オック語

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テンプレート:出典の明記 テンプレート:Infobox Language オック語l'occitan または lenga d'òc)は、ロマンス語のひとつで、フランスの南部、正確にはロワール川以南から、現在のローヌ=アルプ地域圏一帯、バスク語圏、カタルーニャ語圏を除いた地域で話されている諸言語の総称である。フランス以外にもイタリアピエモンテ州の一部、スペインカタルーニャ州アラン谷ではオック語の一つガスコーニュ語の方言アラン語が話され、同地域の公用語の一つとされていたが、2006年のカタルーニャ州自治憲章の改訂によって2010年同州の公用語のひとつに認められた[1]

政治的な理由からフランス語オイル語から派生した)の方言とされてきたが、スペイン語イタリア語フランス語同様、俗ラテン語から派生したロマンス語のひとつである。ガロ・ロマンス系のフランス語(オイル語)よりむしろイベロ・ロマンス系のカタルーニャ語に近い。

概要

現代標準フランス語のoui (「はい」の意)に当たる言葉が oc であったことに由来しているとされ、中世イタリアの詩人ダンテも著書で言及している(一方標準フランス語とされているロワール川以北では oïl であったとことからオイル語と呼ばれる)。そもそも北フランスと南フランスは地理的に近いながらも大きく異なる歴史的経緯を経て今日に至っていて、それが言語的対立の遠因となっている。

北フランスは中世初期に西方から侵攻して来たフランク族に支配され、その王国(フランク王国)によって進められた中央集権化政策の下、ゲルマン語派に属するフランク族の言葉と俗ラテン語が混ざり合い形成されたオイル語が盛んに広められた。フランク王国が消滅し後裔のフランス王国が北フランスを支配する時代になってもこの傾向は続いた。一方、南フランスは様々な理由からフランク王国の完全な支配下には入らず、幾つかの貴族領に分かれて独自性を保った事から、その言葉もロマンス諸語としての特徴を色濃く残した言語として発展しオック語となったのである。中世時代の南フランスではオック語の文学作品や詩が盛んに記され、これは今日のオック語研究の要となっている。

北仏と南仏が本質的に統一されたのは宗教的対立を切っ掛けにして起きたアルビジョワ十字軍(1209年 - 1229年)によってであり、この戦いに敗れた南仏諸侯は北仏諸侯に服従する。フランス王国はオック語を歪んだ存在として否定し、公的な価値を剥奪した(ヴィレル=コトレの勅令)。これによりオック語は公式の言葉としては衰退したが、民衆の話言葉という形で密かに生き残った。その後、フランス革命が勃発するとオック語を公用語とする自治区の形成が試みられたが、急進左派(ジャコバン派)の反発で頓挫してしまう。革命が潰えてもオック語復権の機運は消えなかったが、高まる運動が分離主義に繋がる事を危惧したフランス政府は1881年にオック語の学校教育を法律で禁止した。しかし、20世紀の初め、プロヴァンス語(オック語の一方言)の文学者フレデリック・ミストラルによるノーベル文学賞の受賞はオック話者を大いに勇気付けた。

フランスは近代国家による中央集権化の一環として言語の人為的操作を最も強硬に、また早い段階で進めて来た国家であり、方言禁止政策や標準語という名の人工言語の制定などは他の国家にとってのモデルケースとなった。しかしこうした行為はかつてのローマ化と同じ緩やかな民族浄化政策と呼びうるものであり、特に冷戦終結後の欧州では欧州共同体が地方言語の保護を加盟各国に促すなど、見直しが進められつつある。しかし欧州共同体の中核を成すフランス政府は依然として地方言語を方言として弾圧し、1999年にはシラク大統領が言語保護の条約にサインを拒否している。2008年6月21日にはフランス上院が地方言語の保護を求める条例を否決して、南部で大きなデモ活動が行われた。

マスメディアの浸透もあってオック語は窮地に立たされており、テンプレート:要出典の高齢化も指摘され、これから如何にしてオック語を若い世代に継承するかが重要なテーマとなりつつある。

方言

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オック語の方言 (Pèire Bècによる)

オック語自体も当然ながら地域によって違いがあり、大きく分けてテンプレート:仮リンクテンプレート:仮リンクガスコーニュ語の三つに分けられる。これらを一つの言語の方言とみなすか、それぞれが更に異なる言語とみなすかは意見が分かれている。

オクシタニア

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オクシタニアとはオック語話者が居住する地域の総称で、フランス南部(ロワール川以南)、イタリアピエモンテ州の一部、スペインカタルーニャ州アラン谷などを含み、人口は1400万に達する。近代以降、数多く例がある通り言語の違いは異なった帰属意識を生む可能性を持っている。それはオック語を用いる人々の間でも変わらず、多くの人々はオック語の第二公用語化やより強力な自治権を希望し、少数ながら独立を画策する者も存在するとされる。

尚、フランス南部地域のラングドック(Langue d'oc)は、かつてオック語が話されていた地域であったので、そう呼ばれている。

脚注

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関連項目

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外部リンク

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  1. テンプレート:Cite web