アリラン

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アリラン』(朝鮮語아리랑)は、キキョウを掘る娘を歌った『トラジ』とともに、朝鮮民謡として朝鮮半島内外で最も有名なものの一つ。明るいメロディーのトラジと哀調を帯びたアリランは朝鮮民謡の代表作と言える。そのメロディーと特に一番の歌詞は民族感情のひとつであるハン(한;)の感情を表すともされる。

韓国文化体育観光部はアリランを「韓国の100のシンボル」と定めている[1]

概説

歌詞に歌われているアリラン峠は伝説上のもので、朝鮮半島各地にある同名のはこの歌にちなみ、後から地名としてつけられたものと考えられる。アリランという単語の語源説は、キム・ジヨンの『我離郎・我離娘、我耳聾、我難離、阿娘、兒郞偉、閼英』の6説が基本説といわれている。その後、高権三氏の「唖耳聾」説、李丙燾氏の「樂浪」説、梁柱東氏「アリ嶺」説や沈載德氏、丁益燮氏、任東權氏、崔載億氏、元勳義氏などの解放初期の研究者・学者達がこれらの説の研究をさらに深め、現在も多くの語言説が発表されている。が、未だ決定的な説はない。しかし、近年、歌詞に含まれる「アリラン」、「スーリ」は北方民族であるエヴェンキ族の言葉ではそれぞれ「迎える」、「感じ取る」という意があることが明らかになっており関連性が着目されている。歌の起源は高麗王朝末期に江原道旌善郡で歌われたもの[2]とするものもあれば、テンプレート:要出典範囲とするものもあるが、1926年日韓併合下に公開の映画「アリラン」の主題歌として全土に広まったものと考えられる。珍島アリランや密陽アリラン等、様々なバージョンがある。よく知られているものは三拍子が主であるが、中には四拍子のバージョンや3拍‐2拍の変拍子風のもの、日本追分節のように拍子が明確でないものもある。

アリランは元々楽譜化されていなかったものだった。初めて楽譜化(採譜)したのは、アメリカ人宣教師・言語学者・史学者のホーマー・ハルバートで、1896年2月に出版された『朝鮮留記』内にある「KOREAN VOCAL MUSIC」に記載されている。その中で「いつどこででも聞くことができる歌で、数多く即興曲に置き換えられたために、どれほどあるか明らかではないが、後半部分は同じである」と記載している[3]

韓国などで、ときには4拍子にアレンジされてサッカーの応援歌になったり、さまざまな所で歌われている。オリンピックアジア大会などの国際ゲームで南北合同行進のときなどに流れることもある。朝鮮民謡の主題による変奏曲はアリランをベースにしている。北朝鮮マスゲームの主題もアリランであり、女性歌手の独唱が披露される。

なお、アリランは本来3番までだが、北朝鮮では4番以降をつけ加える事もあり、その場合は金日成金正日朝鮮労働党を称える内容になることが多い。また、まったく別の曲であるが、「軍民アリラン」「強盛復興アリラン」など、アリランの名称をつけた曲も製作されている。

韓国社会では長年「ハングルが世界中の言語学者の間で最も優秀な文字であると認定されている」という噂と同時に「アリランが世界で最も美しい曲の1位に選定されている」という噂が信じられており、こうした噂が真実として小学生用の国定教科書にまで掲載されている。しかし、2011年3月韓国の一部のメディアの報道で、こうした噂が事実無根のデマであり、検証もなしに教科書に掲載されていた事が明らかにされたことにより、教育科学技術部は記述を訂正する姿勢を表明している[4][5]

2011年6月に中国がアリランをシルム(韓国相撲)などと共に中国国家無形文化遺産に登録し、韓国と中国との対立が深まっている(後述)[6]

