名古屋妊婦切り裂き殺人事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
テンプレート:暴力的 名古屋妊婦切り裂き殺人事件(なごやにんぷきりさきさつじんじけん)は、1988年(昭和63年)に愛知県名古屋市で発生した未解決の猟奇殺人事件。
概要
1988年(昭和63年)3月18日、愛知県名古屋市中川区のアパートに会社員(当時31歳)の男性が帰宅。室内で、妻である臨月の妊婦(当時27歳)が殺され、赤ちゃんが泣き叫んでいるのを発見した。
妻は両手を縛り上げられており、首に電気コードを巻かれ、絞殺されていた。死体は、薄い鋭利な刃物で、みぞおちから下腹部にかけて縦38センチにわたって切り裂かれていた。彼女の足元には、赤ん坊が、へその緒をつけたまま泣き叫んでいた。犯人は妊婦を絞殺後、胎児を生きたまま取り出してへその緒を刃物で切断し、子宮にコードを切り離したプッシュホン式の電話の受話器と、キャラクター人形のついたキーホルダーを入れた後、妻の財布を奪って逃走した。
取り出された胎児は男の子で、太ももの裏、ひざの裏、睾丸の3箇所を刃物で切りつけられていたが、病院で約1時間の手術を受け一命を取り留めた。
なお、絞殺の凶器は別の物であり、首に電気コタツのコードが巻かれたのは死後とされている(コンセントが刺さっていた状態で発見された)。
有効な手がかりがないまま2003年(平成15年)3月18日に公訴時効が成立し、未解決事件となった。世間の好奇の目にさらされ続けた夫と子供は1999年(平成11年)に日本国外に移住している。
捜査
- 夫への容疑
- 警察は最初、被疑者を夫のみに絞っていた。理由は、
- 帰宅後に、家の異変に気づきながらも妻の存在を確かめず、妻を捜す前にスーツから着替えていたこと。
- 報道陣の前で、「妻はワインが好きだったので、ワインを注がせてください。」と言いながら、グラスに赤ワインを注ぎ、霊前に供えた(落ち着き払っており、この行為はパフォーマンスと考えられた)こと。
- などからである。
- しかし、妻の死亡推定時刻である午後3時前後には、まだ会社で勤務していたため、アリバイが成立した。
- サイドビジネスと最後の目撃者
- 次に、夫婦がサイドビジネスとして家庭でアムウェイの商品を販売していたことから、警察は「サイドビジネスがらみの怨恨殺人」と睨んだ。しかし、具体的な手がかりは得られなかった。
- 妊婦に出会った最後の人物は、妊婦から商品を受け取った女性である。彼女は、当日の午後2時ごろ車に乗り、手土産に苺を持ち、注文商品の受け取りに妊婦宅を訪問した。
- 妊婦は女性を部屋に入れ、2人で苺を食べながら世間話をした後、商品を女性に渡して金を受け取っている。
- 金を入れた財布は、犯人に奪われている(他の金品は一切奪われていない)。
- 午後3時ごろ、妊婦は階下にある駐車場まで女性を送って行った。この時には「施錠していなかった」と、後に女性は証言している。
- 妊婦の死亡時刻が午後3時前後であることから、「2人が部屋を出て行った直後に犯人が侵入した」とみられている。コタツの上には、苺が入っていた空のガラス食器が置かれたままだった。
- 不審人物
- 階下の居住者が、「午後3時10分から20分までの間に、不審な男がアパートをうろついていた」と証言。
- この男の目撃証言は他にもあり、近くの駅から、アパートやマンションを訪ねまわっている姿が何人もの人間に目撃されていた。
- 後にアパートと近所の住人から、不審人物の証言を得たほか、事件当日にアパート付近を通った通行人400人以上の人間をしらみつぶしに確認した。しかし、「不審人物の行方は分からなかった」と警察は発表している。
- 医療関係者
- 腹部が38cmにわたり切り裂かれてへその緒も切ってあるため、医療関係の仕事に従事している人物の線も疑われた。
- しかし傷を調べたところ実際の帝王切開とはあまりにも違い過ぎていた。通常は縫合が容易で傷の治りも良い形として腹を横に切り、何らかの理由で縦に切る必要がある場合は臍の直下から下向きに切る。しかし被害者の傷を調べた所下から上へ、つまり逆向きに切られており、さらに傷そのものも帝王切開と比べてあまりにも大き過ぎた。そのため医療関係者が犯人の可能性は否定された。