2013年3月19日 (火) 11:22時点における
F.M.H (トーク)による版
(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)
蒲池 武久(かまち たけひさ、生年不詳 - 延元元年/建武3年3月2日(1336年4月13日))は、南北朝時代の武将。蒲池久家の子。日向守。出羽守とも。松浦党蒲池氏の最後の人物にあたる。
生涯
南朝方に属し、後醍醐天皇に反旗を翻した足利尊氏を迎え撃った多々良浜の戦いに菊池武敏の傘下で戦うが討ち死にした。
嫡子が無く、残された娘は、女地頭として一人で家を守り、南朝凋落の頃に筑後国の高良大社で同じ南朝方の筑後宇都宮氏の宇都宮久憲に嫁ぎ、久憲が蒲池氏の名跡と遺領を継ぐ。