樋上いたる
樋上 いたる(ひのうえ いたる、女性、3月1日 - )は、ゲームの原画家である。Key所属。大阪府出身[1]。専門学校漫画家プロ養成科卒業。
目次
人物
いたる絵
樋上いたるの描く特徴的な絵柄(極端に大きく描かれた目や顔の中心に集まった鼻と口など)は「いたる絵」と呼ばれる。これは下手な絵だと批判されることもあるが、ライターの佐藤心は絶妙な表情の描き方が神業レベルなのだと評価している[2]。「人間の知性も感性も内面も、すべては工学的に記述可能である」とアートのあり方を批評した評論家である黒瀬陽平は、なぜ多くのプレイヤーが「いたる絵」で表現された美少女キャラクターの絶妙な表情の変化からリアリティを感じられたのかを、美術史家のアビ・ヴァールブルクが提唱した「情念定型」という概念を応用して説明している[3]。
経歴
高校時代は漫画研究部に所属[4]。漫画家を志望し、専門学校に進学、在学中にPCゲーム『同級生』に触れ、ゲーム業界に就職を希望する。が、当然ながら科が違うため学校に求人広告は無く[5]、そのため自分で求人情報を探した結果、TGLでグラフィッカーとして採用される[6]。未経験だったため、仕事場で作業の仕方を教わることになる(当時の環境は16色のドット打ちだった模様)。TGL退社後、当時ビジュアルアーティストオフィスという社名だったビジュアルアーツに入社し、ボンびぃボンボンにてグラフィッカーとしてPCゲーム『たまご料理』に参加[6]。1年でビジュアルアーティストオフィス退社後、ネクストンに入社して原画家に抜擢される[6]。
Tacticsにて原画を担当していたが、折戸伸治・麻枝准・久弥直樹らと共に移籍する事をビジュアルアーツ社長の馬場隆博に相談し、了解を得る[7]。その後は、Key立ち上げのメンバーとなり、現在に至る。
2006年には新ブランド・pekoeの『ぼくらはみんな、恋をする』でボーイズラブゲームの原画にも進出した。
2007年12月2010年8月まで折戸・ちろと共にインターネットラジオ『Keyらじ』のパーソナリティを担当していた(番組中では「いたる」と名乗っている)。
2008年4月1日にKey公式サイトより発表されたKeyの完全最新作『Rewrite』では、企画原案も担当する。
原画担当作品
メイファーソフト(ネクストン)
- Phantom Lady(キャラクターデザイン/CG)[6]
ボンびいボンボン!(ビジュアルアーツ)
Tactics(ネクストン)
Key(ビジュアルアーツ)
pekoe(ビジュアルアーツ)
その他
雑誌「GAMERS NAVI」(ゲーマーズナビ)の読者プレゼントである『CLANNAD』の一ノ瀬ことみを書いたイラスト入りいたる直筆サイン色紙がYahoo!オークションに開始価格1円で出品され、531,000円で落札されたことがある。
声はKey公式サイトで公開されているインターネットラジオ『Keyらじ』で聞くことができる。また『さよなら絶望放送』のリスナーでもある[10]。家電量販店ソフマップでMicrosoft Windows 7のDSP版販促商材に協力して販促品に人気が集まった。
『神のみぞ知るセカイ』のFlag.12のエンドカードを担当した。
毎週「樋上いたるのラクガキコラム」を描いている。
脚注
外部リンク
- 公式サイト
- テンプレート:Twitter
- いたるのヒトデ番長
- Visualstlye2011年1月号 - 樋上いたるインタビュー
- ↑ 1.0 1.1 1.2 引用エラー: 無効な
<ref>
タグです。 「comptiq201112299
」という名前の引用句に対するテキストが指定されていません - ↑ 東浩紀・佐藤心・更科修一郎・元長柾木 「どうか、幸せな記憶を。」『批評の精神分析 東浩紀コレクションD』 講談社、2007年、223-223頁。ISBN 978-4062836296。
- ↑ 黒瀬陽平「新しい「風景」の誕生」『思想地図vol.4 特集・想像力』 NHK出版、2009年、121-127頁。ISBN 978-4140093474。
- ↑ 『ビジュアルスタイル』2011年1月号、ビジュアルアーツ、2頁
- ↑ 『ビジュアルスタイル』2011年2月号、ビジュアルアーツ、3頁
- ↑ 6.0 6.1 6.2 6.3 6.4 6.5 6.6 6.7 『ビジュアルスタイル』2011年1月号、ビジュアルアーツ、4頁
- ↑ 癖のある絵柄でTacticsに解雇を通告されたと言われていたが、いたるは2007年8月に発行した同人誌上でそれを否定している。
- ↑ 8.0 8.1 『ビジュアルスタイル』2011年1月号、ビジュアルアーツ、5頁
- ↑ 9.0 9.1 9.2 9.3 『ビジュアルスタイル』2011年1月号、ビジュアルアーツ、6頁
- ↑ 『さよなら絶望放送』第75回配信分より。この時は絶望ネーム「某イラストレーター」として読まれた。