ウルム

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

テンプレート:Infobox Settlement

ファイル:Ulm Donauschwabenufer1.jpg
ウルム大聖堂とその周辺
ファイル:Strassenbahn ulm stadion.JPG
ドナウスタジアム停留所のシュトラーセンバーン車両
ファイル:03092611Ulm.jpg
大聖堂へスクールトリップ
ファイル:03092612Ulm.jpg
大聖堂よりドナウを望む
ファイル:Ulm 1900.jpg
ウルムの風景(1900年頃)

ウルムアレマン語・標準ドイツ語Ulm)は、ドイツ連邦共和国バーデン=ヴュルテンベルク州南部に属する都市。

世界で最も高い尖塔を有するウルム大聖堂ルネ・デカルト直交座標系を思いついた地、物理学者アルベルト・アインシュタインの出生地として知られる。人口は約12万人(2004年末)。

地勢・産業

ドナウ川の左岸、バーデン=ヴュルテンベルク州とバイエルン州の州境に位置する。商工業が盛ん。近隣の都市としては、ドナウ川の東側に隣接するノイウルム(新ウルムの意)、約70キロ東にアウクスブルク、55キロ西にロイトリンゲン、70キロ北西にシュトゥットガルトが挙げられる。

歴史

ドナウ川沿いに位置したため、中世より交通の要所として栄えた。12世紀には、帝国都市としての特権を認められた。1327年にはツンフト闘争を通じて、手工業者が市政に関わるようになった。14世紀後半に成立したテンプレート:仮リンクにおいては、中心的な役割を果たした。1619年、フランスの哲学者デカルトは、この街の近郊にある炉部屋での思索を通じて、生涯を通じて彼を虜にする「驚くべき学問の基礎」を見出したとされる。

1805年、20万を超えるナポレオンの大軍が、ウルムでオーストリア軍を撃破した。この2ヶ月後、ナポレオンはアウステルリッツの戦いで、オーストリア・ロシア軍に大勝を収めることになる。

第二次世界大戦においては、旧市街の80パーセントほどが破壊される打撃を被ったが、大聖堂は無事であった。また、街も戦後に復興を果たして今日に至っている。

文化

ミュンスターと呼ばれるゴシック建築ウルム大聖堂(厳密には小教区教会)が有名である。尖塔は高さが161.53メートルで、教会の塔として世界一の高さを誇る。また、指揮者カラヤンは、この街の市立歌劇場において、オペラ『フィガロの結婚』でデビューを果たしている。

東京タワーの第一展望台とほぼ同じ高さの尖塔の先端140m近辺まで、螺旋階段により登ることができる。登り切るまで約30分かかる。螺旋階段には大きな風抜きの窓が随所に開けられており、降りは遥か彼方下方に小さな人影をみて、地震が来て塔が崩れないことを祈る心地になる。

人口10万人程度の地方都市であるが、町にはLRT:路面電車(シュトラーセンバーン)が走っている。

またアウトバーンの交通の要衝(十字路)になっており、西のカールスルーエ、シュトゥットガルトよりミュンヘンへ向かうアウトバーン8号線、北のヴュルツブルクより南のフッセンへ向かうアウトバーン7号線の交差点(Kreuz:クロイツ)になっている。アウトバーンの路線番号は東西方向が偶数、南北方向が奇数に割り振られている。

スポーツ

ウルム出身の人物

ウルムに関係がある人物

姉妹都市

早口言葉

ウルムはドイツでは早口言葉でも有名である。

In Ulm, um Ulm, und um Ulm herum.

脚注


外部リンク