アレックス・ロドリゲス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

テンプレート:Infobox baseball player アレクサンダー・エマニュエル・"アレックス"・ロドリゲスAlexander Emmanuel "Alex" Rodriguez1975年7月27日 - )は、アメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク市ブルックリン区出身のプロ野球選手三塁手遊撃手)。MLBニューヨーク・ヤンキースに所属。愛称A-Rod(エイ・ロッド)。

経歴

アマチュア時代

1975年7月27日、ニューヨーク市ブルックリン区に生まれる。父親はビクター、母親はローデスで両親は靴屋を営んでいた。兄妹にジョセフとスージーがいる。4歳のときに家族はドミニカ共和国のサントドミンゴに移住。父親はそこでドミニカ共和国のマイナーリーグでキャッチャーをしており、息子のアレックスを度々試合に招いた。父親は薬局を営んだが、最終的にはフロリダのマイアミに落ち着く。アレックスが8歳のときに両親は離婚。母親が女手一つで2つの仕事を掛け持ちし、アレックスを育てた。この頃から野球をやる傍ら、メジャーリーグに興味を持ち始める。お気に入りの選手はデール・マーフィーキース・ヘルナンデス、それにカル・リプケン・ジュニアだった。自身がメジャーリーグにデビューしてからしばらく付けていた背番号3は、デール・マーフィーの背番号に因み、ポジションの遊撃手はカル・リプケン・ジュニアに因むものである。

高校時代はバスケット・ボールではレギュラー、アメリカン・フットボールではクォーターバックとして多くの大学からスカウトの目に留まり、本業の野球では100試合に出場して打率.419、本塁打17、70打点、90盗塁を記録し、1993年オール・アメリカンに選ばれるなど、卓越した運動神経を見せた[1]

マリナーズ時代

テンプレート:Byマイアミ大学への入学書へサインをしていたが、シアトル・マリナーズにドラフト1位(全米1位)指名され、契約を果たす。翌年の1994年7月8日、1900年以降のメジャーリーグの遊撃手としては史上3人目となる18歳で、メジャーリーグのキャリアをスタートさせた。
ファイル:Alex Rodriguez Cannons 1.jpg
マリナーズ傘下カルガリー・キャノンズ時代のロドリゲス(1994年)

テンプレート:Byに、36本塁打、123打点、21歳と史上3番目の若さで首位打者、球団記録となる打率.358、141得点、215安打、54二塁打を記録し[2]、めきめきと頭角を現していった。テンプレート:Byにも打率.300、23本塁打、84打点の好成績を収め、同年6月5日のタイガース戦ではサイクル安打を達成した。

テンプレート:Byには、打率3割、打点100以上に加えて、メジャー史上3人目の40本塁打40盗塁を達成(シーズン40本塁打は遊撃手として史上3人目)し、メジャー屈指の5ツールプレイヤーに成長した。トップクラスのスラッガーでありながら守備負担の大きい遊撃手を守るという、新しいスタイルを確立した。

テンプレート:Byは故障のため30試合以上欠場したが、42本塁打を記録した。テンプレート:Byには打率.316、41本塁打、132打点を残し、自身初となる100四球を記録した。10月30日にFAとなった。

レンジャーズ時代

テンプレート:By1月26日にテキサス・レンジャーズと10年総額2億5,200万ドルという空前の条件で契約に合意。これは当時のスポーツ界で最高の年俸でもあった。既にロドリゲスはメジャーでも屈指のプレイヤーに数えられ、かつ最高の将来性を持つ存在であったが、この超長期契約とあまりの高額ぶりは、野球界を超えて大きな話題を呼んだ(代理人は辣腕で知られるスコット・ボラス)。古巣マリナーズの本拠地セーフコ・フィールドでの試合では、大ブーイングとともに札束の玩具をばらまかれるといった手荒い歓迎がしばらく続いた。

レンジャーズの3年間に残した成績は文句のつけようのないもので、2001年にリーグ1位の52本塁打、133得点、393塁打、テンプレート:Byにメジャー1位の57本塁打、142打点、テンプレート:Byにリーグ1位の本塁打、長打率を記録した。2003年4月には、27歳149日で史上最年少で300本塁打[3]を達成、史上2人目の最下位チームからのMVP獲得をするなど、ロドリゲス個人は活躍を見せた。しかし、チームは3年連続の地区最下位となり、その高額年俸がチーム再建の足かせとなってしまった。

