瀬野八

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テンプレート:Vertical images list 瀬野八(せのはち)とは、西日本旅客鉄道(JR西日本)山陽本線八本松駅 - 瀬野駅間 (10.6km) の通称である。本区間は広島県東広島市広島市安芸区にまたがっており、峠としての正式名称は大山峠である。

概要

この区間は、山陽鉄道により1894年6月10日に開通した。同社は急勾配を避ける方針で路線を敷設したが、この区間は経済性を優先して最短経路で敷設したことから、瀬野駅から八本松駅に向かって22.6(パーミル)[1]の連続急勾配区間となった。ルート決定に対し、別案として現在の芸備線沿いを通る緩勾配案や熊野町を抜けるルートも検討されていた[2]。開業時の時代背景として、日清戦争開戦直前で、軍部がルート変更をしてはいけないとする強い意向も存在した事実もある[3]。このため蒸気機関車時代から現在の電気機関車に至るまで、開業以来上り列車には補助機関車(補機)を連結するボトルネック区間となった。

八本松駅から瀬野駅の間には『JR西日本 八本松変電所』と『JR西日本 瀬野変電所』の2カ所の変電所が整備され、上り側は架線がツインシンプルカテナリー式になっている。また以前は、瀬野駅に隣接して1894年から1986年まで補機を駐在させるために瀬野機関区が、また中間地点には1912年から1939年まで上瀬野信号所が存在した。

運用

現在は補機を連結するのは貨物列車のみであるが、かつては旅客列車や荷物列車にも補機が連結されたほか、2002年まで一部列車では走行中補機解放が八本松駅構内下関側で行われていた[4]。このため、補機専用機関車は、EF67形100番台をのぞき、連結器解錠用テコにシリンダを装備して走行中解放に対応したほか、EF61形200番台・EF67形基本番台の貨車連結側となる東京方にはデッキを装備している。 現在では補機の連結・解放は瀬野駅や八本松駅では行われておらず、広島貨物ターミナル駅で連結され、西条駅で解放している。瀬野駅構内には、本区間で使用する補機を配置する瀬野機関区があったが1987年に廃止され、広島貨物ターミナル駅近くにある広島機関区に統合された。

1962年電化後は、EF53形EF56形を改造したEF59形ならびにEF61形を投入。従来の機関車牽引列車のみならず、動力分散方式151系電車を使用した特急つばめ」や153系電車による急行にも、搭載するMT46形主電動機の1時間定格出力が100kWのためMT比1:1では出力が不足することや過負荷による主電動機の異常過熱が問題[5]となり、補機が連結された(「山陽本線優等列車沿革」の項目も参照)[6]。機関車は自動連結器、153系電車は密着連結器のため、神戸方密着連結器・下関方自動連結器としたアダプター的な意味合いの控車とした湘南色塗装のオヤ35形(0番台)を連結した。

後に1時間定格出力120kWのMT54形主電動機が開発され、151系電車は181系電車に改造の際にMT54形に換装。153系電車は一部が165系電車に置き換えられた他、引き続き153系が使用された列車は付随車を減車してMT比を3:2とすることで対応し、本区間での補機連結は発展的解消を遂げた。しかし、国鉄末期の短編成化でMT比が1:1となって以降、本区間の営業運転には抑速ブレーキとノッチ戻し制御を装備した車両に限定しているため、近郊形電車は平坦線用の113系電車ではなく115系電車が投入されるほか[6][7]103系電車が瀬野で広島方面へ折り返すのも同様の理由である。また、2013年にJR西日本から発表された広島地区新車投入計画においても、関西地区に大量投入されている225系0番台などをそのまま投入するのではなく、瀬野八対策を考慮した別設計になることが予定されている[8]

電力設備増強工事

本区間周辺では、2002年度より水島臨海鉄道を事業主体とした電力設備等増強工事が行われた。これは、JR貨物在籍電気機関車中で最大出力となるEF200形(1時間定格出力6,000kW)を用いて本区間で最大1,300tの重量級貨物列車の運転を行うためのものであり、この工事によりEF200形は従来変電設備の制約により課せられていた出力制限を解除する目的があった。

具体的な工事内容としては、八本松変電所の変電能力増強工事のほか、EF67形電気機関車の解放作業・待避を行う西条駅の有効長を1300t列車対応とするための延伸工事などである。

この工事は2007年2月に完成し、同年3月18日のダイヤ改正よりEF66形・EF200形・EF210形による1,300t列車の運用が開始されたが、2009年9月現在でも、EF200形の出力はEF66形・EF210形と同等に抑えられる出力制限は解除されていない。

後部補機

蒸気機関車時代の補機

電気機関車時代の補機

ごく短期間だが、EF58形1964年の山陽本線横川 - 小郡(現・新山口)間電化まで、東京 - 九州間寝台特急牽引運用の昼間時間帯間合いEF60形500番台も投入された。

本区間を題材にした出版物

参考文献

脚注

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関連項目

外部リンク

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  1. 1000メートルあたり22.6メートルの高低差。
  2. 『広島駅七十年のあゆみ』4ページ
  3. 中国新聞 夕刊1972年7月26日 P.6
  4. 過去には1930年10月に運転を開始した特急「」が、1934年12月の丹那トンネル開通以前は現・御殿場線の勾配区間経由とされていたため下り上りとも御殿場駅構内で、1943年10月の太平洋戦争激化による廃止まで25‰の勾配が存在していた下り大垣駅 - 関ヶ原駅間対応後柏原駅構内で、それぞれ走行中補機解放を行っていた事例がある。
  5. 電動車を増やせば自力登坂も可能だが、編成が変わり他の列車と共通に使用できなくなる、電気を多く使用し不経済であるなどのデメリットや変電所容量などでも問題があるため補機連結策が採用された。
  6. 6.0 6.1 鉄道ジャーナル「国鉄車両の現在 3.115系」杉本聖一、p.91
  7. 国鉄時代末期までは6両編成が基本でMT比が2:1だったため、抑速ブレーキのない80系・153系・111/113系が瀬野八を超えていた。
  8. 天神川駅開業による記念列車では、特別に貸し出された223系が瀬野八を超えている。