アルバート・ビアスタット

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アルバート・ビアスタットAlbert Bierstadt, 1830年1月7日 - 1902年2月18日)はドイツ出身のアメリカ画家

広大な西部の自然を描いた『ロッキー山脈』(1863年)や『コーコラン山』(1875年頃-1877年)などの風景画で知られ、ハドソン・リバー派の代表的な画家とされている。

生涯

ゾーリンゲンに生まれ、1833年、家族とともマサチューセッツ州ニュー・ベッドフォードに移住する。

ドイツへ戻り、1853年から1857年まで、デュッセルドルフデュッセルドルフ美術学校Dusseldorf School)においてカール・フリードリヒ・レッシングKarl Friedrich Lessing)、アンドレーアス・アッヘンバハAndreas Achenbach)らに絵を学んだ(ドイツに戻った時期として1850年から4年間の説もある[1]。その後、画業に専念する前の短い期間ドローイングと絵を教えた。彼はニュー・イングランドニューヨーク北部地方で絵を描き始めた。1859年、アメリカ政府の土地調査官フレデリック・ランダーに同行し、ワイオミング州から太平洋岸にいたる広範囲の西部遠征の旅を経験した。この遠征の旅は、その後1863、71、86、89年と継続され、彼の画歴の中で重要な位置を占めるようになった[1]。その旅行で持ち帰ったスケッチを元に多数の油彩画が後に描かれた。1863年に作家のフィッツヒュー・ラドローと共に彼はまた西部を訪れた。ビアスタットは後にこのラドローの妻と結婚している。風景画家ビアスタットの名を最初に人々に印象づけたのは、1863年に発表された〈ロッキー山脈、ランダーズ・ピーク〉である。ニューヨークで展示された後、すぐに国内6ヶ所の都市を回り、評判がよかったためにロンドン、パリでも展示されるほどの人気であった。これは彼が同行した59年の西部遠征の旅に基づいた作品で、最高峰はその時の隊長であり、前年に南北戦争で戦死したフレデリック・ランダーにちなんで名づけられたものである[1]。その後ヨセミテ渓谷を神聖な自然の象徴としたシリーズでビアスタットの人気は頂点を迎えた[1]。彼の絵は相当な額で売れたが、当時批評家たちからそれ程高い評価を得ていたわけではなかった。彼の用いる非常に大きなカンバスはうぬぼれ屋の贅沢と思われた。なぜなら、それは決まって一緒に展示された同時代の作家の作品をとても小さく見せてしまうからだった。画題の選択に於ける彼のロマン主義は明らかである[2]。しかし後にクラレンス・キングのような科学者が、ヨセミテを単に地質学的な変化の結果として捉えた時、ビアスタットの神通力は衰え始め、80年代には急速に人気を失っていく。それはあまりにも理想的なアメリカの自然を追求した画家ビアスタットの宿命であった[1]。彼は非常に多産なアーティストで生涯に500以上[3](4000に上る可能性がある)の作品を生み出し、それらの多くが今日に伝えられている。作品の多くがアメリカ中の美術館に所蔵されており、印刷による複製も販売されている。たまにオリジナルの作品自体がいつにない高値で売りに出されることもある。

遺産

コロラド州ビアスタット山山岳風景に興味を持っていたビアスタットに因み名づけられた。

1998年アメリカ合衆国郵便公社が発行した「アメリカン・アートの4世紀」という20枚一組の記念切手のうち1枚にビアスタットの『バッファローの最後』[4]が使用されている。

ウィリアム・ブリス・ベイカーはビアスタットに学んだ風景画家である。

脚注

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参考文献

  • Anderson, Nancy K. et. at. Albert Bierstadt, Art & Enterprise, Hudson Hills Press, Inc.: New York, New York, 1990.
  • Hendricks, Gordon. Albert Bierstadt, Painter of the American West, Harrison House/Harry N. Abrams, Inc.: New York, New York 1988.

外部リンク

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  1. 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 テンプレート:Cite book
  2. Albert Bierstadt Images
  3. xmission.com
  4. ArtOnStamps.org