イモ欽トリオ

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イモ欽トリオ(イモきんトリオ)は、日本のテレビ番組起源のコミックソングユニット[1]

概要

1981年フジテレビで放送されていたバラエティ番組欽ドン!良い子悪い子普通の子」のレギュラーである、ヨシオ役の山口良一、ワルオ役の西山浩司、フツオ役の長江健次とで結成されたコミックソングユニット。近年増えるバラエティー番組を起源とする企画ユニットの元祖的存在[1]。ユニット名の由来は当時人気だった「たのきんトリオ」と「YMO(=イモ)」、そしてもちろん「萩本欽一」から。また、長江は「たのきんトリオよりイモ臭いから」という発言もしている。

デビュー曲は『ハイスクールララバイ』。楽曲提供に同年松田聖子近藤真彦をブレイクさせた作詞家松本隆、アルバム「BGM」リリース直後のYMOの細野晴臣を迎えた。テクノポップブームに見事に便乗し、企画ものとしては異例の大ヒット。売り上げ160万枚のミリオンセラーを記録し[2]、TV番組『ザ・ベストテン』でも8週連続第1位を達成した。レギュラー音楽番組視聴率歴代1位でもある『ザ・ベストテン』最高視聴率41.7%(ビデオリサーチ調べ・関東地区)を記録した1981年9月17日放送日の1位でもある[3]。また、振付がYMOのスタイルを模した楽器演奏であり、エアキーボード[4]、エアドラムの先駆である(エアギターの項参照)。これらの振りは、長江のレコーディング中、暇な山口と西山の2人で考えたもので、楽器演奏の真似をしたのがきっかけで生まれた[5]

その後もテクノ歌謡路線でシングルを合計3枚リリースし、デビュー曲の大ヒットの勢いの中でLP「ポテトボーイズNo.1」をリリース。数々の人気作家・ミュージシャン(主な演奏はムーンライダーズ)が参加している。

1982年をもって長江健次が大学受験等のために脱退し、フツオが二代目(後藤正・放送期間中に番組を降板し、同時に芸能界を引退)に代わった、三代目フツオは3人居てそれぞれ「フッ君」「ツッ君」「オッ君」と呼ばれ最終的にオッ君役だった境田晃一が三代目フツオとなる、番組終了とともに解散。現在はオリジナルメンバーにより、時折、再結成している。

2007年24時間テレビでは、萩本欽一のマラソン応援の為にメンバーが集結したが、山口が寄席の為出演できず、勝俣州和が山口の代理として『ハイスクールララバイ』を披露した。

ディスコグラフィー

シングル

アルバム

メディア

書籍

  • イモ欽トリオの 笑うんだランド - 良い子・悪い子・普通の子 (1981年1月)

CM

脚注

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関連項目

  • 1.0 1.1 イモ欽トリオ、27年ぶりの再結成イベントに1500人 ... - ORICON STYLE
  • TVガイド編集部編『テレビ40年in TVガイド』東京ニュース社、1991年、210頁。(初出は『週刊TVガイド』1981年12月18日号)
  • 音楽高世帯視聴率番組|ビデオリサーチ
  • 実際には、シンセサイザーのパッチング(プラグの差し替え)を模しているため、坂本龍一の演奏よりは、マニピュレーター松武秀樹の動作を真似していると言える
  • 2008年11月8日、東京・池袋のサンシャインシティ再結成イベントでの発言。