アリエン・ロッベン
テンプレート:存命人物の出典明記 テンプレート:サッカー選手 アリエン・ロッベン(Arjen Robben, 1984年1月23日 - )は、オランダ王国フローニンゲン州ベドゥム出身の同国代表のサッカー選手。ポジションはフォワード(WG, ST)およびミッドフィールダー(SH)。ドイツ・ブンデスリーガ・バイエルン・ミュンヘンに所属している。日本ではロッ"ペ"ンと間違って表記、発音されることも多い。
目次
経歴
地元のクラブ、VVベドゥムでサッカーを始める。FCフローニンゲン在籍時の2000年、16歳でプロデビュー。レギュラーとしてプレーした後、2002年にPSVへ移籍。ここでも1年目から12得点を挙げ、2002-03年度のヨハン・クライフ賞を受賞した。
2004年、テンプレート:要出典範囲チェルシーFCに入団した。チェルシー在籍中、精巣腫瘍を患いながらも手術により回復した[1][2]。
EURO2004の後にプレシーズンで負った怪我の影響で、プレミアリーグのデビューこそ遅れたものの、11月に復帰した。同月のプレミアリーグ月間最優秀選手賞にも輝いている。その後も怪我に悩まされながらもチェルシーの二冠制覇に貢献した。本職は4-3-3の左WGながら、2006-07シーズンにはアンドリー・シェフチェンコの加入によりクラブは4-4-2へとシステムを変更し、このため出番が減少。2006 FIFAワールドカップでは初戦のセルビア戦で18分に得点を挙げた。これが決勝点となり、その試合のマン・オブ・ザ・マッチとなった。大会では、6試合に出場して2得点を挙げた。
2007年8月22日、スペインのレアル・マドリードへの移籍が、テンプレート:要出典範囲で決まる。膝の故障でシーズンは出遅れたが9月18日のチャンピオンズリーグ、ヴェルダー・ブレーメン戦でデビュー。すぐに左サイドMFのポジションでスターティングメンバーを獲得した。また、EURO2008にも招集された。
2009年8月28日、バイエルン・ミュンヘンへの移籍で合意し移籍することとなった。移籍金はテンプレート:要出典範囲、ロッベンは背番号10を背負うこととなった。フランク・リベリーと共に両サイドから攻撃に参加、デビュー戦となったVfLヴォルフスブルク戦で2得点を挙げた。2010年3月9日のUEFAチャンピオンズリーグ決勝トーナメント1回戦2ndレグのACFフィオレンティーナ戦ではミドルシュートを決め、また4月7日の準々決勝2ndレグのマンチェスター・ユナイテッドFC戦でもコーナーキックからボレーシュートを決めた。4月17日のハノーファー96戦で自身初のハットトリックを達成した(試合は7-0で勝利)。4月21日のオリンピック・リヨンとのチャンピオンズリーグ準決勝1stレグでも決勝点となるミドルシュートを決め決勝進出に貢献した。同大会ではインテル・ミラノとの決勝戦を戦った末準優勝の成績を収めたが、ブンデスリーガではチームトップ・リーグ5位タイの16得点を挙げ、バイエルンの2冠に貢献。シーズン終了後にはドイツ年間最優秀選手に選出された。
2010 FIFAワールドカップのオランダ代表にも名を連ねたが、大会前のハンガリーとの親善試合でフェイントに失敗しハムストリングを負傷。一時は大会欠場も囁かれたがグループリーグ第3戦のカメルーン戦から復帰。決勝トーナメント一回戦のスロバキア戦ではミドルシュートで先制点を挙げ、大会選定のマンオブザマッチに選出される。準決勝のウルグアイ戦ではヘディングで3点目を挙げた。スペインとの決勝では2度の決定機を阻止されたものの攻撃の中心となり、オランダの準優勝に貢献した。しかし大会後、クラブで行ったメディカルチェックにて太ももの筋断裂が発覚し、これに対しバイエルンのカール・ハインツ・ルンメニゲ会長はワールドカップで強行出場を続けさせたとしてオランダ代表を批判した[3]。この怪我への補償として、2012年5月にアリアンツ・アレーナでバイエルンとオランダ代表の親善試合が行われている[4]。チームへの復帰は翌年1月まで遅れたが、リーグ14試合で12得点8アシストを記録した。
プレースタイル
- 世界最高クラスのドリブラーと称されるウインガー 。100メートルを10秒台で走るとも言われる爆発的なスピードと高度なテクニックを併せ持つ。ほとんどのタッチを左足のみで行う緩急を駆使したドリブルは独特のリズムを刻み、対面するDFを無力化する。シュートも強烈で抜群の精度を誇り、特にペナルティーエリア近く、右45度あたりからのシュートは相手の脅威となる。またクロスも正確。一方で、爆発的なスプリント力ゆえに筋肉系のけがが多く、シーズンを通じて稼働できない事も多々ある[5][6][7]。
- そのプレースタイル故にドイツではベッケンバウアーから「エゴイスト」と批判されたが、彼をプロ・デビューさせたヤン・ファン・ダイクは「アルイェンは若い時からずっとエゴイスト。彼にとっては普通の事であり、それが彼の才能。彼がエゴイストであるのが問題なら売るべき。エゴイズムが彼を強くしてるんだから」と語った。[8]
私生活
- 2004年12月、同年初頭に睾丸癌を患い、摘出手術を行なって、病を克服したことを告白している。
- 2007年6月にガールフレンドと結婚し、現在3児の父親である[9]。
所属クラブ
- テンプレート:Flagicon CVVベドゥム -1996
- テンプレート:Flagicon FCフローニンゲン 1996-2002
- テンプレート:Flagicon PSVアイントホーフェン 2002-2004