ヤンキース時代

ファイル:Jeterandrodriguez.JPG
守備に就くデレク・ジーター(左)とロドリゲス

テンプレート:By2月15日にレンジャーズが1億7,900万ドルのうち6,700万ドルの年俸を負担することを条件に、アルフォンソ・ソリアーノらとのトレードでニューヨーク・ヤンキースへ移籍した。

マリナーズとレンジャーズでは遊撃手を務めていたが、ヤンキースにおいてはキャプテンであるデレク・ジーターの守備位置であったため、移籍に伴い三塁手にコンバートされた。それまでつけていた背番号3は、ヤンキースではベーブ・ルース永久欠番でつけることが許されず、変更を余儀なくされ、NFLマイアミ・ドルフィンズの往年の選手ダン・マリーノにならって13番を選択した。

ヤンキース初年となった2004年は36本塁打、106打点という一定の数字を残したが、期待されていた内容としては物足りないとされた。ボストン・レッドソックスとのリーグチャンピオンシップシリーズでは、ゴロを打って1塁へ走る際、自身をタッチアウトにしようとした投手ブロンソン・アローヨのグラブをはたき、守備妨害でアウトになった。このプレーは波紋を呼び、試合後に「子供じみたプレー」とバッシングを受けた。同シリーズは3連勝後に4連敗という最悪の形で落としている。

テンプレート:By6月、メジャーリーグ史上初めて20代で通算400本塁打を達成。最終的にシーズン48本塁打を放ち、4度目の本塁打王とともに2度目のMVPを獲得。ヤンキースでの本塁打王はレジー・ジャクソン以来25年ぶりであった。また、ヤンキース右打者のシーズン最多本塁打数ジョー・ディマジオの46本を68年ぶりに更新した。

テンプレート:Byは30歳にして通算2000本安打を達成したが、シーズンでは7年ぶりに年間塁打数が300を切るなど不調で、自己ワーストとなる24失策を記録するなど攻守ともに精彩を欠いた。

テンプレート:Byは、アメリカンリーグ最速記録となる開幕15試合で12本塁打(30打点)に到達。8月4日、メジャー史上最年少(32歳8日、それまでの記録はジミー・フォックスの32歳338日)、出場試合数では史上3番目の早さ(1855戦目、最速記録はマーク・マグワイアの1639戦目)でメジャー史上22人目の通算500本塁打を達成した。シーズンを通して好不調の波はあったものの、3度目の50本塁打以上、自己最高の156打点を記録し、二冠王に輝いた。2007年10月28日、ヤンキースとの残り3年の契約オプションを行使しない事を表明し、正式にフリーエージェントとなった。その後、12月13日に10年総額2億7,500万ドル(約309億円)、出来高払いを含めると3億ドル(約330億円)の契約で残留した。

テンプレート:Byはシーズン途中に右太ももを痛めて20試合以上欠場したが、11年連続35本塁打以上を記録。9月3日のタンパベイ・レイズ戦では、ロドリゲスがレフトポール際に放った打球にメジャーリーグ史上初めてビデオ判定が適用された(判定は本塁打)。年末には2009年に行われるWBCにはドミニカ代表として出場すると表明した。

テンプレート:By2月7日に2003年の薬物検査でステロイド剤の陽性反応を示したと報じられ[4]、2月9日にそのことを認めた[5]。その後、WBCドミニカ代表の合宿に合流したが、直後に右臀部の故障が判明。WBC出場を取りやめ、緊急手術を受けた。リハビリを経て、5月8日ボルチモア・オリオールズ戦で復帰した。その復帰戦の第1打席で初球本塁打を放ち、現地のYESネットワークの実況は「A fairy tale swing」(おとぎ話のようなスイング)と表現した。10月4日、レギュラーシーズン最終戦となる対タンパベイ・レイズ戦で6回無死1、2塁から逆転3ランを放つと、この回2度目の打席で満塁本塁打を放ち、1イニング7打点のアメリカンリーグ新記録を達成した。この日の2本塁打、7打点で30本塁打、100打点に到達し、12年連続の「30本、100打点」はメジャーリーグタイ記録で、通算13度目はメジャーリーグ新記録となった。

