m(重) 2:27.9 (36.7) 0.9 ジャングルポケット
9. 23 京都 神戸新聞杯 テンプレート:Color 12 6 7 4.4(2人) 3着 蛯名正義 56 芝2000m(良) 1:59.6 (34.2) 0.1 エアエミネム
10. 27 東京 武蔵野S テンプレート:Color 15 8 15 2.3(1人) テンプレート:Color 武豊 57 ダ1600m(良) テンプレート:Color (35.6) -1.4 イーグルカフェ
11. 24 東京 ジャパンCダート テンプレート:Color 16 5 9 1.7(1人) テンプレート:Color 武豊 55 ダ2100m(良) テンプレート:Color (35.8) -1.1 ウイングアロー

※タイム欄のRはレコード勝ちを示す。

現役引退後

引退後は社台スタリオンステーションにて種牡馬入り。種牡馬としては初年度の種付け時に性器に異常を起こして種付けを中断するなどのアクシデントがあったが、毎年150頭以上に種付けする人気を獲得。2005年に初年度産駒がデビューすると、早くから地方競馬中央競馬両方で勝ち上がり、中でもフサイチリシャール東京スポーツ杯2歳ステークスでJRA重賞初勝利を挙げ、その後朝日杯フューチュリティステークスにも勝利。初年度からGI優勝馬を輩出する好調な出だしとなった。

その後も毎年芝、ダートを問わず重賞戦線での活躍馬を輩出し、例年200頭前後に種付けする人気種牡馬の地位を確立する。全国リーディングサイアーランキングでは2007年からトップテン圏内をキープし、中央ダート部門では2006年に2歳チャンピオンサイアーとなるほか、2009年から2年連続で首位となっている。

後継種牡馬には前述のフサイチリシャールがいるものの、2013年11月現在のところ中央重賞および全国交流重賞勝ち馬の中で牡馬は3頭のみで、牝馬に活躍馬が集中している。

年度別種牡馬成績(中央+地方)

出走 勝利 順位 AEI 収得賞金
頭数 回数 頭数 回数
2005年 47 116 13 19 76 1.55 3億4401万6000円
2006年 147 687 55 71 25 1.37 7億9785万6000円
2007年 218 1342 103 171 10 1.61 14億0895万3000円
2008年 273 1838 139 213 5 1.91 21億0026万6000円
2009年 358 2412 168 268 5 1.61 24億5013万5000円
2010年 379 2655 180 312 3 1.74 26億5626万1000円
2011年 379 2683 161 296 2 1.77 26億2576万1000円
2012年 394 2967 183 324 5 1.60 24億4016万9000円
2013年 414 3213 182 360 8 1.31 21億2872万8000円
  • 2013年終了時点。

GI級競走優勝馬

太字はGI競走

ファイル:Fusaichi Richard.jpg
フサイチリシャール

グレード制重賞優勝馬

地方重賞優勝馬

母の父としての主な産駒

血統

血統背景

父フレンチデピュティ、母ブルーアヴェニューは共に、2001年に日本に輸入された。これは本馬の活躍によるところが大であった。兄弟の主な活躍馬として、全妹のBella Bellucciがアメリカで重賞を2勝している。また、Northern Dancerの父系からなる同馬は一般的にノーザンダンサー系と呼ばれるが、その発展・細分化に伴い、ヴァイスリージェント系と呼ばれることもある。

本馬の半妹、ミスパスカリはマーメイドステークスで3着の実績がある。また全弟になる2006年2月11日に生まれた当歳の牡馬が同年7月11日に行われたセレクトセールの2日目(当歳馬初日)に上場番号215番で上場され、3億円でダーレー・ジャパン・レーシングに落札された[3]

血統表

クロフネ (Kurofune)血統(デピュティミニスター系(ヴァイスリージェント系) / Nearctic5.5×5.4=15.63%)

*フレンチデピュティ
French Deputy
1992 栗毛 アメリカ
Deputy Minister
1979 黒鹿毛 アメリカ
Vice Regent Northern Dancer
Victoria Regina
Mint Copy Bunty's Flight
Shakney
Mitterand
1981 鹿毛
Hold Your Peace Speak John
Blue Moon
Laredo Lass Bold Ruler
Fortunate Isle

*ブルーアヴェニュー
Blue Avenue
1990 芦毛 アメリカ
Classic Go Go
1978 鹿毛
Pago Pago Matrice
Pompilia
Classic Perfection Never Bend
Mira Femme
Eliza Blue 1983
芦毛
Icecapade Nearctic
Shenanigans
*コレラ
Corella
Roberto
Catania F-No.2-r

脚注

テンプレート:脚注ヘルプ テンプレート:Reflist

外部リンク

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  1. 当時は、NHKマイルカップ優勝または青葉賞2着以内が外国産馬が東京優駿へ出走する条件であった。
  2. ウイングアローの走破タイムの2分7秒0は前年のウイングアロー自身のレコードタイムより速かった。
  3. この馬はFrench Blueと名付けられ、アメリカのKiaran McLaughlin厩舎に入厩したが、1戦したのみに終わっている。