みずほ信託銀行

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テンプレート:Infobox テンプレート:基礎情報 銀行 みずほ信託銀行株式会社(みずほしんたくぎんこう、英称Mizuho Trust & Banking Co., Ltd.)は、みずほフィナンシャルグループ傘下の信託銀行

かつては、みずほフィナンシャルグループとその子会社が発行済株式の69.9%を保有しつつも、東証一部と大証一部に上場していた。2011年平成23年)9月以降、みずほフィナンシャルグループの完全子会社となっている。

歴史

かつての安田信託銀行を直接的な前身とし、その名の通り安田財閥を源流とする。

信託銀行界では不動産部門に強みを持つとされる一方、リテール展開においては、市川みさこの「オヨヨ」を通帳などのマスコットに採用するなどし業容の伸長を図ってきた。しかし、バブル期にノンバンクや不動産、建設業などに対する過剰な融資が祟り、金融機関の破たんの相次いだ1997年(平成9年)には経営危機に直面。芙蓉グループ各社に増資の引き受けを求め、富士銀行の子会社とされた。それでもなお、富士単独での再建策には限界があり、1999年(平成11年)、既に設立していた富士信託銀と第一勧銀傘下の第一勧業信託銀を合併、第一勧業富士信託銀行DKFTB)を新たに設立した。この際には、安田信託銀の収益性の高い法人部門や年金部門などを分割して第一勧業富士信託銀へ営業譲渡した。

単独で安田信託銀を救済し切れなかった富士が、第一勧銀の力を借りた形となり、これがみずほフィナンシャルグループ成立の嚆矢となった。

2000年(平成12年)、富士銀・第一勧銀・興銀が経営統合。みずほホールディングスが設立され、興銀傘下である興銀信託銀を第一勧業富士信託銀が吸収。(旧)みずほ信託銀行(旧・みずほTB)として発足した。一方、安田信託銀はみずほアセット信託銀行(みずほAT)と商号変更した。当初は信託2行体制で、旧TBがホールセールを、ATがリテールを担う計画であったが、「さらなる効率化」を模索して再び2行を合併。上場維持を理由としてみずほATを存続会社として現在のみずほ信託銀行2003年(平成15年)発足した[1]。これにより、一時分割された旧安田信託は再統合された形となった。

上場銘柄としては、「安田信」 → 「みずほAT」 → 「みずほ信」と変遷された。

2011年(平成23年)9月1日に、株式交換によりみずほフィナンシャルグループに完全子会社化された[2]。これに伴い、先立つ同年8月29日に上場廃止となった。今後、みずほ銀行との事業統合も検討されている[3][4]

業務の特色

旧安田信託銀の流れを汲む不動産事業のほか、遺言や資産流動化、年金資産運用などに強みを持つ。子会社のみずほ信不動産販売セゾングループ西洋環境開発より「ハウスポート」事業を譲受し、個人向け媒介事業を拡充した。

みずほグループの総合力を活かし、銀行業務はみずほ銀、みずほコーポレート銀に移行する一方で、みずほ信託自行は信託業務への特化に動いている。このため、利益に占める信託報酬などの手数料収入比率が、融資業務による資金利益比率の2倍近くに達しており、これは大手信託銀行で最も大きい[5]

みずほフィナンシャルグループの三本柱の内の1つ、「グローバルアセット&ウェルスマネジメントグループ」の中核会社と位置づけられており、みずほ銀行の営業網を生かした富裕層向け資産管理や中小企業経営者の事業継承ビジネスを推進している。 さらに、損害保険ジャパンとは「保険金定期払い信託」を開発、第一生命保険とは遺言関連業務に関する信託代理店契約を締結するなど、みずほグループ親密先と連携し業務拡大を図っている。

個人向け金銭信託商品の開発に積極的で、予定配当率を明示し安全性を重視した運用を行う「貯蓄の達人」、世界主要先進国の国債で運用する毎月分配型の「世界の賢人」などを販売している。

また、自社[6]あるいはイオンリート投資法人[7]等の投資ファンド所有の商業施設の大規模小売店舗立地法における名義上の設置者(所有者)になっている物件もある[8]

