イベンダー・ホリフィールド

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イベンダー・ホリフィールドEvander "The Real Deal" Holyfield1962年10月19日 - )は、アメリカ合衆国アラバマ州出身のプロボクサー1984年ロサンゼルスオリンピック銅メダリスト。

来歴

1984年、プロデビュー。

1986年7月12日、ドワイト・ムハマド・カウィに判定勝ちし、WBA世界クルーザー級タイトルを獲得。

1987年5月15日、リッキー・バーキーに3ラウンドKO勝ちし、IBF世界クルーザー級タイトルを獲得し、2団体タイトルを統一。

1988年4月9日、カルロス・デ・レオンに8ラウンドTKO勝ちし、WBC世界クルーザー級タイトルを獲得し、3団体タイトルを統一。タイトルを返上し、ヘビー級に転向。

1989年3月10日、元WBA世界ヘビー級王者のマイケル・ドークスを10ラウンドTKOで破り、WBC米大陸ヘビー級タイトルを獲得。3度防衛。

1990年10月25日、ジェームス・ダグラスを3ラウンドKOで破り、WBA・WBC・IBF統一世界ヘビー級タイトルを獲得。2階級制覇。3度防衛。

1992年11月13日、リディック・ボウに判定負けし、王座から陥落した。

1993年11月6日、リディック・ボウに判定勝ちし、WBA・IBF世界ヘビー級タイトルを獲得。

1994年4月22日、マイケル・モーラーに判定負けし、WBA・IBF王座から陥落した。

1995年11月4日、リディック・ボウとノンタイトル戦で対戦し、8ラウンドTKO負け。

1996年11月9日、マイク・タイソンに11ラウンドTKO勝ちし、WBA世界ヘビー級タイトルを獲得(3度目の返り咲き)。

1997年6月28日、マイク・タイソンと再戦。タイソンに耳を噛み切られ、3ラウンド反則勝ち。WBAタイトルを防衛。

1997年11月8日、マイケル・モーラーに9ラウンドTKO勝ちし、IBF世界ヘビー級タイトルを獲得。WBAタイトルとの王座統一に成功した。

1999年3月13日、WBC王者レノックス・ルイスとの3団体統一戦に臨むが、引き分けとなった。

1999年11月13日、レノックス・ルイスとの再戦で判定負けし、WBA・IBF王座から陥落した。

2000年8月12日、空位のWBA世界ヘビー級タイトルをジョン・ルイスと争い、判定勝ちで獲得(4度目の返り咲き)。

2001年3月3日、ジョン・ルイスに判定負けし、WBA王座から陥落した。

2001年12月15日、ジョン・ルイスの持つWBA世界ヘビー級タイトルに挑戦するが、引き分けとなり王座獲得ならず。

2002年12月14日、クリス・バードと空位のIBF世界ヘビー級タイトルを争うが、判定負け。

2004年11月13日、ラリー・ドナルドとマイナータイトル(NABCヘビー級王座)をかけて対戦するも判定負け。ニューヨーク州のアスレチック・コミッションから引退勧告を受けた。

2006年8月18日、現役復帰戦を行い、2ラウンドTKO勝ち[1]

2006年11月10日、過去に2度の世界王座挑戦経験があるフレス・オケンドと対戦し、1ラウンドにダウンを奪うなどして12ラウンド判定勝ち[2]。空位のUSBAヘビー級タイトルを獲得。

2007年10月13日、モスクワでスルタン・イブラギモフの持つWBO世界ヘビー級王座へ挑戦するが、0-3の判定負け[3]。この試合は、イブラギモフと対戦予定だったWBA世界ヘビー級王者、ルスラン・チャガエフの体調不良による出場辞退のためにホリフィールドにチャンスが回ってきたものだったが、44歳での世界王座復帰は成らなかった。

2008年12月20日、スイスのチューリッヒで行われたWBA世界ヘビー級タイトルマッチで、王者のニコライ・ワルーエフに挑戦するも、0-2の判定負け。46歳での世界王座挑戦は「無謀な挑戦」とも囁かれたが、予想に反しての大善戦であった。

2010年4月10日、WBF世界ヘビー級タイトルマッチでフランソワ"ザ・ホワイト・バッファロー"ボタと対戦し、8回TKO勝ちを収め王座を獲得した[4]

2012年10月、クリチコ兄弟への対戦が不可能になったことと年齢上の問題を理由に引退をほのめかす発言を行ったが、公式引退声明は出していない。

2014年6月、正式に引退を表明、2011年5月のブライアン・ニールセン戦が最後の試合。

ドーピング

ホリフィールドはステロイドあるいはヒト成長ホルモンによるドーピングを行っていたことが確実視されている。

エピソード

耳噛み事件で対立したタイソンとは、2009年に揃ってテレビ出演したときに和解している。タイソンは当時の行為をわびた上で「ホリフィールドは素晴らしい人間」と評した[5]。2013年2月には一緒にプロモーション活動を行い[6]、ホリフィールドは「ふたりのファイターがすべてを許しあい、和解したメッセージを世界の人に送りたい」と発言した。[7]

日本には、1990年2月に次の対戦相手となるタイソン対ジェームス・ダグラスの世界戦を観戦するために来日し、東京ドームのリングサイド席でタイソンのKO負けを見届けた。2013年7月に久しぶりに来日し、招かれたスポーツ平和サミット東京大会で、東日本大震災で被災し避難生活を続けながらもオリンピック選手を目指して練習している、福島県富岡第一中学・高校バドミントン部の選手を直接励ました[8]

脚注

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関連項目

外部リンク

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  1. 43歳ホリフィールド再起戦 格下に楽勝 ボクシング総合ポータル「Box-on!」 2006年8月19日
  2. 44歳ホリー、再起2戦目飾る-オケンドに3-0判定勝ち ボクシング総合ポータル「Box-on!」 2006年11月12日
  3. ホリフィールド「5度目」失敗 WBOヘビー級戦イブラギモフV1 ボクシング総合ポータル「Box-on!」 2007年10月15日
  4. 47歳ホリフィールド、ボタを倒す ボクシングニュース「Box-on!」 2010年4月13日
  5. タイソン氏とホリフィールド氏が和解 日刊スポーツ 2009年10月18日
  6. タイソン氏&ホリフィールド氏 スーパーマーケットで再会 スポーツニッポン 2013年2月18日
  7. 【ボクシング】マイク・タイソンが因縁のライバルと仲直り? web Sportiva 2013年3月12日
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