アーノルド・シュワルツェネッガー

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テンプレート:ActorActress アーノルド・アロイス・シュワルツェネッガー(Arnold Alois Schwarzenegger, 1947年7月30日 - )は、アメリカ合衆国ボディビルダー映画俳優政治家実業家。2003年から2011年にかけてカリフォルニア州知事を務めた。日本ではシュワちゃんの愛称で呼ばれている。

概略

2003年8月にカリフォルニア州知事のグレイ・デイヴィスがリコールされたことを受け知事選へ出馬し、10月7日にカリフォルニア州知事に選出された。

ボディビルダー時代には「オーストリアン・オーク(The Austrian Oak)」の愛称を持ち、最近はその出演作から「ガバナーター」または「ガバネーター」(The Governator=知事(Governor)とターミネーター(Terminator)の合成語)、「コナン・ザ・リパブリカン(共和党員コナン)」(主演作『コナン・ザ・グレート』の原題『コナン・ザ・バーバリアン(野蛮人コナン)』から)などと呼ばれている。青年時代は成功したボディビルダーとして、その後はハリウッド時代の経歴から、世界中に名を知られるようになった。

共和党に所属するが、環境問題に積極的で、同性婚には反対しつつ、同性愛者の人権保障やドメスティック・パートナーシップは支持するなど、政治的には中道的な立場をとっている。葉巻を愛喫し、好きな銘柄はキューバ産のコイーバである。

日本においては、淀川長治がその独特かつ長い姓から一部分を取って命名した「シュワちゃん」という愛称で親しまれており、数度の来日時にはバラエティ番組や各種のCMに出演した。

軍用車両ハマーを初めて自家用車にした一人としても知られる(ハマーはもともとシュワルツェネッガーの要望により、軍用車両のハンヴィーを民生仕様にしたもの)。

オートバイの愛好家でもあり、近年は電気オートバイのようなZEV(ゼロエミッション・ヴィークル)を愛用している。カリフォルニア州の環境政策プロモーションで、電気オートバイの普及も積極的に行っており、購入金額から1500ドル分を州が補助する助成金制度なども進めていて、「カリフォルニアほど、電気オートバイに適した地域はない」と語っている。

1977年に製作された『パンピング・アイアン(鋼鉄の男)』というドキュメンタリーにおいて、ボディビルダー時代にステロイド大麻を使用していたと告白している。肉体作りのために使用していたステロイドについては、使用していたことについての後悔は全く無いと述べ、大麻の使用については、GQ誌でこの事に言及された際に「大麻は麻薬じゃない」と述べた[1]が、彼の報道官は「単なる冗談」だったとして弁解している[2]

略歴

生い立ち

オーストリアシュタイアーマルク州タール・バイ・グラーツ出身。警官のグスタフ・シュヴァルツェネッガー(1907 - 1972)と、アウレーリア・ヤドルニー(1922 - 1998)の間に生まれた。父グスタフはナチス党員。戦中は陸軍の憲兵隊員だったが、アーノルドが生まれる3年前に除隊している[3]。 グスタフは非常に厳しく、体罰やアーノルドを追いかけまわしベルトでたたくなどの虐待的行為も頻繁に行われた。その一方で母親は非常に優しかったという。グスタフは兄弟をスポーツで競わせたが、弟であるアーノルドは当然負けることが多かった。グスタフはカーリング競技のチャンピオン選手であったため、アーノルドもスポーツに強い関心をもち、幼いころからサッカー陸上競技ボクシング水泳などをやっていた。15歳の1962年にサッカーのトレーニングの一環としてウエイトトレーニングを始めた。

1968年に本格的にボディビルをするためジョー・ウイダーに誘われ渡米、アメリカ合衆国に移り住む。英語が流暢でなく、当時の所持金はわずか20ドルであった。1983年にアメリカ国籍を取得したが、オーストリアの国籍も継続して持っている。UCLA経営学政治科学心理学を学んだ。1979年ウィスコンシン大学から国際市場と経営管理に関してB.A.(Bachelor of Arts)を得た。朝にトレーニングをしてから大学に行き、帰宅したらトレーニングをする日課があり、勉強とトレーニングを両立させる毎日を過ごしていたとのこと。

