エヴァネッセンス

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テンプレート:Infobox Musician エヴァネッセンスEvanescence)は、アメリカ合衆国アーカンソー州リトルロック出身のゴシック・メタルバンドで、エイミー・リーベン・ムーディーを中心に結成された。

2003年、インディーズレーベルワインド-アップ・レコーズよりレコードデビュー。1stアルバム『フォールン』は全世界で1500万枚を売り上げ、グラミー賞2部門を獲得して一躍スターとなった。その後、設立者の一人であるムーディーが脱退するなど、メンバー・チェンジを繰り返しながら活動中。

経歴

結成、デビューまで

エヴァネッセンスは、エイミー・リーベン・ムーディーが中学時代に出会ったことに始まる。リーがユース・キャンプ中のレクリエーションでミート・ローフの「愛にすべてを捧ぐ - I'd Do Anthing For Love」(『地獄のロック・ライダーII』収録)をピアノで弾き語りしているのに惹かれ、ムーディーが一緒にバンドをやろうと持ちかけたのだ。

リーとムーディーを中心に 『Evanescence EP』(1998年)、『Sound Asleep EP / Whisper EP』(1999年)を Big Wig Entertainment より、リリース。この内、共作第2作目「Understanding」が地元ラジオ局でチャート・インするという幸運に恵まれる。しかし、この時は他にバンドメンバーもおらず、ライブなどの活動を満足に行えずにいた。続いて2000年に、キーボーディストとしてデヴィッド・ホッジスを迎えて3人となった彼らは『Origin』を発表する。

デビュー前の3作『Evanescence EP』『Sound Asleep EP / Whisper EP』『Origin』は、リー自身がデモ集と位置づけており、正確にはアルバムとは認識されていない。しかし、これらは初期の彼らを知る重要な作品であり、しかも再発売の予定が全くないため、海賊版の取引が横行している。そのため、リーはファンサイトでダウンロードするなどして、入手するようにインタビューなどで繰り返し勧めている。これらを購入する行為は、海賊版の販売者が利益を得るに過ぎないためである[1]

フォールン

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エヴァネッセンス(2003年)

ワインド-アップ・レコーズと契約した3人は、2002年にアルバム『フォールン』のレコーディングを開始。12月29日に、ホッジスが脱退するもアルバムを完成させ、2003年3月4日に同作品でアメリカデビューとなった。アルバムからのリードシングル「ブリング・ミー・トゥ・ライフ - Bring Me To Life」が映画「デアデビル」のサントラに使用された事もあり、大ヒットを記録。世界で1400万枚のセールスを記録した。グラミー賞では最優秀新人賞と最優秀ハードロック・パフォーマンス賞を受賞。

遅れて6月25日にアルバムが発売となった日本でも人気に火がつき、ゴールドディスク獲得、さらに日本ゴールドディスク大賞ではニュー・アーティスト・オブ・ザ・イヤーを受賞した。

エイミー・リーとベン・ムーディーは、ギタリストとしてジョン・ルコンプ、さらにデモの録音などにも携わったドラムスのロッキー・グレイ、ベースのウィル・ボイドを加えた5人体制でバンドを固め、プロモーションとツアーを始める。しかしその最中、ヨーロッパツアー中の2003年10月22日、ムーディーがバンドから出奔するという事件が起こる。ギタリストでコンポーザーでもあるムーディーを失う痛手を受けつつもバンドはツアーを強行し、後任にはコールドのテリー・バルサモを迎えた。なおバンド脱退の理由についてムーディーは「創造性の相違」などを語っていたが、後に双極性障害なども理由であったことを告白している。

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エイミー・リー(左)とテリー・バルサモ(2004年5月25日)

新たなラインナップとなったエヴァネッセンスは、パリでのライブを『エニウエア・バット・ホーム』として2004年に発売した。

ザ・オープン・ドア

ファースト・アルバム『フォールン』発売より3年の月日を経て、セカンド・アルバム『ザ・オープン・ドア The Open Door』が2006年9月27日に日本先行発売、欧米は2006年10月3日に発売された。全米1位、全英2位を獲得する。アメリカでの初動売上は、40万枚前後を記録。アルバムからの先行1stシングルは、8月にラジオオンエアを解禁された「コール・ミー・ホウェン・ユー・アー・ソバー - Call Me When You're Sober」となった。

2006年7月14日に、バンドのベーシストであるウィル・ボイドの脱退を発表した。脱退の理由として、「大規模なコンサート・ツアーへの苦痛」と「家族のそばに居たい」というのが理由とされる。ボーカリストのリーは「彼が幸せであることを祈っている」とコメントしている。2006年8月10日に、元レヴォリューション・スマイルのギタリストのティム・マッコードがベーシストとしてバンドに参加することが発表された。

アルバムに伴うツアーは、10月5日にカナダのトロントより始まり、アメリカとヨーロッパを回る。1月23日から日本ツアーを開始してなんばHatchを皮切りに、24日 Zepp Osaka、26日 Zepp Nagoya、28日 横浜BLITZ、30日、31日 Zepp Tokyoと回った後、オーストラリアへ飛び、2度目のアメリカ・ツアー。

休暇中の2007年5月4~5日(アメリカ時間)に、ジョン・ルコンプロッキー・グレイが解雇されたことが明らかになった。後任として現ダーク・ニュー・デイのウィル・ハント(ドラムス)とトロイ・マクローホーン(ギター)をツアー終了までのメンバーとしてツアーを再開、コーンらとともにファミリー・ヴァリューズ・ツアー 2007を行った。

エヴァネッセンス

2009年に、3人はライヴ活動を開始し、2010年に入ると3rdアルバムリリースに向けてのレコーディングを開始した。レコーディングには、2007年のツアーメンバーでもあったドラムスのウィル・ハントが参加している。レコーディング開始当時のプロデューサーは、スティーヴ・リリーホワイトだったが、後にフー・ファイターズアリス・イン・チェインズなどを手がけたニック・ラスカリニクス(Nick Raskulinecz)に切り替えられた。2010年の夏・秋リリースに向けてレコーディングを進めていたが、エイミーが創作意欲に勤しむため一時スタジオを離れ休暇をとることを決断、その後結局アルバムリリースは2011年まで延期することが決定した。

2011年4月にニックと再びレコーディングを開始することが発表され、また同年6月には、ウィル・ハントと共に2007年のツアーメンバーだったトロイ・マクローホーンがギタリストとして正式に加わることも発表された。

このアルバムに収録されている「Never Go Back」は、東日本大震災を受けて作られた曲である。

セルフタイトルの3rdアルバム『エヴァネッセンス』は、2011年10月に発売された。全米ビルボードアルバムチャート1位を獲得。

メンバー

現在のメンバー

元メンバー

セッション・ライヴミュージシャン

ディスコグラフィー

アルバム

ライブアルバム

EP

  • Evanescence EP (1998年)
  • Sound Asleep/Whisper EP (1999年)
  • Mystary EP (2003年)

シングル

  • Bring Me To Life (2003年)
  • Going Under (2003年)
  • My Immortal (2003年)
  • Everybody's Fool (2004年)
  • Call Me When You're Sober (2006年)
  • Lithium (2007年)
  • Sweet Sacrifice (2007年)
  • Good Enough (2007年)
  • Together Again (2010年)
  • What You Want (2011年)
  • My Heart Is Broken (2011年)
  • Lost In Paradise (2012年)

関連項目

脚注

  1. テンプレート:Cite video

外部リンク

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