岡本頼氏
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岡本 頼氏(おかもと よりうじ、天文6年(1537年) - 慶長11年11月13日(1606年12月12日))は、人吉藩相良氏の家臣。通称は弥十郎、源次郎。別名は頼真。官位は主馬、河内守。父は岩本隆吉。
先祖は菊池氏で、球磨郡永里の地頭職にあったことから「永里氏」を称した後、相良前続の頃、先祖が原田岩本に水田一町を賜って以後、「岩本氏」を名乗った。
頼氏は深水姓を賜り深水主馬と称したが、その後に岡本の領主であったことから岡本姓を名乗った。槍の名手で武勇に長け、歌道にも通じていたという。弘治元年(1555年)の初陣から大小19の戦いに出陣、傷を被る事31ヶ所、相良氏の主要な合戦の大半に出陣して武名を挙げた。特に永禄11年(1568年)の島津氏との戦いでは大口城を死守し、敵将の川上久朗を討ち取るという大功を挙げている。
相良氏が島津氏の配下になると菱刈源兵衛、内田伝右衛門と共に島津義弘に所望され、島津軍とともに大友氏攻めに出陣し、功を挙げている。69歳のときに剃髪するも、その翌年病没した。法名は「悟了永頓」。