異父兄弟マインハルトは1971年に自動車事故で死亡、父親のグスタフはその翌年死亡している。

ボディビルダーとしての経歴

シュワルツェネッガーはボディビルダーとしてその名が広く知られるようになった。10代のころから競技を始め、オーストリアの故郷に居た頃は自前のウェイトトレーニング設備がオーストリアの寒さによって冷やされトレーニングの際には鉄が手にくっついてしまったというエピソードもある。

兵役義務の頃に、軍に無断で外出をしてボディビル大会に参加もしている。当然ながら無断で外出をするのは規律違反であり、営倉(軍隊内にある牢獄)に入ってしまう。しかし大会で優勝している事で、すぐ放免になった。

その鍛え抜かれた肉体は「オーストリアン・オーク(オーストリアの樫の木)」の愛称をもたらし、ジュニア・ミスター・ヨーロッパ、ミスター・ワールド、五回のミスター・ユニバースなどのタイトルを得ている。

特筆すべきはミスター・オリンピア(ボディビルディングの世界最高峰)での活躍であり、特にアーノルドとその他の選手のオリンピアまでの道のりと、戦いを映したドキュメンタリー『パンピング・アイアン』はボディビル人気に一気に火をつけ、同時にゴールドジムを一躍世界最大のジムにまで成長させた。オリンピアでの戦績の面でもほぼ無敗という記録を持っており、セルジオ・オリバに唯一敗北しているもののそれ以降はまさしく無敗であり、連続して6連勝という記録を作り上げた。

その後いったんは俳優業に移るものの、1980年に突如としてボディビルに復帰した。この復帰はかなり突然のものであり、他のオリンピア出場者が飛行機で乗りあった際も映画の撮影であると思われていたといわれている。この大会において優勝7回という大きな記録を作り上げたが、事前に審査委員がアーノルドと親しい人物と変わっていたり、明らかに体の仕上がりが甘い、映画の宣伝を兼ねた勝利だとの声も上がり疑惑が残ったままの勝利と大論争を巻き起こすこととなった。この際に、優勝を確信されていたマイク・メンツァーはその後もアーノルドと険悪な関係が続いた。

達成した合計7回の優勝という記録は、リー・ヘイニーが1991年に、ロニー・コールマン2005年に共に連続8連覇を成し遂げるまで破られなかった。また連続という点では、ドリアン・イエーツ1997年に連続6連覇を成し遂げている。ちなみにロニー・コールマンへのトロフィー授与の際にはアーノルド自身も立ち会った。

1980年以降ボディビルの大会に選手としては出場していないものの、主にボディビルの知名度を上げるための活動に力を入れており、カリフォルニア州知事となった現在でもオリンピアなどに顔を出し、とくに自身の共同主催するアーノルド・クラシックにはどんなに忙しくても毎年必ず出席している。

彼は知名度の向上に非常に大きく貢献した点などでボディビルの歴史に於いても特に重要な人物と見なされている。

その業績は毎年開催されるアーノルド・クラシック・ボディビル大会やミスターオリンピアにて称えられる。現在もマッスルアンドフィットネス等、フィットネス関連の雑誌にトレーニング理論の記事を執筆中。20世紀最高のボディビルダーと評されることもある。

ボディビルの知名度向上及び肉体派俳優として大きな成功を手にした彼のアナボリックステロイドの使用は論争を巻き起こした。

2013年よりボディビル雑誌の編集長に就任した[4]

俳優としての経歴

全米ボディビルダーで優勝を飾った後、専門のボディビルダーとして大衆から飽きられることに危機感を持った彼は、俳優への転身を図る。その体格を見込まれ、『SF超人ヘラクレス』(1970年)のヘラクレス役としてデビュー。

1977年にドキュメンタリー『鋼鉄の男』に出演する。彼はこの映画を政治家への障害と見なし、1991年に映画の権利、未使用フィルム、スチル写真を購入した。シュワルツェネッガーはこの映画に関しての議論を拒絶しているが、批評家は写真を根拠に彼は目とあごに少なくとも一回の美容整形手術を行っていると主張する。