関連会社

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店舗・代理店

近年は、グループ傘下であるみずほ銀行、みずほ証券との銀行・信託・証券による共同店舗化が進められている。

また2012年(平成24年)1月、みずほ銀行が管掌とする銀行代理店業務を開始したほか、同年3月までに自行キャッシュカードと自行ATMの廃止を行い、さらに同行口座においてみずほ信託銀行のサービスが利用可能となった。

2014年1月現在、前年に実施されたイオン銀行によるみずほ銀行との戦略的提携と、同社ATMのみずほ信託銀行との接続内容の変更(手数料改定を含む)に伴い、普通預金へのカード入出金については、みずほ銀行ATM利用時に準ずる利用ができるようになった。

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情報処理システム

勘定系システム

現在は、日本IBM製による勘定系システムを採用しているが、新みずほ銀行による、旧みずほ銀、旧コーポレート銀の合併に伴うシステム統合に、みずほ信託銀も2016年3月末に移行を予定していた[9]。しかし、開発工期が当初予定よりも伸びているため、移行は1年間程度ずれ込む見通しである[10][11]

沿革

  • 1925年(大正14年)5月9日 - 共済信託株式会社設立。
  • 1926年(大正15年)2月12日 - 共済信託株式会社が安田信託株式会社と商号変更。
  • 1948年(昭和23年)8月2日 - 安田信託株式会社が中央信託銀行株式会社と商号変更。
  • 1951年(昭和26年)6月1日 - 中央信託銀行株式会社が安田信託銀行株式会社と商号変更。
  • 1995年(平成7年)
    • 10月 - 興銀信託銀行株式会社設立。
    • 11月 - 第一勧業信託銀行株式会社設立
  • 1996年(平成8年)6月 - 富士信託銀行株式会社設立。
  • 1999年(平成11年)
    • 4月1日 - 第一勧業信託銀行株式会社と富士信託銀行株式会社が合併し、第一勧業富士信託銀行株式会社となる。
    • 10月1日 - 安田信託銀行は、比較的収益力の高い法人部門や年金部門などを分割して第一勧業富士信託銀行へ営業譲渡。
  • 2000年(平成12年)10月1日 - 第一勧業富士信託銀行株式会社を存続会社として興銀信託銀行株式会社を合併し、(旧)みずほ信託銀行株式会社と商号変更。
  • 2002年(平成14年)4月1日 - 安田信託銀行株式会社がみずほアセット信託銀行株式会社と商号変更。
  • 2003年(平成15年)3月12日 - みずほアセット信託銀行株式会社を存続会社として(旧)みずほ信託銀行株式会社を合併し、(新)みずほ信託銀行株式会社と商号変更。
  • 2006年(平成18年)4月10日 - 信託銀行としては初(厳密には新銀行東京が初)となるICキャッシュカードを発行開始。
  • 2007年(平成19年)
  • 2008年(平成20年)
    • 11月4日 - テレホンバンキングサービスの名称を「みずほ信託ダイレクト」に改称。
    • 11月25日 - 「みずほ信託ダイレクト」に、インターネットバンキングの機能を追加。
  • 2011年(平成23年)

エピソード

  • 山一證券破綻(1997年(平成9年)11月)の際に、山一と関係の深かった安田信託へも信用不安が生じたことから、本店や各支店に預金者が殺到した。安田信託側は店外まで列が並ぶと印象が悪くなることを懸念して、行内の会議室等へ客をすべて入れ、各マスコミもこの「取り付け騒ぎ」を報道するのを控えた[12]

脚注

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外部リンク

テンプレート:みずほフィナンシャルグループ
  1. テンプレート:Cite news
  2. テンプレート:Cite web
  3. テンプレート:Cite web
  4. テンプレート:Cite news
  5. テンプレート:Cite news
  6. 大規模小売店舗の地域貢献ガイドライン実施状況報告書 - 群馬県公式サイト2014年3月21日閲覧
  7. 資産の取得完了に関するお知らせ - イオンリート投資法人公式サイト、2014年3月21日閲覧。
  8. 大規模小売店舗立地法届出一覧表(平成25年度)>イオンモール直方 - 福岡県公式サイト、2014年3月21日閲覧
  9. テンプレート:Cite web
  10. テンプレート:Cite web
  11. 「みずほ銀、システム統合1年延期 開発費膨らむ 」『日本経済新聞 電子版』2014年2月27日
  12. 『朝日新聞』2007年10月20日テンプレート:要ページ番号