アクション映画

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アクション映画は、観客が映画を見る立場から作品の主体をアクションとしてとらえた映画を指す。

映画の主題は主人公が社会枠を貫通して目標に向かって行動する貫通行動にある。ぴあより出版されている『アクション・ムービー究極大鑑』はアクション映画の定義が難しいとしているが、観客により決める立場に沿っている。フランスの哲学者ジル・ドゥルーズは『シネマ1 運動イメージ』で映画の中のアクションの役割と効果について明確な定義をしているし、映画評論家の田山力哉は『映画小辞典』で各ジャンルにアクションは存在するとした見解を示している。

田山はまたアクション映画は映画を製作した国ごとの特色があるとしている。西洋であれば西部劇、日本であれば時代劇を量産した歴史がある。製作本数、配給規模、予算等からアクション映画の製作はアメリカが飛び抜けた存在だが、同国の映像産業における顕彰ではゴールデン・グローブ賞エミー賞コメディ部門は創設されているがアクション部門はない。

分類

分類は観客の観点により異なり、西部劇・格闘技映画(空手・拳法・カンフーなど)・冒険映画時代劇・スパイ映画・ギャング映画ヤクザ映画などを含めたくくりでアクション映画とする見方もある。製作した国名や地名をつけた「香港アクション」の呼び方もある。

ドラマとしての構造は、アクション映画も他のドラマと変わる点はない。時代や場所が明確であり、導入部から解決部までのシークエンス(段落)で主人公とその内面に葛藤を引き起こす多くの環境(敵)の対比が弁証法的に説明され最後のクライマックス(山場)に最終目標が達成される。正義感や職業的倫理観からなる主人公の行動原理は現実からの借り物であり観客に分かりやすいキャラクターである。

このため設定や人間関係にテーマとしての味付けをする。前述の『アクション・ムービー究極大鑑』はアクション映画を「ポリス・アクション」「ミリタリー・アクション」「ライド・アクション」「エスケープ・アクション」「SF・アクション」「クライム・アクション」「カンフー・アクション」「アドベンチャー・アクション」「チャンバラ・アクション」「ガン・アクション」に分けている。

ポリス・アクションであれば法治国家の建前から犯罪者を野放しにして警官としての倫理を全うしようとする主人公に足かせを嵌める管理社会との対決(ダーティー・ハリー)や、師匠を殺された未熟な青年が敵を倒すまでに苦しい修行に耐え抜いて宿願を果たすカンフー・アクションもある。またクライム・アクションは犯罪者が主人公の場合に最後に死ぬか、生き延びても未来の到着点に黒点をつける(ゲッタウェイ)のが製作側の不文律として長く存在していた。男同士の友情(特攻大作戦)や大義への献身もアクションのテーマとして不偏性を持ちつづけている。

しかし体制や権力の側との対決は1970年代のスティーブン・スピルバーグの大作志向、ニューシネマの終焉により色あせてしまったこともあり内面の克服といったさらに内向きの傾向へ進んだり、テーマを過去の歴史や未来に求めてSFXの技術を導入したアクションものを大規模な予算で製作するなどへ変化している。日本では北野武が「やくざ映画」の形式でありながらデーマを日常の中に求めて、どの人間の内面にもある狂気に突き動かされる様子を描いた異色のアクション映画(ソナチネ)を発表している。

代表的な作品(モチーフ別)

日本武術

刑事

時代劇

探偵

冒険

殺し屋

戦争

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犯罪

脱走

パニック

カンフー

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その他

アクション俳優

アクション俳優のカテゴリを参照。

関連項目