本調アリランの歌詞

原詞

  1. 아리랑 아리랑 아라리요
    아리랑고개로 넘어간다
    나를 버리고 가시는 님은
    십리(十里)도 못 가서 발병(-病)난다
  2. 아리랑 아리랑 아라리요
    아리랑 고개로 넘어간다
    청천(靑天)하늘엔 별도 많고
    우리네 가슴엔 꿈도 많다
  3. 아리랑 아리랑 아라리요
    아리랑 고개로 넘어간다
    저기 저 산(山)이 백두산(白頭山)이라지
    동지(冬至) 섣달에도 꽃만 핀다

日本語訳

  1. アリラン アリラン アラリヨ
    アリラン峠を越えて行く
    私を捨てて行かれる方は、
    十里も行けずに足が痛む。
  2. アリラン アリラン アラリヨ
    アリラン峠を越えて行く
    晴れ晴れとした空には星も多く、
    我々の胸には夢も多い。
  3. アリラン アリラン アラリヨ
    アリラン峠を越えて行く
    あそこ、あの山が白頭山朝鮮民族の霊峰)だが、
    冬至師走でも花ばかり咲く。


*ここでいう「十里」とは、日本の1(約4km)のことである。 우리 나라꽃(ウリナラッコッ、わが国の花)も韓国ではアリランと並んでよく歌われる。

海外への紹介

1983年イタリアの国際児童音楽祭「第26回ゼッキーノ・ドーロ」では、「アリラン」にイタリア語歌詞を施した歌「Arirang」が韓国人出場者によって歌唱され、同コンクールのイタリア国外歌曲部門最優秀賞であるゼッキーノ・ダルジェントを受賞した。イタリア語作詞はルツィアーノ・ベレッタ (it:Luciano Beretta)ほか。[7]

アメリカ陸軍第7歩兵師団では、朝鮮戦争への派遣を記念して「アリラン」を師団の公式行進曲として使用していた。

アリランを巡る問題

2011年6月に中国政府がアリランをはじめとする朝鮮族伝統民謡と風習を中国国家級非物質文化遺産zh:中国国家级非物质文化遗产列表)1077に登録した。この件に対し、韓国にある「韓民族アリラン連合会」は抗議声明を出している[6]

中国は、アリランを国家無形文化遺産にする前から、少数民族である朝鮮族に対する融和策を実施しており、1987年には民族衣装を着た朝鮮族が人民元の2角紙幣(第二套人民幣分紙幣)で登場したのを皮切りに、北京オリンピックでは扇とチャングを利用した朝鮮族の民族舞踊が披露された。さらに、2009年には農楽舞が中国の国家無形文化財に登録されている他、朝鮮族の伝統儀礼や服装も同様に登録されている[6]

韓国政府はアリランを2012年にユネスコ無形文化遺産として登録するために、かねてから準備を進めていた[2]矢先の出来事だったために、国内では自国の文化を奪われたという単純な感情だけでなく、「中国が中国国内の文化としてユネスコの無形文化遺産登録を狙っている」・「中国の韓国文化と歴史に対する侵害は、どんどん露骨になってきた」と見る警戒論が挙がった[1]。韓国政府は「中国が自国に伝わる『アリラン』を自国内の文化遺産に指定したのであり、韓国の『アリラン』を自国のものとしたわけではない」と問題視しないとコメントしている[1]

脚注

  1. 1.0 1.1 1.2 中国で「アリラン」を文化遺産に…韓国反発「われわれのものだ」サーチナ 2011年6月24日)
  2. 2.0 2.1 民謡アリラン、中国が遺産登録 韓国反発「奪われる」47NEWS共同通信)2011年6月24日)
  3. 「北と南」をつなぐ アリランとは何か宮塚利雄小学館文庫
  4. アリランに続いて「世界で最も優秀な字、ハングル選定」もデマ…国定教科書、検証なしで載せられる(国民日報クッキーニュース 2011年3月25日)
  5. 世界で一番美しい曲1位「アリラン」は‘デマ’?中央日報 2011年3月25日)
  6. 6.0 6.1 6.2 韓国民謡「アリラン」、中国に奪われるのか(中央日報 2011年6月22日)
  7. ゼッキーノ・ドーロ公式サイト

関連項目