端宗 (宋)
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テンプレート:基礎情報 中国君主 端宗(たんそう)は、南宋の第8代皇帝。姓は趙、諱は昰。元代に編まれた『宋史』では建国公として、恭帝(瀛国公)、衛王(永国公)と共に本紀の最後の巻(第四十七)にまとめられている。
生涯
度宗の三男として生まれる。益王に封じられていたが、徳祐2年(1276年)に都・臨安が陥落し、弟の恭帝が元に降伏して捕らえられると、趙昰と母親の楊淑妃、弟の衛王趙昺は楊亮節などの手引きにより福建へ脱出した。趙昰は新たな皇帝に立てられ、福州濂浦において7歳で即位し、景炎と改元した。張世傑や陸秀夫ら主戦派は故地回復を画策するが、元軍が迫ると有効な対抗策がなく、張世傑とともに海路避難することに終始した。
景炎3年(1278年)3月、元軍に追われて広州湾に逃れたが、乗船した船が転覆する事故が発生した。端宗は海中より救助されたものの、これが原因で病となり、碙州(現在の広東省雷州湾)に逃れた際に同地でわずか10歳で崩御した。