ファイル:A-Rod3.jpg
2007年のロドリゲス
ファイル:Alex Rodriguez 2009 World Series Parade.jpg
2009年のヤンキース優勝パレードの時

テンプレート:By8月4日、35歳と8日で通算600本塁打を達成。同じくヤンキースに所属していたベーブ・ルースの持つ最年少記録(36歳196日)を1歳以上も更新し、ギネス世界記録に認定されている[6]。。シーズンの成績は、本塁打こそ2年連続で30であったが、打点125はデトロイト・タイガースミゲル・カブレラに次ぐリーグ2位の数字であった。また、本塁打30と打点100をいずれもクリアした事で、13年連続「30本塁打・100打点」のメジャーリーグ新記録を生み出し、自身の持つ記録を14度まで伸ばした。

テンプレート:Byは、怪我や不振の影響で99試合の出場に終わり、「30本塁打・100打点」の連続記録は途絶えた。

テンプレート:Byは、手首を死球で骨折するも18本塁打し、2009年シーズン以来の2桁盗塁、13盗塁を記録。だが、10月13日のタイガース戦で試合中にナンパしていた事が報じられた[7]。また17日には、マイアミ・マーリンズへトレードの可能性が報じられた[8]

テンプレート:By1月16日に左股関節の手術を受け、開幕後は60日間の故障者リスト入りした。1月31日には「マイアミ・ニュータイムズ」社がフロリダ州マイアミのアンチエイジング専門クリニック「バイオジェネシス」から禁止薬物の提供を受けていたとされる疑惑が発覚した[9]8月5日、メジャーリーグ機構は禁止薬物を使用していたとして、8月8日から2014年シーズン末までの全ての試合(211試合)の出場停止処分とする事を発表した[10]。これに対しロドリゲスは異議申し立ての方針を示しており、[11]同日の対シカゴ・ホワイトソックス戦で今季初出場し、4打数1安打。異議申し立てを行ってる間は出場が認められる[12]。 8月26日、トロントでのブルージェイズ戦で今季3号本塁打を放ち、歴代5人目の通算650本塁打とした。

テンプレート:By1月11日にメジャーリーグ機構がポストシーズンを含む、2014年シーズンの全試合出場停止処分を発表した[13]。2月7日にロドリゲスの代理人らは、出場停止処分の撤回を求める訴訟を取り下げ、出場停止処分を受け入れることを明らかにし、代理人のジョー・タコピーナは「ロドリゲスは2015年に焦点を合わせており、ヤンキースのクラブハウスに戻れることを望んでいる」と話した[14]

選手としての特徴

ファイル:Alex Rodriguez batting stance 2008.jpg
ロドリゲスの打撃フォーム
内野フライのような急角度で上昇した打球が、勢いを失わずにそのままスタンドインするような弾道を描く打球を放つ[15]

打撃ではバリー・ボンズにはバットスピードでは劣るものの、生来のパワーはボンズ以上とも言われ、フィールドのあらゆるところに打球を運ぶことができる[16]

走塁ではスイングが大きく打席から飛び出すのが遅いながらも一塁到達まで4.2秒の俊足を誇り[16]、シーズン46盗塁を記録したこともある。中軸を打つ機会が多くなってからは盗塁を試みる機会が少なくなったが、成功率は高く、年齢が30代に差し掛かってもなお年間で20程度の盗塁を記録し、必要なときに効果的な走塁をみせる。相手内野手の膝を削るような激しいゲッツー崩しなども果敢に行い、ヘッドスライディングを多用する。

恵まれた大柄な体格と鋭敏な反射神経を誇り、守備範囲は広い。遊撃手としてはデレク・ジーターノマー・ガルシアパーラミゲル・テハダが華やかな動きをするのに対して、より伝統的で基本に忠実な動きをする遊撃手だと評され、打球がホームプレートから離れたその瞬間に動き出し、非常に滑らかな動きの守備をした[16]
ファイル:Alex Rodriguez 2008-05-28.jpg
サードの守備に就くロドリゲス
ヤンキース移籍後はデレク・ジーターが遊撃手として絶対的存在があったため三塁手に転向し、三塁線側からかなり離れて守る。ファウルフライ捕球やバント処理など、三塁手特有の細かいプレーの際にミスがまま見られ、三塁手としては未だゴールドグラブに選出されたことが無い。