1982年にジョン・ミリアス監督のヒロイックファンタジー映画『コナン・ザ・グレート』に出演し、主役のコナンを熱演。迫力あるアクションシーンで一躍有名となる。さらに1984年のジェームズ・キャメロン監督によるSF映画ターミネーター』では、同作の悪役アンドロイド「ターミネーター」として観客に強烈な印象を与え、アクション映画俳優として確固たる地位を築き上げる。彼はまた自らの演技にコメディの要素を取り入れることに成功し、それまでのアクション俳優にない「知的」な印象を持つ俳優として人気が出始め、スターとしての地位を確立した。

1987年の『プレデター』(1987)にはミネソタ州知事ジェシー・ベンチュラケンタッキー州知事選に出馬経験のあるソニー・ランダムが出演している。

アクション映画以外にも、名優ダニー・デビートとの競演によるコメディー『ツインズ』(1988)に出演、役柄を広げた。コメディー路線としては『キンダガートン・コップ』(1990)なども挙げられる。前述の二作品におけるそれまで見せる事のなかったコミカルな演技によって、これまでのアクション路線とは一線を画す、新しい境地を見つけたと評価された。

1990年の『トータル・リコール』は当時における史上最高額の制作費が投入された映画であり、その多くは特殊効果を含む美術面と、この時点で1000万ドルを突破した彼の出演料に費やされた。出世作である『ターミネーター』の続編『ターミネーター2』では、役柄が悪役からヒーローへと変わった。1作目とは全てが大きく異なる環境の中で拡大上映された結果、本作は全世界での興行収入が5億6千万ドルを超え、トップスターとしての地位を不動のものにした。

しかしその後、『ラスト・アクション・ヒーロー』(1993)で製作・主演をするが、興行収入が振るわず、『ジュニア』(1994)は酷評される。『イレイザー』(1996)はヒットしたが、『ターミネーター』(1984)以来の悪役を演じた『バットマン&ロビン Mr.フリーズの逆襲』(1997)は映画自体が酷評される。『ターミネーター3』(2003)は久々の大ヒットとなったが映画の評価は高いとはいえなかった。

2004年『80デイズ』を最後に、下記のカリフォルニア州知事選などの政治業を主に行うため俳優業を暫くの間休業することになった。そのため、『ターミネーター4』には出演しなかったが、若き日の顔をアーノルドとよく似たローランド・キッキンガーの体にCG合成することで出演している。また、後に一家で鑑賞した後に子供達に「シリーズ最高の傑作だった」と言われて深く傷付いたとのこと[5]。後にシュワルツェネッガーはインタビューでターミネーター4を批判している。

2011年より州知事の任期終了に伴い俳優業に本格的に復帰している[6]

俳優としての特徴

  • 憧れの俳優として、クリント・イーストウッドジョン・ウェインカーク・ダグラスを挙げている。特にイーストウッドは『荒野の用心棒』の頃からのファンであり、ダーティハリーシリーズに感銘を受けたことでアクション映画を志すようになったという。『ダーティハリー』のDVDには彼のインタビューが収録されている。
  • ターミネーター』における台詞「I'll be back」(また戻ってくる)もしくは「I'm back」(戻ったぞ)は、以後の出演作品の台詞でもしばしばカメオ的に使われた事から世界的に有名になっており、来日した際や日本のみならず海外のマスメディアのインタビューの際にも必ずこの台詞を発している。ターミネーターシリーズ以外でこの台詞が使用されたのは『コマンドー』『ゴリラ』『バトルランナー』『ツインズ』『キンダガートン・コップ』『ラスト・アクション・ヒーロー』『シックス・デイ』『エクスペンダブルズ2』など。
  • 他のアクション俳優と同様にノースタントで演じる事もある。ノースタントで演じた作品に『コナン・ザ・グレート』『コマンドー』『イレイザー』『ターミネーター3』『ラストスタンド』などがある。ジェームズ・キャメロン監督の『ターミネーター2』及び『トゥルーライズ』ではスタントマン、スタントダブルの使用が目立つシーンもあるが、『トゥルーライズ』では高層ビルに設置された戦闘機の模型に実際に乗っているなど体を張った演技もしている。

