松前盛広

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
2014年4月26日 (土) 00:28時点における神田小夜子 (トーク)による版
(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)
移動先: 案内検索

テンプレート:基礎情報 武士 松前 盛広(まつまえ もりひろ、旧字体:盛廣)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将蝦夷松前藩の初代藩主松前慶広の子。

生涯

元亀2年(1571年)、松前慶広の長男として生まれる。

豊臣秀吉の死後、父・慶広とともに徳川家康に臣従した。慶長5年(1600年)に家督を継承したとされ、慶長6年(1601年)に従五位下若狭守に叙位・任官するが、政務は依然として慶広は執り行っており、慶長9年(1604年)、江戸幕府より黒印制書を受け松前藩が成立した際も、父・慶広が藩主として封じられた。

慶長13年(1608年)1月21日に父に先立って死去した。享年38。このため、盛広の長男・公広が慶広の世子となって家督を継ぐこととなった。