国籍

生まれ故郷のアメリカ合衆国と、両親の故郷ドミニカ共和国二重国籍保持者であり、英語スペイン語バイリンガルである[17]。「『俺はドミニカ人だ!』と、声を大にして言いたい」と語っており、ドミニカ人であることを誇りに思っている[18]。幼少時にドミニカ共和国のサントドミンゴに3年間滞在した経験があり、メジャーに昇格する前はドミニカ共和国のウィンターリーグにも参加していた。

ワールド・ベースボール・クラシックにはアメリカ合衆国・ドミニカ共和国の双方で出場資格があり、第1回大会にはドミニカ代表として参加すると見られていたが、一旦は「アメリカ、ドミニカのどちらの名も傷つけたくない」として出場辞退を表明。その後、紆余曲折を経て、結局アメリカ代表として出場した。生まれ育った土地であるアメリカにも強い愛着があり、アメリカの一市民であることを優先させたという[19]

しかし、第2回大会ではドミニカ共和国代表としての出場を表明。再びドミニカ代表のユニフォームを着てプレーすることを、ロドリゲス自身と家族が望んでいると語り、出場を熱望したが[20]、大会直前のドミニカ代表合宿中に右臀部を痛め、本大会でプレーする夢は叶わなかった。

その他

薬物問題

テンプレート:By2月7日、スポーツ・イラストレーテッドは2003年の薬物検査で104人の選手が陽性反応を示し、そのうちロドリゲスはステロイド剤の一種であるテストステロンプリモボランの陽性反応を示したと報じた[4]。ステロイド剤の使用はルールブックへの記載こそ無かったものの、1991年以降医者の指示のない限りは使用を禁止することが通達されていた上、アメリカ国内での流通も法律上禁止されていた[26]。当時は匿名と罰則なしを条件に検査が実施されたため、メジャーリーグ機構はこの件について一切コメント出来ないとした[27]。2008年4月1日に出版されたホセ・カンセコ暴露本第2弾『ビンディケーテッド』でもステロイド使用者としてマグリオ・オルドニェスロジャー・クレメンスと共に名前を挙げられていた[28]。ロドリゲスも当初この件についてはノーコメントを貫いていたが、2月9日にESPNが行った単独インタビューでロドリゲスはテキサス・レンジャーズ時代の2001年から2003年にかけてステロイド剤を使用していたことを認め、謝罪した。史上最高額の契約に見合う力を証明しなくてはならないという重圧を感じていたという[5](翌年の2004年にはテストの時期を事前に選手会のCOOであるマット・オルザから知らされていたとも言われている[26])。 このESPNとの単独インタビュー後はバラク・オバマ米大統領も含め、各方面から様々な意見が出た[29][30][31][32]

翌週にヤンキースのスプリングトレーニングで開かれた記者会見ではドミニカで調達した薬物をいとこに勧められて打ったと新たな告白をしたが、後に2001年から2003年の間ドミニカではプリモボランは処方箋の有無に関わらず入手不可能であったと矛盾点が報道された。またかつてトロント空港で大量薬物所持が見つかりメジャー・リーグ出入り禁止を通告された問題のトレーナーを、MVPを獲った2007年のシーズンを通してロドリゲスがアウェイのホテルに帯同していた事実をあるスカウトが明らかにした。トレーナーは薬物を投与した後その痕跡を消すことができるため選手たちからThe Cleanerと通称されており、2006年WBCではドミニカチームのコーチを務め、2009年もWBCドミニカチームに参加し、一月にはロドリゲスをコーチしている写真も明らかにされたが、この事件で今後WBCからも追放されることとなった。このトレーナーの件についてロドリゲスはノーコメントを通している。

同年4月には新たな暴露本が発売され、高校時代から恒常的にステロイド剤やヒト成長ホルモン剤を摂取してきたという疑惑が持ち上がっている。ロドリゲス本人は、この件についてのコメントを拒否している。また、ホセ・カンセコは、マリナーズ時代のロドリゲスにステロイドについて相談され、入手先を紹介したことを明かしている[33]

2009年末にはヒト成長ホルモン(HGH)の違法所持で逮捕されたカナダ人医師アンソニー・ガレアの治療を受けていたことが判明し、再び薬物スキャンダルの渦中に晒されることになった[34]