親友・スタローン

2008年1月24日シルヴェスター・スタローンが主演・監督・脚本を務めた映画『ランボー/最後の戦場』のワールドプレミアを米・ラスベガス市内のホテル「プラネットハリウッド・リゾート&カジノ」で行い、シュワルツェネッガーも息子2人を連れて出席した。舞台挨拶に立ったスタローンは「今日はターミネーターが来ているんだ」と、会場に向かって嬉しそうにシュワルツェネッガーを紹介したという。レストランチェーン「プラネット・ハリウッド」と同ホテルの共同出資者というビジネスパートナーでもあり、会場を同チェーンのラスベガス店にした理由もそこにあった(ただし、シュワルツェネッガーは2000年にプラネット・ハリウッドの株を売却しているため、現在はオーナーではない)。ガッチリと固い握手を交わし、肩をたたき合うなど約5分間の交流に、スタローンは「アーノルドも来てくれたし、素晴らしい夜だ。気分は最高だよ」と述べていた。シュワルツェネッガーは、2006年12月にロサンゼルスで行われたスタローンの『ロッキー・ザ・ファイナル』の試写会場にも足を運んでおり、1年ぶりのツーショットとなった。

2009年2月、スタローンの監督・主演映画『エクスペンダブルズ』へ出演することを明らかにした。スタローンのインタビューによると、現職の州知事ということもあり、他のキャストを立てることも考慮しつつオファーしたところ、職務に影響がないことを条件に快諾したという。映画でシュワルツェネッガーが演じるのは、当初は当時の彼の姿であるカリフォルニア州知事のアーノルド・シュワルツェネッガー本人役であると報道されていたが、後に公開された情報では、スタローン演じる役の元・ライバルで傭兵部隊の元・リーダーで、役名も本名ではないという設定となった。本編では上記の通りライバルPMCの経営者役を演じ、ブルース・ウィリス演じるCIA担当官からの依頼を「自殺行為だ」と断って立ち去る数分間のカメオ出演であった。

2012年の『エクスペンダブルズ2』でもスタローンと共演、カメオ出演ではなくアクションシーンも披露した。

2013年の『大脱出』ではスタローンとのW主演を果たす。

ラストスタンド』のスタントの怪我で入院したときに偶然にもスタローンと同じ病室であった。

政治家としての経歴

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2004年、海軍および海兵隊兵士の帰化式に知事として参列(左)

民主党の強力な地盤であるカリフォルニアで、保守政党である共和党からの立候補だったが、リコールで失職したグレー・デイビス知事(民主党)への反感も手伝い、民主党票も取り込んで有権者の約半数の支持を受けて当選した。これはシュワルツェネッガーの立場(同性愛者の権利や妊娠中絶などについての考え方)が民主党のそれに近いこと、彼が移民であることなどから部分的には説明されたとも言われる。当選した際は「当選したからには私に休みはない。24時間、州知事だ」と声明を発表した。

カリフォルニア電力危機などによって60億ドルにも上る負債を抱えた州の財政をどう再建するか、経済をどのように活性化させるかが特に重要視され、シュワルツェネッガーは「増税なき財政再建」を掲げたことで注目された。と同時に、その公約を裏打ちするだけの具体的な政策がないことを指摘、批判する声もあった。

2004年9月、屍姦(ネクロフィリア)を禁止する法案を承認。これまで法的に罰することが出来なかった死体との姦淫が公式に違法となった。

2004年11月13日に来日して小泉純一郎首相と会談してカリフォルニアの名産品のアピールと売り込んだ。

2005年9月、シュワルツェネッガーは10代の肥満防止対策として州立高校での炭酸飲料の販売を禁止する法案に署名した。これにより今後州立高校の敷地内で販売できる飲料牛乳、果汁50%以上のジュースなど一部のものに限られる。

2005年11月、シュワルツェネッガーは財政改革のための州憲法改正など、4項目を問う住民投票を行ったが、4項目とも大差で否決されてしまった。これにより、シュワルツェネッガーの政治力の低下は避けられないという指摘もなされた。