- テンプレート:Flagicon チェルシー 2004-2007
- テンプレート:Flagicon レアル・マドリード 2007-2009
- テンプレート:Flagicon バイエルン・ミュンヘン 2009-
獲得タイトル
クラブタイトル
- エールディヴィジ 1 (2002-03)
- ヨハン・クライフ・シャール 1 (2003)
- プレミアリーグ 2 (2004-05, 2005-06)
- FAカップ 1 (2006-07)
- フットボールリーグカップ 2 (2004-05, 2006-07)
- FAコミュニティ・シールド 1 (2006)
- リーガ・エスパニョーラ 1 (2007-08)
- ブンデスリーガ 3 (2009-10, 2012-13, 2013-14)
- DFBポカール 3 (2009-10, 2012-13, 2013-14)
- DFLスーパーカップ 2 (2010, 2012)
- UEFAチャンピオンズリーグ 1 (2012-13)
- UEFAスーパーカップ 1 (2013)
個人タイトル
- オランダ最優秀若手選手賞: 1 (2003)
- ブラヴォー賞: 1 (2005)
- U-21 欧州年間最優秀選手賞:1 (2005)
- ドイツ年間最優秀選手賞: 1 (2010)
- FIFAワールドカップブロンズボール: 1 (2014)
- FIFAワールドカップ ベストイレブン: 1 (2014)
個人成績
クラブ
クラブ | シーズン | リーグ | 背番号 | リーグ戦 | カップ戦 | 国際大会 | 合計 | ||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
試合 | ゴール | 試合 | ゴール | 試合 | ゴール | 試合 | ゴール | ||||
2000-01 | テンプレート:Flagicon フローニンゲン | エールディヴィジ | 18 | 2 | 0 | 0 | - | - | 18 | 2 | |
2001-02 | 28 | 6 | 6 | 4 | - | - | 34 | 10 | |||
クラブ通算 | 46 | 8 | 6 | 4 | 0 | 0 | 52 | 12 | |||
2002-03 | テンプレート:Flagicon PSV | エールディヴィジ | 11 | 33 | 12 | 4 | 1 | 37 | 13 | ||
2003-04 | 23 | 6 | 8 | 2 | 31 | 8 | |||||
クラブ通算 | 56 | 18 | 12 | 3 | 68 | 21 | |||||
2004-05 | テンプレート:Flagicon チェルシー | プレミアリーグ | 16 | 18 | 7 | 6 | 1 | 5 | 1 | 29 | 9 |
2005-06 | 28 | 6 | 5 | 1 | 6 | 0 | 39 | 7 | |||
2006-07 | 21 | 2 | 7 | 0 | 7 | 1 | 35 | 3 | |||
クラブ通算 | 67 | 15 | 18 | 2 | 18 | 2 | 103 | 19 | |||
2007-08 | テンプレート:Flagicon Rマドリード | リーガ・エスパニョーラ | 11 | 21 | 4 | 2 | 1 | 5 | 0 | 28 | 5 |
2008-09 | 29 | 7 | 0 | 0 | 6 | 1 | 35 | 8 | |||
クラブ通算 | 50 | 11 | 2 | 1 | 11 | 1 | 63 | 13 | |||
2009-10 | テンプレート:Flagicon バイエルン | ブンデスリーガ | 10 | 24 | 16 | 3 | 3 | 10 | 4 | 37 | 23 |
2010-11 | 14 | 12 | 1 | 1 | 2 | 0 | 17 | 13 | |||
2011-12 | 24 | 12 | 3 | 2 | 9 | 5 | 36 | 19 | |||
2012-13 | 16 | 5 | 5 | 4 | 9 | 4 | 30 | 13 | |||
2013-14 | 28 | 11 | 10 | 4 | |||||||
クラブ通算 | 78 | 45 | 12 | 10 | 30 | 13 | 120 | 68 | |||
キャリア通算 | 297 | 97 | 38 | 17 | 71 | 19 | 406 | 133 |
代表での成績
年 | 代表国 | 出場 | 得点 |
---|---|---|---|
2003 | テンプレート:Fb | 3 | 1 |
2004 | 8 | 2 | |
2005 | 6 | 3 | |
2006 | 10 | 2 | |
2007 | 4 | 0 | |
2008 | 6 | 2 | |
2009 | 8 | 1 | |
2010 | 7 | 4 | |
2011 | 1 | 0 | |
2012 | 10 | 2 | |
2013 | 11 | 5 | |
2014 | 3 | 4 | |
通算 | 77 | 26 |
代表での得点
# | 開催日 | 開催地 | 対戦国 | スコア | 結果 | 大会 |
---|---|---|---|---|---|---|
1. | 2003年10月11日 | テンプレート:Flagicon アイントホーフェン | テンプレート:Fb | 5–0 | 5–0 | UEFA EURO 2004予選 |
