インタウィチャヤーノン
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肖像 | |
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基本情報 | |
正式名称 | インタウィチャヤーノン王様 |
タイ語表記 | พระเจ้าอินทวิชยานนท์ |
英語表記 | King Inthawichayanon |
別名・通称 | |
称号 | |
王朝・代 | チエンマイ王朝9代目 |
統治地域 | 現タイ王国のチエンマイを中心とする一部地域 後に主権を失う |
誕生 | |
即位期間 | 1873年 – 1896年 (タイ仏暦2316年 – 2439年) |
その他の呼称 |
インタウィチャヤーノン公はタイ王国のチエンマイ県にあったチエンマイ王朝の第7代目の君主である。3代目の公・セーティー公の孫。王よりも妻のクライソーン妃の方が頭脳明晰でよく王を助けたという。時のチュラーロンコーン大王はチャクリー改革の一環としてモントン制を導入し、チエンマイをタイ王国に編入しようと試みた。1884年(タイ仏歴2427年)には、インタウィチャヤーノン公から主権を剥奪した。チエンマイ王国はチャクリー王国の属国であったため、拒否することはできなかった。この後チェンマイ王(公)は「君臨すれども統治せず」の体制になる。