また、2005年12月13日にはスタンリー・ウィリアムズ死刑囚の恩赦請求を拒否することを発表した。ウィリアムズは4人を殺害した元ギャングの死刑囚で、収監後、改心し反ギャング活動を行い2001年から2005年の間ノーベル平和賞にノミネートされ、多数の減刑嘆願書が出されていた。しかしシュワルツェネッガーは、ウィリアムズが自身の犯した殺人事件を依然として否認し、謝罪も行っていないことから「証拠を検討したが、恩赦を出す余地は見いだせなかった」と今回の決定を説明した。この決定に従い、予定通り12月13日午前0時1分(現地時間)にウィリアムズへの薬物注射による死刑が執行された。

これに伴い、2005年12月27日までにシュワルツェネッガーの出身地であるオーストリア南部のグラーツで、1997年に改名されたサッカー競技場アーノルド・シュヴァルツェネッガー・スタジアムから彼の名前が撤去された。オーストリアでは1950年に死刑制度を廃止し、今回のシュワルツェネッガーの死刑執行命令に批判が高まっていた。

2006年9月8日、非公式の場で共和党ヒスパニック系女性議員に対し差別的な発言を行ったことを記者会見で謝罪した。ただし、彼はこの発言の証拠となるテープの出所が中間選挙での対立陣営からだったとしてその信憑性を疑問視している。

総じて1期目は民主党主導の議会や労組との対立に苦慮し続けたが、ケネディ家に連なる妻の人脈や中道寄りの政治路線によって困難な政治局面を乗り切り、2006年11月の州知事選で再選にこぎつけた。従来から環境問題等に力を入れて、女性票や民主党票を取り込んだ事に成功したためだと言われている。2007年1月5日スキー事故で骨折するが、松葉杖で夫人と2期目の知事就任式に臨んだ。

2007年10月にカリフォルニアを襲った山火事は、州知事就任後最大の試練となったが、災害対応において卓越した指導力を発揮し、党派を越えた賞賛を得た。

2008年1月31日に、ロサンゼルス市内で同じ共和党所属で大統領候補のジョン・マケイン上院議員と共に記者会見を開き、2008年アメリカ合衆国大統領選挙においての支持を表明。マケイン上院議員とは地球温暖化問題などで協力するなど古くからの友人で、マケイン上院議員はシュワルツェネッガーが計画する州独自の排ガス規制に賛意を示していた。しかし、シュワルツェネッガーの妻であるマリア・シュライバー2月3日民主党バラク・オバマ上院議員の支持を表明したため、夫婦で別々の政党の候補を支持する形となった。一方で排ガス規制を提案しているのにもかかわらず、自身はビジネスジェットで通勤しており矛盾を指摘されている。

2009年5月、州の財政難を受け米国民の間でも未だ根強い議論が続いているマリファナ合法化について“検討すべき”だとガーディアン紙に対しコメントした[7]

アリゾナ州にて外見で不法移民とみなされた人物を職務質問でき、在留許可証を所持していない場合犯罪者として取り締まれる法案が通された際これに不快感を示し、「こんな法案はカリフォルニアでは絶対に通さない!」と発言している。

2011年1月3日に2期7年の任期を終え退任した。

2012年8月、南カリフォルニア大学(USC)と共同で国家政策と外交政策を研究するシンクタンクである「USCシュワルツェネッガー研究所」の設立を発表。9月24日に開催されるシンポジウムにはジェームズ・キャメロンユニバーサル・ピクチャーズ社長であるロナルド・メイヤーも参加した[8]

私生活

1977年に彼は自叙伝『Arnold: The Education of a Body-Builder』を出版している。1986年にはケネディ元大統領の姪でCBSのテレビ・ジャーナリスト、マリア・シュライヴァーと10年越しの交際の末 結婚した。2人の間には4人の子供がいる。2011年5月10日に別居を発表[9]。その後に離婚が本人により発表された。理由は20年間シュワルツェネッガー家のメイドであったグアテマラ出身のメイドとシュワルツェネッガーの浮気[10]と、隠し子の存在[11]であることも本人により発表され、「家族らの怒りと落胆は当然で、言い訳できない」と謝罪もしている。

2012年に出演作のひとつであるトータル・リコールに引っかけたタイトルを付けた自伝"Total Recall: My Unbelievably True Life Story" ISBN 978-1451662436が出版された。