2. | 2004年2月18日 | テンプレート:Flagicon アムステルダム | テンプレート:Fb | 1–0 | 1–0 | 親善試合 |
3. | 2004年11月17日 | テンプレート:Flagicon バルセロナ | テンプレート:Fb | 0–2 | 0–3 | 2006 FIFAワールドカップ予選 |
4. | 2005年6月4日 | テンプレート:Flagicon ロッテルダム | テンプレート:Fb | 1–0 | 2–0 | 2006 FIFAワールドカップ予選 |
5. | 2005年8月17日 | テンプレート:Flagicon ロッテルダム | テンプレート:Fb | 1–0 | 2–2 | 親善試合 |
6. | 2–0 | |||||
7. | 2006年6月11日 | テンプレート:Flagicon ライプツィヒ | テンプレート:Fb | 0–1 | 0–1 | 2006 FIFAワールドカップ |
8. | 2006年8月16日 | テンプレート:Flagicon ダブリン | テンプレート:Fb | 0–2 | 0–4 | 親善試合 |
9. | 2008年6月1日 | テンプレート:Flagicon ロッテルダム | テンプレート:Fb | 2–0 | 2–0 | 親善試合 |
10. | 2008年6月13日 | テンプレート:Flagicon ベルン | テンプレート:Fb | 3–1 | 3–1 | UEFA EURO 2008 |
11. | 2009年6月10日 | テンプレート:Flagicon ロッテルダム | テンプレート:Fb | 2–0 | 2–0 | 2010 FIFAワールドカップ予選 |
12. | 2010年6月5日 | テンプレート:Flagicon アムステルダム | テンプレート:Fb | 3–1 | 6–1 | 親善試合 |
13. | 6–1 | |||||
14. | 2010年6月28日 | テンプレート:Flagicon ダーバン | テンプレート:Fb | 1–0 | 2–1 | 2010 FIFAワールドカップ |
15. | 2010年7月6日 | テンプレート:Flagicon ケープタウン | テンプレート:Fb | 1–3 | 2–3 | 2010 FIFAワールドカップ |
16. | 2012年2月29日 | テンプレート:Flagicon ロンドン | テンプレート:Fb | 0–1 | 2–3 | 親善試合 |
17. | 2–3 | |||||
18. | 2013年6月7日 | テンプレート:Flagicon ジャカルタ | テンプレート:Fb | 0–3 | 0–3 | 親善試合 |
19. | 2013年9月6日 | テンプレート:Flagicon タリン | テンプレート:Fb | 0–1 | 2–2 | 2014 FIFAワールドカップ予選 |
20. | 2013年10月11日 | テンプレート:Flagicon アムステルダム | テンプレート:Fb | 8–1 | 8–1 | 2014 FIFAワールドカップ予選 |
21. | 2013年10月15日 | テンプレート:Flagicon イスタンブル | テンプレート:Fb | 0–1 | 0–2 | 2014 FIFAワールドカップ予選 |
22. | 2013年11月16日 | テンプレート:Flagicon ヘンク | テンプレート:Fb | 2–0 | 2–2 | 親善試合 |
23. | 2014年6月4日 | テンプレート:Flagicon アムステルダム | テンプレート:Fb | 1–0 | 2–0 | 親善試合 |
24. | 2014年6月13日 | テンプレート:Flagiconサルヴァドール | テンプレート:ESPf | 1-2 | 1-5 | 2014 FIFAワールドカップ |
25. | 1-5 | |||||
26. | 2014年6月18日 | テンプレート:Flagicon ポルト・アレグレ | テンプレート:Fb | 0–1 | 2–3 | 2014 FIFAワールドカップ |
脚注
外部リンク
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この項目は、ウィキプロジェクト サッカー選手の「テンプレート」を使用しています。
テンプレート:Link GA
- ↑ Robben reveals his cancer scare テンプレート:En icon BBC 2004.12.9付記事
- ↑ John Ley, Robben tells of trauma over his cancer scare テンプレート:En icon デイリー・テレグラフ
- ↑ FCBにショック!ロッベン、長期離脱 B.ミュンヘン オフィシャルサイト
- ↑ FCバイエルン、オランダサッカー協会と合意 B.ミュンヘン オフィシャルサイト
- ↑ アリエン・ロッベン jiji.com
- ↑ 右45度の恐怖…ロッベン、抜群のシュート精度 YOMIURI ONLINE
- ↑ (4)FW アリエン・ロッベン(オランダ)…輝き増したドリブラー YOMIURI ONLINE
- ↑ http://www.telegraaf.nl/telesport/voetbal/buitenlands/20873195/__Van_Dijk__Robben_altijd_een_egoist__.html
- ↑ Arjen Robben - B.ミュンヘン オフィシャルサイト