酒々井町
テンプレート:Infobox 酒々井町(しすいまち)は、千葉県の北部中央に位置し、印旛郡にある町。通勤率は、成田市へ21.0%、佐倉市へ11.3%、東京都特別区部へ11.2%(いずれも平成22年国勢調査)。
2010年、印旛村・本埜村の印西市編入により、印旛郡は栄町と酒々井町のみとなる。
目次
概要
- 町名は親孝行息子の井戸から酒が湧いたという酒の井戸の伝説に由来する。
- 昭和40年代から住宅団地が造成されており、JR・京成酒々井駅周辺には「酒々井町中央台団地」(造成主体・酒々井町)や「東しすい住宅団地」(造成主体・東急建設、昭苑都市開発)などが広がっており、近年、JR成田線の快速電車がJR酒々井駅に停車し、京成電鉄も京成酒々井駅、宗吾参道駅に特急電車が停車するなど、交通の便が格段に改善されている。
- また、京成宗吾参道駅の近くには京成電鉄の車庫がある。
地理
- 1級河川:高崎川
隣接している自治体
人口
歴史
- 伊篠白幡遺跡や上岩橋貝層、かんかんむろ遺跡などから発見された石器などから、約2万4000年前頃から人類が居住していたとされる。
- 室町時代から戦国時代には千葉氏の本拠地、本佐倉城が存在し、北総地域の政治的中心地であり、また印旛沼の水運を利用した水上交通管制の要衝でもあった。江戸時代に入ると土井利勝の佐倉城築城に伴う本佐倉城廃城により、政治的意義は失われたが、成田山詣や芝山仁王尊詣の宿場町として栄えた。また、当時の陸上交通手段である馬を扱う幕府直轄の野馬会所(馬市場)が存在し、水上交通の便も手伝い物資の集散地となった。生産業では農業や酒造業が盛んであった。
- 近代に入ると、1897年(明治30年)に酒々井駅、1914年(大正3年)に南酒々井駅・1926年(大正15年)に京成酒々井駅、1929年(昭和3年)には宗吾駅(現宗吾参道駅)と、鉄道が相次いで開通・駅が設置された。昭和中期に入ると東京の大都市圏が広がりを見せたこと、小規模な自治体ながら、鉄道インフラストラクチャーが整っていたことなどから、前出の住宅団地の造成が進み、現在では主として千葉・成田方面に対するベッドタウンとなっている。
- 明治の大合併以降、合併を行っていない数少ない自治体のひとつでもある。県内では他に、鎌ケ谷市や習志野市、富里市、浦安市がある。
年表
- 2万4000年前 石器や貝塚などから人類が居住していたと推定される。
- 1486年(文明18年) - 千葉輔胤が本佐倉城を築城、本拠地を移す。
- 1521年(永正18年) - 城下町(酒々井宿)の整備が始まる。
- 1590年(天正18年) - 小田原征伐において千葉氏滅亡。
- 1592年(天正20年) - 徳川家康五男 武田信吉が入府。
- 1610年(慶長15年) - 土井利勝が佐倉城を築城。
- 1872年(明治5年) - 酒々井郵便局ができる。(現在は、中央台1丁目に移転)
- 1873年(明治6年) - 墨学校が東伝院にできる。
- 1874年(明治7年) - 本佐倉学校ができる。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、酒々井町、下台村、馬橋村、墨村、飯積村、尾上村、中川村、伊篠村、伊篠新田、篠山新田、今倉新田、下岩橋村、柏木村、上岩橋村、本佐倉村、本佐倉町が合併し、印旛郡酒々井町が発足。[1]
- 1897年(明治30年) - 鉄道が開通。(現、JR成田線)
- 1908年(明治41年) - 酒々井町立酒々井小学校ができる。
- 1947年(昭和22年) - 酒々井中学校ができる。
- 1961年(昭和36年) - 第一回町民体育大会開催。
- 1971年(昭和46年) - 住宅団地の造成が始まる。
- 1982年(昭和57年) - 大室台小学校ができる。
- 2002年(平成14年) - 佐倉市との合併を住民投票により否決される。
- 2003年(平成15年) - プリミエール酒々井ができる。
- 2013年(平成25年) - 東関東自動車道・酒々井ICが供用開始(4月10日)、酒々井プレミアム・アウトレットオープン。(4月19日)
変遷表
酒々井町町域の変遷表 | ||||||
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1868年 以前 |
明治元年 - 明治22年 | 明治22年 4月1日 |
明治22年 - 昭和64年 | 平成元年 - 現在 | 現在 | |
酒々井町 | 明治19年 酒々井町 |