事故

2006年1月8日午後、カリフォルニア州ロサンゼルスの路上で、サイドカー付き大型オートバイを運転中に乗用車と衝突事故を起こし、唇を15針縫う怪我を負った。

同10日には、米国での二輪免許の取得歴がなく、現在に至るまで二輪車の無免許運転を繰り返していた疑いの強いことが発覚した[12]。ただし、

  1. 事故時に乗っていたのはサイドカー付きのオートバイであり、同州では自動車の運転免許で運転できる。
  2. 映画やテレビの中での運転シーンは、公道での撮影でなければ問題ない(撮影のために封鎖した道路も同じ)。
  3. ヨーロッパでの二輪免許は取得している。

11日、ロサンゼルス市警察は審議の結果、警察官が運転を現認しておらず、処罰は困難との結論に至ったため、知事を処罰しない方針を決めた。

主な出演作

映画

公開年 邦題
原題
役名 備考
1969 SF超人ヘラクレス
Hercules in New York
ヘラクレス アーノルド・ストロング名義
1973 ロング・グッドバイ
The Long Goodbye
チンピラ クレジットなし
1976 ステイ・ハングリー
Stay Hungry
ジョー・サント
1977 鋼鉄の男 ''Pumping Iron'' - ドキュメンタリー
1979 サボテン・ジャック
The Villain
Handsome Stranger
1980 愛しのジェーン・マンスフィールド
The Jayne Mansfield Story
ミッキー・ハージティ テレビ映画
鋼鉄の肉体/カムバック
The Comeback
- ドキュメンタリー
1982 コナン・ザ・グレート
Conan the Barbarian
コナン
1984 キング・オブ・デストロイヤー/コナンPART2
Conan the Destroyer
コナン
ターミネーター
The Terminator
ターミネーター
1985 レッドソニア
Red Sonja
カリドー
コマンドー
Commando
ジョン・メイトリックス
1986 ゴリラ
Raw Deal
マーク / ジョセフ
1987 プレデター
Predator
ダッチ・シェイファー
バトルランナー
The Running Man
ベン・リチャーズ
1988 レッドブル
Red Heat
イワン・ダンコ
ツインズ
Twins
ジュリアス・ベネディクト
1990 トータル・リコール
Total Recall
ダグラス・クエイド
キンダガートン・コップ
Kindergarten Cop
ジョン・キンブル
1991 ターミネーター2
Terminator 2: Judgment Day
ターミネーター
1993 デーヴ
Dave
アーノルド・シュワルツェネッガー
ラスト・アクション・ヒーロー
Last Action Hero
ジャック・スレイター 兼製作総指揮
1994 トゥルーライズ
True Lies
ハリー・タスカー
ジュニア
Junior
アレックス
1996 イレイザー
Eraser
ジョン・クルーガー
ジングル・オール・ザ・ウェイ
Jingle All the Way
ハワード・ラングストン
1997 バットマン & ロビン Mr.フリーズの逆襲
Batman & Robin
Mr.フリーズ / ヴィクター・フライズ
1999 エンド・オブ・デイズ
End of Days
ジェリコ・ケイン
2000 シックス・デイ
The 6th Day
アダム・ギブソン 兼製作
2002 コラテラル・ダメージ
Collateral Damage
ゴーディー・ブルーアー
2003 ターミネーター3
Terminator 3: Rise of the Machines
ターミネーター
ランダウン ロッキング・ザ・アマゾン
The Rundown
クラブのオーナー カメオ出演
2004 80デイズ
Around the World in 80 Days
プリンス・ハピ
2006 カーズ
Cars
スヴェン アニメ、声の出演
2007 アニー・リーボヴィッツ レンズの向こうの人生
Annie Leibovitz: Life Through a Lens
- ドキュメンタリー
2009 ターミネーター4
Terminator : Salvation
ターミネーター CGによる出演
2010 エクスペンダブルズ
The Expendables
トレンチ クレジットなし
2012 エクスペンダブルズ2
The Expendables 2
トレンチ
2013 ラストスタンド
The Last Stand
レイ・オーウェンズ保安官
大脱出
Escape Plan
エミル・ロットメイヤー
2014 サボタージュ
Sabotage
ジョン・“ブリーチャー”・ウォートン
エクスペンダブルズ3 ワールドミッション
The Expendables 3
トレンチ
Maggie ウェイド
2015 ターミネーター: ジェネシス
Terminator: Genesis
ターミネーター

