クリスティアン・ヴィエリ

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テンプレート:サッカー選手 クリスチャン・ヴィエリChristian Vieri, 1973年7月12日 - )は、イタリアボローニャ出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはFW

国際サッカー連盟(FIFA) の創設100周年を記念してペレが選んだFIFA 100の存命125選手の一人[1]。1999年のチーム移籍時に、インテルラツィオに支払った3,200万ポンドの移籍金は当時史上最高額であり、その後、この記録は数回しか破られていない。

体格を武器に相手ゴールに迫るストライカー。空中戦に優れ、ヘディングによる得点はイタリアリーグ史上最多である。ポストプレーにも優れ、左足のシュートで多くの得点を重ねた。そのため「重戦車」と評されることもある。

生い立ち

1973年7月12日、イタリアボローニャ[2]、イタリア・セリエAでプレーしたサッカー選手の父ロベルト・ヴィエリとフランス人母の間に生まれた。3歳の時にシドニーに渡り、少年時代はオーストラリアで育った。サッカーをする直前までラグビーをしていた事で有名だが、本人によると、ラグビーはあまりした事がなく、陸上競技水泳で体を鍛えていた。サッカー以外にもクリケットが好きで、2003年当時のインタビューでは「もし(現時点でのサッカー選手としての契約と)同内容の契約が提示されるのであれば今すぐサッカー選手を辞めてクリケット選手になる」とまで語ったことがある[3][4]アトレティコ・マドリードに移籍した際に、地元の新聞「マルカ」に憧れの選手はオーストラリア人クリケット選手アラン・ボーダー(Allan Border)だと語ったところ、スペインのファンはインターネット検索することになった[5]

弟のマッシミリアーノ(マックス)・ヴィエリも元オーストラリア代表のサッカー選手。また、祖父も戦前のセリエBGKとしてプレーした経歴を持ち、突如イタリア行きを宣言したクリスティアンに父親は無理だと断言したが、この祖父がイタリア挑戦を勧めたというエピソードが残っている。

経歴

クラブ

デビューはセリエC1プラート。そのシーズンの90年2月、後に900億リラの移籍金で加入する事となるインテルが獲得しようとしていたが実現ならず、シーズン終了後にエミリアーノ・モンドニコ率いるトリノと契約(トリノ移籍はモンドニコが獲得を考えていたためであった)。様々なクラブを転々とした末、国外で活躍し始めた。1997-98シーズン、スペインアトレティコ・マドリードに所属し、24試合24得点という成績で得点王を獲得。「リーガは生ぬるい」と発言し、翌シーズンには自身の故郷のラツィオに移籍、セリエAへ復帰した。

1999年から2004年にかけてインテルに所属。2002-03シーズンには得点王を獲得した。このシーズンは23試合で24得点と出場試合数を上回る得点を記録した。2005-06シーズンからはACミランへ移籍したものの出場機会に恵まれず、2006年1月ASモナコへ完全移籍することとなった。その後、わずか半年でセリエA・サンプドリアへの移籍が決定するも、サッカーに対する情熱が持てないとして現役引退を仄めかしていた。この間、イタリアの人気番組「L'isola dei famosi」に出演予定など様々な噂が流れたが、移籍期限ギリギリの8月29日(現地時間)に古巣アタランタへの復帰が決まった。

契約金は約22万円とプロ最低賃金での契約であるが、1ゴールごとにオプション契約として1000万円が支払われることになった。アタランタではACシエナ戦でセンターサークル少し前から決めたロングシュートこそあったものの、それを含め7試合での補欠出場、2得点のみに終わった。2006-07シーズン終了後、1年間の契約期間が切れたアタランタからフィオレンティーナへ移籍[6]

2007-08シーズン第19節のトリノFC戦で先制点となるPKを決め、自身通算200得点を達成した。2008年、3度目のアタランタ入団を果たすも、サポーターとのいざこざが絶えず、シーズン終了前に契約解除となった[7]

