一夜城
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一夜城(いちやじょう)は、攻城などにおいて相手方の城に対する野戦陣地として構築される陣城のうち、非常に早く構築されたもののこと。
豊臣秀吉の一夜城
豊臣秀吉の手による以下の2つの城が知られているが、いずれもまったく一夜でつくられたものではない。
物語上では『絵本太閤記』出版以降に墨俣城が見られる。短期間で築城されたと見られる記録があるものに石垣山城がある。
- 『絵本太閤記』に初めて見られるとされ、全くの創作との見方があるが、『前野家古文書』に墨俣築城の経緯が記されている。
- 小田原征伐の際に陣城として築かれた城で、小田原方から気付かれないように小田原城側の山の木を伐採せずに築城し、大方出来上がった時点で、木を伐採することで、一夜にして城が出来上がったかのように見せかけたとされる。記録には、6月初旬に伊達政宗が訪れたときはまだ完成していなかったと伝えられているが、同月20日付けで千利休が古田織部に宛てた書状には「今月中に出来上がる」という趣旨のことが記されているという[1]。
下の物も一夜城と呼ばれることがある。
- 古処山城を本拠とする支城。豊臣軍が九州征伐での陥落の際に火の海となったが、一夜が明けると益富城は見事に修復していた。実際は火の海にもなっておらず、村人が一斉に篝火を焚かせた物であり、城も村人から障子などを貼った物であった。