酒々井町 | 酒々井町 | 酒々井町 | 酒々井町 | |
酒々井村 | ||||||
本佐倉町 | ||||||
本佐倉村 | ||||||
馬橋村 | ||||||
墨村 | ||||||
飯積村 | ||||||
尾上村 | ||||||
下台村 | ||||||
中川村 | ||||||
上岩橋村 | ||||||
柏木村 | ||||||
下岩橋村 | ||||||
伊篠村 | ||||||
伊篠新田 | ||||||
今倉新田 | ||||||
篠山新田 |
行政
- 町長:小坂泰久
酒々井町の下水道普及率は、90.2%(平成17年度)と県内の町村ではトップの普及率であり、県内市町村では、浦安市(98.8%)、千葉市(95.9%)、八千代市(92.4%)、四街道市(90.4%)に次ぐ5番目の普及率である。[2]
企業
- 飯沼本家
- すしめん処大京本社
経済
主な商業施設
- 千葉鑑定団 酒々井店
- スーパーセンタートライアル 酒々井店(スーパーマーケット)
- タイヨー 酒々井店(スーパーマーケット)
- ナリタヤ 酒々井店(スーパーマーケット)
- せんどう 酒々井店(スーパーマーケット)
- 酒々井プレミアム・アウトレット
地域
北部
宗吾参道駅があり、東京学館高等学校の他、酒々井ちびっ子天国、伊篠白幡遺跡、上岩橋貝層などの遺跡が存在する。
中部
主要駅である、酒々井駅・京成酒々井駅が存在し、その周辺は人口密集地域である。 また、東部の国道51号の旧道(成田街道)沿には、かつての宿場町の面影を残す酒々井宿の古い町並みが残っている。 その他、国道のバイパス沿いにショッピングセンターや大型リサイクルショップなどの、大型商業施設が存在する。
南部
南酒々井駅があり、総合運動公園・ハーブガーデン・酒々井パーキングエリア・酒々井まがり家(飯沼本家内)などの諸施設が点在する。 また、小規模ながら工業団地が存在する。 南部地区新産業団地に、米外資系企業による超大型商業施設進出計画があったが、2007年5月に白紙となった。その後、2008年3月にオリックス不動産が都市再生機構と土地譲渡予定契約を締結した。[3]
教育
高等学校
中学校
小学校
幼稚園
交通
鉄道
道路
路線バス
- 同社のバス路線は町内においては3路線のみとなっている。印西市が運行するコミュニティバス「イーバス」(同社が運行受託)が京成酒々井駅まで乗り入れている。
乗合タクシー
「ふれ愛タクシー」という大型タクシーを利用したデマンド型の乗合タクシーのサービスを行なっている。このタクシーはスクールバスも兼用しているため利用時間帯が限られており予約が必要となっている。このサービスは、2003年度における国土交通省の「公共交通不便地域における情報通信技術を活用したデマンド型乗合タクシーモデル実験」という実証実験からスタートしたものである(参考 [1])。
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
- ハーブガーデン 「ハーブの丘」
- 酒々井ちびっこ天国(房総の魅力500選)
- 酒々井まがり家(飯沼本家内)
- 酒々井総合公園
- 螢の里
- 酒々井ふるさとまつり(11月中旬)
- 本佐倉城跡(国の史跡、房総の魅力500選)
- 六所神社
- 墨の獅子舞(7月15日)(千葉県指定無形民俗文化財、房総の魅力500選)
- 馬橋地区の獅子舞(7月第3土曜日)(酒々井町指定無形民俗文化財)
- 上岩橋地区の獅子舞(4月第1日曜日)(酒々井町指定無形民俗文化財)
- 順天堂大学裸まつり(6月上旬)
- しすいの森パークゴルフ場
- 酒々井プレミアム・アウトレット
脚注
その他
- 人口内訳
- 男性:10,913人(2007年6月)
- 女性:10,828人(2007年6月)
- 世帯数:8,860世帯(2007年6月)
- 町制施行日:明治22年4月
- 町制施行時人口:3,644人
外部リンク
テンプレート:Navbox テンプレート:酒々井町の町丁・大字
- ↑ 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典 12 千葉県』、角川書店、1984年 ISBN 4040011201より
- ↑ 財団法人 日本下水道協会発表 「下水道の普及率と実施状況」より。
- ↑ ちばとぴ ちばの耳より情報満載 千葉日報ウェブ「オリックス不動産名乗り 今年度末、URと譲渡契約 酒々井南部地区開発」