2009年、イングランド・プレミアリーグのブラックバーン・ローヴァーズFCの練習に参加していたが途中で帰国した。

2009年10月22日、現役引退を表明した[8]

イタリア代表

1997年3月29日のモルドバ戦で代表デビュー。ワールドカップには2度出場し、フランスW杯で5試合5得点、日韓W杯で4試合4得点といずれもエースとして活躍したが、チームはフランスW杯ではベスト8、日韓W杯ではベスト16止まりであった。ドイツW杯では自身3度目のW杯を目指していたが、怪我の影響で選考には残らなかった[9]

私生活・性格

エリザベタ・カナリス(Elisabetta Canalis)、メリッサ・サッタ(Melissa Satta)といった数多くのモデルと浮名を流したことがある[10]

寡黙で気難しく記者泣かせの選手といわれていた。インテル時代、サポーターを挑発、小馬鹿にするパフォーマンスを繰り返したためファンの怒りを買い自身経営の店舗を犯行声明つきの爆破テロで破壊されていた。尚、その声明文は「ヴィエリよ。我々サポーターを舐めるのもいい加減にせよ」とのものであった。

ユヴェントス時代はジネディーヌ・ジダンと特に親密だった。ユヴェントスに移籍当初、環境の変化に馴染めずにスランプ気味だったジダンを実家に招待し、母親のフランス家庭料理でもてなした事がきっかけ。フィリッポ・インザーギとは極めて仲が良く(毎日電話で連絡を取り合うほど)互いに親友であることを公言していたが、一時同じ女性に好意を抱いた時期がありその後しばらくは不仲となった。自身のファッション・ブランドSweet Yearsを所有し[11]、イタリア代表とミランでチームメートだったパオロ・マルディーニと経営している。

ユヴェントスのファンである[12]

所属クラブ

個人成績

[13][14][15] テンプレート:サッカー選手国内成績表 top テンプレート:サッカー選手国内成績表 th |- |1989-90||プラート||||||0||0|||||||||||| |- |1990-91||トリノ||||||0||0|||||||||||| |- |1991-92||トリノ||||||6||1|||||||||||| |- |1992-93||ピサ||||||18||2|||||||||||| |- |1993-94||ラヴェンナ||||||32||12|||||||||||| |- |1994-95||ヴェネツィア||||||29||11|||||||||||| |- |1995-96||アタランタ||||||19||7|||||||||||| |- |1996-97||ユヴェントス|||15||||23||8||||||||||| テンプレート:サッカー選手国内成績表 th |- |1997-98||アトレティコ・マドリード|||9||||24||24||||||||||| テンプレート:サッカー選手国内成績表 th |- |1998-99||ラツィオ|||32||||22||12||||||||||| |- |1999-00||インテル|||32||||19||13||||||||||| |- |2000-01||インテル|||32||||27||18||||||||||| |- |2001-02||インテル|||32||||25||22||||||||||| |- |2002-03||インテル|||32||||23||24||||||||||| |- |2003-04||インテル|||32||||22||13||||||||||| |- |2004-05||インテル|||32||||27||13||||||||||| |- |2005-06||ACミラン|||32||||8||1||||||||||| テンプレート:サッカー選手国内成績表 th |- |2005-06||ASモナコ|||36||||7||3||||||||||| テンプレート:サッカー選手国内成績表 th |- |2006-07||アタランタ|||17||||7||2||||||||||| |- |2007-08||フィオレンティーナ|||32||||16||3||||||||||| |- |2008-09||アタランタ|||32||||9||2||||||||||| テンプレート:サッカー選手国内成績表 通算始333||164|||||||||||| テンプレート:サッカー選手国内成績表 通算行24||24|||||||||||| テンプレート:サッカー選手国内成績表 通算行7||3|||||||||||| テンプレート:サッカー選手国内成績表 通算終364||191|||||||||||| |}

獲得タイトル

脚注

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テンプレート:Navboxes テンプレート:FIFA 100

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  1. テンプレート:Cite web
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  12. ヴィエリ氏:「根っからのユヴェンティーノ」
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