社会人野球

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
2014年3月10日 (月) 16:25時点におけるシーウェル (トーク)による版
(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)
移動先: 案内検索

社会人野球(しゃかいじんやきゅう)とは、野球競技において、チームの構成員が一般社会人である場合に用いられる区分名称。

概略

一般用語としての広義の意味からは、社会人が行う野球を全て含める(プロ野球・セミプロ野球も含める)ことになるが、日本国内における野球界の定義、及び、関連マスコミでの扱いにおいては、社会人野球とはあくまで、アマチュア野球の内における社会人が行う野球となっている。従って、チームの構成員は全員が、競技者であることでの報酬を一切受けていないことが登録条件となる(事実上の社会人野球の最上位連盟である日本野球連盟のメンバー登録規約による)。

所属するチームや個人によっては、その構成部員が所属する勤務先での職場内活動において、ほとんどを野球競技者としての活動に費やす場合も事実上存在しているが、それはあくまで所属先の都合・事情によるものなので、部員登録規定違反には一切抵触しない(多くの選手は総務担当勤務扱い)。また、時代の推移とともに刻々と変化している。

社会人野球チームも、企業チーム、地域密着型のクラブチームと様々な形態があるが、硬式野球チームの大部分は日本野球連盟に所属して活動を行っている(草野球チームを含めた社会人軟式野球チームは、全く別な管理管轄下で活動している)。

日本の他には韓国(実業野球と呼ばれる)、台湾に社会人野球がある。

大会

主なものは以下の通り。詳細は当該関連団体の項に記載。

社会人野球団体と他のアマチュア野球団体との関係

社会人野球を含む日本のアマチュア野球は、長年、社会人野球・大学野球高校野球少年野球学童野球女子野球・その他の学生野球専門学校高専)の団体が複雑に絡み合って発展し、且つ、それぞれが独立して運営されてきた。

従って、社会人野球と関連団体の織体系を説明する場合、アマチュア野球界としての関連の中で説明した方が全体の構図として分かりやすく、重複部分も多いので、アマチュア野球の項での当該説明を参照の事。

黎明期

日本で野球が行われるようになったのは1872年ごろで、最初の本格的チームは新橋鉄道局の鉄道関係者で組織されていた「新橋アスレチック倶楽部」といわれている(創部は1878年)。この新橋倶楽部が品川にてグランドを造り、これが日本最初の野球場(「保健場」)である。

なお当時の呼び名では一塁は「第一関門」、ホームベースは「本基」、イニングは「小勝負」、ゲームセットは「全勝負」、ホームランは「廻了」といった具合であった。

英語での呼称

英語の報道媒体では日本の社会人野球を "industrial league baseball" と呼称する場合が多い。これは元々19世紀末から20世紀中盤にかけ存在したアメリカの実業団野球を示す語句であり、前述のようにクラブチームも多い現在の社会人野球に用いるのは、厳密には正確ではない。

関連項目

外部リンク