アメリカ独立宣言

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テンプレート:Infobox document アメリカ独立宣言(アメリカどくりつせんげん、The Unanimous Declaration of the thirteen United States of America)とは、イギリスグレートブリテン王国)によって統治されていた13の植民地が、独立したことを宣言する文書である。1776年7月4日大陸会議(the Continental Congress)によって採択された[1][2]。このため、7月4日はアメリカ合衆国独立記念日として毎年盛大に祝われる。なお、「独立宣言」と表記している歴史教科書や、「アメリカの独立宣言」と表記している歴史教科書や、「アメリカ独立宣言」と表記している歴史教科書がある[3]

沿革

ファイル:Declaration independence.jpg
「独立宣言への署名」(ジョン・トランブル画)
この絵は、2ドル紙幣の裏面図版に使用されている。

1763年2月、フレンチ・インディアン戦争が終結すると、イギリス国王ジョージ3世とグレンビル内閣は、植民地アメリカへの課税と支配を強化した。この本国政府による植民地圧迫策は、次第に植民地住民の本国に対する不満を鬱積させ、本国からの離反機運の醸成をもたらす(詳細は、アメリカ合衆国の歴史の項目と、アメリカ独立戦争の項目を参照)。

それぞれに独自の発展を進めていた13植民地は、1772年11月、連絡組織として通信連絡委員会を発足させる。この委員会は、1774年9月、第1回大陸会議ジョージア植民地を除く12の植民地代表の集会)に発展し、本国政府との和解策を練った。1775年4月、レキシントン・コンコードの戦いで、イギリス軍と植民地民兵隊の間に銃火が交えられ、独立戦争の火蓋が切られた。翌5月、第2回大陸会議が開かれ(全13植民地代表がそろう)、ここ武力衝突に至っても本国政府との和解の道を探っていた。しかし、情勢は日増しに悪化し、翌1776年1月、独立論を訴えるトマス・ペインの著書『コモン・センス』が刊行されてベストセラーになると、住民の間でも植民地代表者の間でも、独立論は最高潮に達した。

同年6月7日、バージニア植民地代表のリチャード・ヘンリー・リーは大陸会議に『独立の決議』を提案し、これに基づいて同月10日、独立宣言起草委員会が発足した。この委員会は、トーマス・ジェファーソンジョン・アダムズベンジャミン・フランクリンロジャー・シャーマンロバート・R・リビングストンの5人で構成されたが、ジェファーソンが宣言案を起案(起草)し、フランクリンとアダムズがわずかに修正して委員会案とされた。委員会案は大陸会議に提出されて、さらに多少の推敲がなされた。そして、1776年7月2日、リチャード・ヘンリー・リーの『独立の決議』がまず可決され、『アメリカ独立宣言』は7月4日に採択された。

内容

独立宣言は、基本的人権革命権に関する前文、国王の暴政と本国(=イギリス)議会・本国人への苦情に関する28ヶ条の本文、そして独立を宣言する結語の3部から成る。

中でも、「全ての人間は平等に造られている」と唱え、不可侵・不可譲の自然権として「生命、自由、幸福の追求」の権利を掲げた前文は、アメリカ独立革命の理論的根拠を要約し、後の思想にも大きな影響を与えた。その理論は、名誉革命を理論的に正当化したジョン・ロック自然法理論の流れを汲む。

日本への影響

宣言公布当時、日本江戸時代鎖国中であったため、直接の影響は見られない。

学問ノススメ

江戸時代末期から明治時代にかけて、西欧文明が押し寄せてくるのに先立ち、福澤諭吉はその著書『西洋事情』で、「千七百七十六年第七月四日亜米利加十三州独立ノ檄文」としてアメリカ独立宣言の全文を和訳して紹介した。 テンプレート:Quotation このうち、冒頭の章句および思想は、後の『学問のすすめ』初編冒頭、に引用され、人々に広く知られるところとなった。

日本国憲法

1946年に公布された日本国憲法の第13条にも、その影響は見られる。 テンプレート:Quotation

関連項目

脚注

  1. jpeg版テンプレート:Cite webアメリカ議会図書館
  2. テキスト版テンプレート:Cite webアメリカ議会図書館
  3. 『中学社会 歴史』(教育出版。平成8年2月29日 文部省検定済。教科書番号:17教出 歴史762)p 154, 155に「13植民地は大陸会議にまとまり, 1775年, ワシントンを総司令官として, 独立戦争を起こし, 翌年, 独立宣言を発表した。」と記載され、『社会科 中学生の歴史 初訂版』(帝国書院。平成17年3月30日 文部科学省検定済。教科書番号:46帝国 歴-713)p 137に「1776年に, 独立宣言が発表されました。」と記載され、『新しい社会 歴史』(東京書籍。平成13年3月30日 文部科学省検定済。教科書番号:2東書 歴史702)p 112, 113に「かれらは社会契約説を信じ, イギリス本国による新しい税と弾圧に抗議して, 1776年に独立宣言を発表しました。」と記載され、『【改訂版】詳説世界史』(山川出版社。1997年3月31日 文部省検定済。教科書番号:81山川 世B575)p 206に「1776年7月4日, 13植民地の代表はフィラデルフィアで独立宣言を発表した。」と記載されている。『中学社会 歴史』(教育出版。平成8年2月29日 文部省検定済。教科書番号:17教出 歴史762)p 154の囲みには「アメリカの独立宣言」というタイトルがついた「アメリカ独立宣言」の日本語訳の一部の要約が記載されている。『【改訂版】詳説世界史』(山川出版社。1997年3月31日 文部省検定済。教科書番号:81山川 世B575)p 207の囲みには「アメリカ独立宣言」というタイトルがついた「アメリカ独立宣言」の日本語訳の抜粋が記載されている。

外部リンク

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