ミュージック・ビデオ

CM

日本語吹替

日本語吹き替え版では85年の『コマンドー』より玄田哲章が当てる事が多くなり、雑誌メディア等もシュワルツェネッガーの映画作品の特集を組む際には吹き替え声優として玄田哲章にインタビューをしており、吹替に詳しくない映画ファンからも人気が高い。 『クレヨンしんちゃん』、『ザ・シンプソンズ MOVIE』、『瀬戸の花嫁』等のアニメや他の映画でシュワルツェネッガーをパロディにしたようなキャラクターにも玄田が起用される事が多くなった。初期のビデオ版では屋良有作をはじめ他声優が担当している作品が多いが、作品の時期を問わずテレビ放送の際はほぼ玄田である。カリフォルニア州知事就任時、カリフォルニア州が制作した日本向けの観光広報ビデオ『カリフォルニア州観光局 なんでもアリフォルニア カリフォルニア』の日本向けCMを担当する際、正式にシュワルツェネッガー本人からフィックスとして認められた。その後は特に20世紀FOX作品おいて、玄田以外のバージョンしかない作品も玄田版(TV吹替の流用など)が追加、もしくは置き換えられて再発売されている作品がある。パッケージラベルに「シュワルツェネッガーの声といえば玄田哲章」という赤いシールが貼ってある。

主な作品 テレビ版を含めればほぼ全てだがソフト版収録作品を列挙する 『レッドブル』、『ラスト・アクション・ヒーロー』、『エンド・オブ・デイズ』、『シックス・デイ』、『コラテラル・ダメージ』など

ターミネーター以後の80年代、90年代の作品を多く担当。上記のように現在ではテレビ放送、ソフト版のリニューアルなどで玄田になっている作品の多くは当初屋良が吹替えをしていた物が多い。20世紀FOXの吹替の帝王シリーズのインタビューでは当時の事はほとんど覚えていないが、シュワルツェネッガーの体格などはあまり意識せず自分なりの演技をしたとの事。次第に玄田の担当が増え始め、玄田が担当した作品を観るとシュワルツェネッガーは玄田さんだと思ったと語り、20年近く経っての追加収録に際しては当時の自分に近づけるのは難しかったと語っていた。コマンドーの追加収録時にも当時に比べると声が変わったと感じるし、当時は演技的にも未熟な感じがして恥ずかしいと回想していた。

主な担当作品『SF超人ヘラクレス』、『トータル・リコール』、『イレイザー』など

なお、『コマンドー』、『プレデター』の二作は、20世紀FOXの吹替の帝王シリーズより両者の吹替えを収録したソフト版が発売されている(両作ともに『吹替の帝王シリーズ』以外のソフト版では玄田版が収録された物が発売されている)。

また、『ジングル・オール・ザ・ウェイ』ではVHS、DVD用のソフト版が屋良版、フジテレビが制作した玄田版がBDに収録された。本来のソフト版である屋良版はBDに収録されていない。 上記作品のように屋良は準主役の別の役の吹替えを行っている共演作などもある。

関連項目

脚注

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外部リンク

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 |-style="text-align:center"

|style="width:30%"|先代:
グレイ・デイヴィス |style="width:40%; text-align:center"|テンプレート:Nowrap
第38代:2003 - 2011 |style="width:30%"|次代:
ジェリー・ブラウン

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テンプレート:Normdatenテンプレート:Link GA
  1. アーノルド・シュワルツェネッガー、「マリファナは麻薬じゃない」 NCR2 Mon, Oct 29th, 2007
  2. シュワルツェネッガー知事、マリファナ発言は「冗談」 NCR2 Tue, Oct 30th, 2007
  3. テンプレート:Cite news
  4. テンプレート:Cite news
  5. テンプレート:Cite news
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  10. テンプレート:Cite news
  11. テンプレート:Cite web
  12. テンプレート:Cite news
  13. カリフォリニア州観光局「なんでもアリフォルニア」