2013年1月29日にはバイオジェネシス・スキャンダルが発覚し、2009年から2012年にかけてマイアミの医療機関からHGHやテストステロンなど様々な禁止薬物を購入していたことが暴露された。8月5日に211試合の出場停止処分を科されたが、異議申し立てを行い、試合出場を続けた。シーズンが終了した10月4日に「MLB機構とバド・セリグコミッショナーがアレックス・ロドリゲスの名声とキャリアを失わせるために利用しようとしていた証拠を不適切に集めようとしていた」としてMLB機構を提訴した[35][36]

詳細情報

年度別打撃成績

テンプレート:By2 SEA 17 59 54 4 11 0 0 0 11 2 3 0 1 1 3 0 0 20 0 .204 .241 .204 .445
テンプレート:By2 48 149 142 15 33 6 2 5 58 19 4 2 1 0 6 0 0 42 0 .232 .264 .408 .672
テンプレート:By2 146 677 601 141 215 54 1 36 379 123 15 4 6 7 59 1 4 104 15 .358 .414 .631 1.045
テンプレート:By2 141 638 587 100 176 40 3 23 291 84 29 6 4 1 41 1 5 99 14 .300 .350 .496 .846
テンプレート:By2 161 748 686 123 213 35 5 42 384 124 46 13 3 4 45 0 10 121 12 .310 .360 .560 .919
テンプレート:By2 129 572 502 110 143 25 0 42 294 111 21 7 1 8 56 2 5 109 12 .285 .357 .586 .943
テンプレート:By2 148 672 554 134 175 34 2 41 336 132 15 4 0 11 100 5 7 121 10 .316 .420 .606 1.026
テンプレート:By2 TEX 162 732 632 133 201 34 1 52 393 135 18 3 0 9 75 6 16 131 17 .318 .399 .622 1.021
テンプレート:By2 162 725 624 125 187 27 2 57 389 142 9 4 0 4 87 12 10 122 14 .300 .392 .623 1.015
テンプレート:By2 161 715 607 124 181 30 6 47 364 118 17 3 0 6 87 10 15 126 16 .298 .396 .600 .995
テンプレート:By2 NYY 155 698 601 112 172 24 2 36 308 106 28 4 0 7 80 6 10 131 18 .286 .375 .512 .888
テンプレート:By2 162 715 605 124 194 29 1 48 369 130 21 6 0 3 91 8 16 139 8 .321 .421 .610 1.031
テンプレート:By2 154 674 572 113 166 26 1 35 299 121 15 4 0 4 90 8 8 139 22 .290 .392 .523 .914
テンプレート:By2 158 708 583 143 183 31 0 54 376 156 24 4 0 9 95 11 21 120 15 .314 .422 .645 1.067
テンプレート:By2 138 594 510 104 154 33 0 35 292 103 18 3 0 5 65 9 14 117 16 .302 .392 .573 .965
テンプレート:By2 124 535 444 78 127 17 1 30 236 100 14 2 0 3 80 7 8 97 13 .286 .402 .532 .933
テンプレート:By2 137 595 522 74 141 29 2 30 264 125 4 3 0 11 59 1 3 98 7 .270 .341 .506 .847
テンプレート:By2 99 428 373 67 103 21 0 16 172 62 4 1 0 3 47 1 5 80 13 .276 .362 .461 .823
テンプレート:By2 122 529 463 74 126 17 1 18 199 57 13 1 0 5 51 3 10 116 13 .272 .353 .430 .783
テンプレート:By2 44 181 156 21 38 7 0 7 66 19 4 2 0 0 23 1 2 43 5 .244 .348 .423 .771
通算:20年 2568 11344 9818 1919 2939 519 30 654 5480 1969 322 76 16 101 1240 92 169 2075 240 .299 .384 .558 .942
  • 2013年度シーズン終了時点
  • 各年度の太字はリーグ最高

