いすゞ・ミュー

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ミューMu )はかつていすゞ自動車が生産していたSUV。ショートホイールベースで、Bピラー以降が開放型となった車体が特徴。

名称は「ミステリアス」と「ユーティリティ」をあわせた造語で、「謎につつまれた不思議な機能をもった車」という意味。北米での名称は「アミーゴ」で、2代目の末期には「ロデオスポーツ」へと改称された。

概要

ロデオピックアップビッグホーンコンポーネントを利用して開発されたスペシャリティーモデル。登場時は「3ナンバーのガソリン車で荷物も詰めない2人乗り、さらにMTのみ」と、その名の通り「実用性は謎」であった。しかし、チョロQを実車にしたようなファニーなスタイルは非常にインパクトが強く、若者の心を鷲掴みにした。

1989年に初代が登場、1998年フルモデルチェンジが実施された。1989年から1998年にわたって生産された初期型の方が生産台数が圧倒的に多い。

一方、初代「ミューウイザード」は日本国内のクロスカントリー車の市場拡大に伴い、「ビッグホーン」とは異なる層を狙って投入された。

歴史

初代(1989年-1998年)

UCS17 / 55・69系 テンプレート:Infobox 自動車のスペック表 1989年に登場したミューの初期型は、車体後半の開放部にバリエーションがあり、3ナンバー乗用登録)がFRP製のトノカバーを持った「ハードカバー」(UCS17DW型)、1ナンバー(貨物登録)は折りたたみ可能なを持つ「ソフトトップ」(UCS17DH型)と、それぞれ呼ばれる2種類がラインナップされた。乗車定員はハードカバーが2名、ソフトトップが2 / 4名である。

ハードカバーは、バンパーフロントグリルドアミラーカバーをメッキ仕上げとし、「ブライト」と呼ばれる仕様となっている。

はしご型フレームを持ち、サスペンションは、フロントがダブルウィッシュボーンと縦置きトーションバースプリング、リアがリジッドアクスルと半だ円リーフスプリングの組み合わせで、ファスター / ロデオをはじめ、他のいすゞユーティリティーヴィークルと共通の構成。

エンジンは直列4気筒SOHC、2.6Lガソリンエンジンの4ZE1型を搭載。トランスミッションも5速MTのみであった。乗用、貨物ともに同じエンジン型式であるが、それぞれの排出ガス規制の違いから、触媒コンバーターがなく、エキゾーストパイプの曲がりも少ないソフトトップの方が快活な走りを見せた。

フロント周りはファスター / ロデオと共通のデザインながら、ブリスターフェンダーの張り出しはより大きくされた。フロントドアパネルもファスター / ロデオと共通であるが、ミューでは三角窓は装備されない。

日本国内向けの生産は、シャーシがいすゞ・藤沢工場で、車体と最終組み立ては、オープン構造の車体組み立てを得意とする高田工業に委託された。北米向けの「アミーゴ」は、富士重工業との合弁による、インディアナ州SIAで生産された。

1990年8月に荷室部分に鉄製のハードトップを付け、4人乗りに変更したメタルトップを追加し、エンジンも直噴4JB1 2.8Lディーゼルターボを追加(ハードカバー UCS55DW型 / メタルトップ UCS55DWM型)。

その後、フロントマスクのフェイスリフトサイドアンダーミラーの追加、後席ヘッドレストの追加などの小変更を経るが、インパネ周りはクラスタースイッチ、サイドブレーキはステッキタイプ、三角窓(これは結構便利だった)と内装も強烈にいすゞぶりを発揮していた。

コンセプトは先進的だが、その実態はどこまでも質実剛健な、いすゞらしい無骨な車だった。

1991年9月、マイナーチェンジ。4速AT車追加。

1992年10月、マイナーチェンジ。同時にソフトトップを廃止。

1993年4月に本田技研工業との間に商品の相互補完に関する基本契約を締結。それに基づき1993年10月から1996年12月の間「ミュー」がOEM供給され「ホンダ・ジャズ」として販売される。

1993年10月、排ガス規制等の対策のため、エンジンを過流室式4JG2 3.1L過流式ディーゼルターボエンジン(インタークーラーなし)に変更。2人乗りハードカバーとガソリンエンジン車の生産中止。これにより、3グレード、ディーゼルターボ4人乗りに統合(UCS69DWM型)。内装も一新。

1995年 5ドアSUVミューウィザードの追加にあわせ、SとXの2グレードに整理。

1997年 ディーゼルエンジンの燃料噴射システムを電子制御式に変更。

ミューウィザード

テンプレート:Main

1995年 5ドア5人乗りミューウィザードを追加設定。それまで北米でRodeoの名称で販売されていたSUVを日本国内向けに大きく設計変更した。

1997年 ディーゼルエンジンの燃料噴射システムを電子制御式に変更。

2代目(1998年-2005年)

UES73EW / UES25EW テンプレート:Infobox 自動車のスペック表 1998年 フルモデルチェンジ(UES73EW型)。フロントマスクにやや面影を残すものの、初代と比べておとなしいデザインとなる。同時に、ウィザードを分離、独立させる。

生産はSIAにすべて移管し、国内で整備後に販売された。

エンジンには、いすゞが新たに開発した新型コモンレール式ディーゼル(Dd)ターボ(インタークーラーなし)を搭載し、燃費の向上、環境負荷の低減を両立した。

2000年 マイナーチェンジ。グレードを従来のXとSを「レジントップ」に統一し、エンジンはディーゼルのみ、「オープントップ」のエンジンに新たに6VD1 V6 3.2Lガソリンエンジンを採用。フロントグリルの変更、マルチリフレクターヘッドランプの採用など、スポーティーなイメージに(UES25EW型)。

2001年 「レジントップ」のエンジンをガソリンエンジンに変更。これにより、ミューのエンジンはガソリンエンジンに始まりガソリンエンジンに終わることとなる。ちなみに、2代目の国内販売台数は1261台。(うちガソリンエンジン搭載のMuは229台)ビークロスの国内生産台数よりもさらに少ない。

2002年 いすゞ自動車SUV撤退を受け、日本国内での販売を終了。その後、2004年までアメリカで生産が続けられた。

2005年 アメリカでの販売も終了。

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関連項目

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外部リンク

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