カール・ワイエルシュトラス

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カール・ワイエルシュトラス

カール・テオドル・ヴィルヘルム・ワイエルシュトラスKarl Theodor Wilhelm Weierstraß, 1815年10月31日 - 1897年2月19日)はドイツ数学者。姓はヴァイアーシュトラスと表記するほうがより正確である。

経歴

バイエルン州オステンフェルデの教養あるカトリック教徒の家庭に生まれ育つ[1]

父に言われ、1834年にボン大学に入学し法律や経済学を専攻したものの[1] 、真の関心は数学にあり[1]ビールと決闘に熱中して4年間で一つも単位を取らなかった。その後、1839年にミュンスター大学教職課程に入り、クリストフ・グーデルマンに出会い、楕円関数論への関心を持つようになった[1]。卒業後、26歳で教員として田舎の高校に就職する[1]。教員としての仕事(数学国語地理、そして体操まで教えた)をしながら、ニールス・アーベルの定理とカール・グスタフ・ヤコブ・ヤコビの二重周期関数の研究の統合を目指した。

1854年、クレレ誌にヤコビ逆問題に関する論文を掲載され[1]、1856年ベルリン大学に招聘される。1864年に正教授に就任[1]、最後までこの地位にあった[1]。晩年は数学界の権威として尊敬され、ベルリン大学でも多くの聴衆を集めた[1]

業績

初期の業績は超楕円積分の研究で、これがきっかけでベルリン大学に招聘された。楕円関数論では、位数2の楕円関数である<math>\wp</math>関数の研究を行い、複素解析では、解析接続に基づいた厳密な方法を発展させた。その他、イプシロン-デルタ論法、一様収束の概念の考案など、微分積分学の基礎付けや、一変数複素関数、代数関数のべき級数による理論の整備に業績を残した。とくにリーマンとともに複素解析の研究を進めたのは有名であり[1]、リーマンが直感的方法を好んだのに対してワイエルシュトラスは厳密な解析的手法を好んだとされる[1]。いたるところ微分不能な連続関数の具体例を示し、実解析においてもその名を轟かし[1]極小曲面の理論で幾何学にも業績がある[1]

弟子には、ミッタク=レフラーソフィア・コワレフスカヤがいる。

参考文献

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  • 1.00 1.01 1.02 1.03 1.04 1.05 1.06 1.07 1.08 1.09 1.10 1.11 1.12 日本数学会編、『岩波数学辞典 第4版』、岩波書店、2007年、項目「ワイエルシュトラス」より。ISBN 978-4-00-080309-0 C3541