獲得タイトル・表彰・記録

メジャーリーグ記録

  • 遊撃手の年間得点数 141:1996年
  • 遊撃手の年間長打数 91:1996年
  • 遊撃手の年間長打率 .631:1996年
  • 遊撃手の年間塁打数 393:2001年
  • 遊撃手の年間本塁打数 57:2002年
  • 4月の月間本塁打数(タイ記録) 14:2007年
  • 年間12本塁打到達試合数(タイ記録) 15:2007年
  • 年間13及び14本塁打到達試合数 18:2007年
  • ニューヨーク州出身選手の本塁打数 553:1994年 - 2008年
  • 最年少通算400本塁打 29歳316日
  • 最年少通算500本塁打 32歳8日
  • 最年少通算600本塁打 35歳8日
  • 三塁手の年間本塁打数 52※:2007年
  • 年間50本塁打選手の盗塁数(タイ記録) 24:2007年
  • 通算満塁本塁打 24

※年間54本塁打のうち2本はDH出場。

アメリカンリーグ記録

  • 右打者の連続2年間の本塁打数 109:2001年 - 2002年
  • 年間10本塁打到達試合数 14:2007年

ニューヨーク・ヤンキース記録

  • 右打者の年間本塁打数 54:2007年
  • 右打者のホーム試合年間本塁打数 26:2005年、 2007年

背番号

  • 3(1994 - 2003)
  • 13(2004 - )

脚注

テンプレート:脚注ヘルプ テンプレート:Reflist

外部リンク

テンプレート:Sister テンプレート:Sister テンプレート:MLBstats

テンプレート:ニューヨーク・ヤンキース テンプレート:2009 ニューヨーク・ヤンキース テンプレート:2006 ワールド・ベースボール・クラシックアメリカ合衆国代表

テンプレート:Navboxes
  1. Alex Rodriguez Biography | A Rod Bio, Life and Memorabilia
  2. http://www.baseball-reference.com/teams/SEA/leaders_bat.shtml
  3. http://champions.finito-web.com/MLB/Player/QRST/A_Rodriguez.html
  4. 4.0 4.1 テンプレート:Cite web
  5. 5.0 5.1 テンプレート:Cite web
  6. テンプレート:Cite web
  7. テンプレート:Cite news
  8. テンプレート:Cite news
  9. A Miami Clinic Supplies Drugs to Sports' Biggest Names MIAMI New Times
  10. A-Rod gets ban through 2014; 12 get 50 games
  11. A・ロッドに211試合の出場停止処分、ほかの選手は50試合にAFBBBNews2013年8月6日配信
  12. 長期出場停止処分のA・ロッド、Wソックス戦で今季初出場スポーツニッポン2013年8月6日配信
  13. テンプレート:Cite web
  14. テンプレート:Cite web
  15. スペシャル対談 イチロー×アレックス・ロドリゲス
  16. 16.0 16.1 16.2 スカウティング・レポート『月刊スラッガー』2004年4月号、日本スポーツ企画出版社、雑誌15509-4、12-15頁。
  17. YouTube - Alex Rodriguez en Dominicana
  18. 引用エラー: 無効な <ref> タグです。 「d」という名前の引用句に対するテキストが指定されていません
  19. Papi: A-Rod wants to play for D.R. MLB.com(英語)(2008/12/05)
  20. A-Rod commits to Dominican team MLB.com(英語)(2008/12/06)
  21. http://community.seattletimes.nwsource.com/archive/?date=19960222&slug=2315371
  22. http://mlb.mlb.com/NASApp/mlb/news/article.jsp?ymd=20050908&content_id=1202299&vkey=news_nyy&fext=.jsp&c_id=nyy
  23. イチローがヤンキースに移籍したときは「日本でも大ニュースだろ」と興奮気味に記者会見のテレビ中継に見入り「もちろん一緒にプレーできるのはうれしい」と話した。しかし、イチロー移籍のわずか二日後にフェリックス・ヘルナンデスから受けた死球の影響で骨折。戦線離脱となってしまった
  24. http://web.archive.org/web/20040407023136/number.goo.ne.jp/from_number/574/special_features/spe2/index.html
  25. Ichiro's art of playing baseball : learn how to hit, steal, and field like an all-star ISBN 0312358318
  26. 26.0 26.1 テンプレート:Cite web
  27. テンプレート:Cite web
  28. テンプレート:Cite web
  29. テンプレート:Cite web
  30. テンプレート:Cite web
  31. テンプレート:Cite web
  32. テンプレート:Cite web
  33. Canseco’s Ex Admits Attraction to A-Rod: “I Have a Thing for Five Tools Guys”
  34. テンプレート:Cite web
  35. テンプレート:Cite web
  36. テンプレート:Cite web