統一ロシア

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2007年の下院選で統一ロシアに投票を呼びかける看板。「モスクワはプーチンに賛成!」と書かれている
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2008年4月、党大会に向かうグルイズロフ、プーチン、メドヴェージェフ(一列目左から)
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2008年4月の党大会にて拍手の中立ち上がるプーチン

統一ロシア(とういつロシア、テンプレート:Lang-ru イヂーナヤ・ラッスィーヤ)は、ロシア政党で、現在の政権与党。党首は2012年よりドミートリー・メドヴェージェフが務める。

歴史

1999年の下院選前に、強い与党の創設を目論んだ政権側の肝いりで有力州知事らがショイグ非常事態相を党首に結成した政党「統一」と、同1999年ルシコフモスクワ市長らが結成した中道左派連合「祖国・全ロシア」が、2001年12月1日に統合して成立した。

2002年11月、党最高会議ビューロー(執行部)議長(党首)にグルイズロフ内相が選出された。翌2003年の下院選で統一ロシアは圧勝し第一党となる。選挙後に召集された議会でグルイズロフは下院議長に就任した。2004年11月の党大会で、グルイズロフが党最高会議ビューロー議長に再選される。

2006年12月2日エカテリンブルクで党大会が開催された。党大会ではグルイズロフ下院議長・党首、ルシコフら地方政府代表が参加した。この党大会では今後10年間の国家建設の指針となる「国家発展戦略」を採択した。同戦略は2007年ロシア下院選挙及び、2008年ロシア大統領選挙に向けての党の公約でもある。一方で党内ではシロヴィキと反シロヴィキの駆け引きが熾烈なものとなり、党役員改選では、当初、役員に選出されると予想されていたロシア鉄道ウラジーミル・ヤクーニン社長が選出されなかった。

2007年の下院選挙では、プーチン大統領が党の比例代表名簿一位となり、国民の支持を集め、政権与党としての有利さを最大限生かして大勝し6割以上の議席を獲得する[1]。2008年の大統領選ではドミートリー・メドヴェージェフ第一副首相を支持した。同年4月15日、プーチンは党大会に出席し、次期党議長(党首)への就任を受諾した。同年5月7日、プーチンは大統領退任とともに正式に党首に選出された。

ロシアで大きな影響力を誇る統一ロシアであるが、2008年からの世界同時不況で人気に陰りが見え始めたと言う指摘がある。2009年3月にはトベリ市議会選でロシア連邦共産党に第一党の地位を奪われ、スモレンスクエカテリンブルク近郊の首長選でも統一ロシアの候補は当選できなかった[2]。また、金融危機の進展次第では今後プーチンの人気が急落し、2012年に大統領選が実施された場合、プーチンが当選できないのではないかとの見方も出始めている[3]。とはいえプーチンは、現在も高い支持率を保っている(2009年8月の調査では73%の支持率[4])。

2011年ロシア下院選挙では3233万1244票(49.29%)を獲得し、238議席を得たが、前回と比べては大幅な議席減という結果になった。2012年ロシア大統領選挙でも勝利を収めた。

その後もロシアの中核都市の市長選で統一ロシア候補が惨敗するなど、地方選挙では苦戦を強いられている。「ニェザヴィーシマヤ・ガゼータ」は「ロシア国民の目が肥えてきた」と論評している[5]

2012年5月26日、党首にドミートリー・メドヴェージェフ首相を選出した[6]

2011年の下院選あたりから、統一ロシアの国民的イメージは選挙不正や統一ロシア議員の不祥事などから低下しており、プーチン大統領は統一ロシアを事実上見限り、超党派の国民運動体「全ロシア人民戦線」を2013年6月に正式な社会団体に格上げすることで自身の権力の安泰を図ろうとしている[7]

しかし、2014年3月あたりからロシアのウクライナに対する強硬姿勢が国民の支持を集め、プーチン政権並びに統一ロシアの支持率が上昇している[8]

政治的立場

プーチン大統領支持だけを旗印にさまざまな思想信条を持つ政治家らが集まった「寄せ集め」政党との指摘もある。中道を標榜するものの、2006年10月に、より中道左派色の強い公正ロシアが結成されたため、実際には穏健な保守あるいは中道右派とみなされることが現在では多くなっている。結成当初は中道左派・社会民主主義政党の国際組織である社会主義インターナショナルの会合に代表を参加させたこともあるが、2013年6月には伝統的なロシアの価値観に反するとして同性愛の宣伝禁止法を制定するなど保守色を強めている。

組織・役職

党首

党首 在任期間
1 60px セルゲイ・ショイグ 2001年12月1日 - 2005年4月15日
2 60px ボリス・グルイズロフ 2005年4月15日 - 2007年12月31日
3 60px ウラジーミル・プーチン 2007年12月31日 - 2012年5月30日
4 60px ドミートリー・メドヴェージェフ 2012年5月30日 -

日本の政党との関係

日本自由民主党とは、2002年以来、政党間交流を行うなど友党関係にある。統一ロシアの地方組織は、日本の自民党を参考にして作られたものであるという[9]。また2011年11月26-27日に行われた党大会には民主党の国際局長を務める渡辺浩一郎衆議院議員が出席。野田佳彦代表(内閣総理大臣)の親書をコサチョフ国家院国際問題委員長に手渡し、両者は党間交流の推進で合意している[10]

評価

ソビエト連邦最後の最高指導者を務めたミハイル・ゴルバチョフは、「統一ロシアは旧ソ連共産党のできの悪いコピーだ」とメディアに語っている[11]

脚注

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外部リンク

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テンプレート:ロシアの政党
  1. ロシア下院に多数党が誕生」 ノーボスチ・ロシア通信社、2007年12月4日。
  2. テンプレート:Citenewsテンプレート:リンク切れ
  3. テンプレート:Citenews
  4. プーチン氏支持率73% 政界登場10年、揺るがぬ人気」 朝日新聞、2009年8月10日、2009年10月23日閲覧。
  5. しんぶん赤旗 2012年4月5日 国際欄
  6. テンプレート:Ja icon テンプレート:Cite web
  7. テンプレート:Citenews
  8. ВЦИОМ: Всероссийский Центр Изучения Общественного Мнения: Электоральный рейтинг политических партийWCIOM
  9. 武部幹事長が「統一ロシア」の訪日団と会談自由民主党ホームページ、2004年11月1日。
  10. テンプレート:Cite web
  11. テンプレート:Citenewsテンプレート:リンク切れ