1974 FIFAワールドカップ

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テンプレート:国際サッカー大会情報ボックス 1974 FIFAワールドカップテンプレート:Lang-en-short)は、1974年6月13日から7月7日にかけて、西ドイツ(現・ドイツ)で開催された第10回目のFIFAワールドカップである。西ドイツが決勝でオランダを2対1で下し、スイス大会以来2度目の優勝を遂げる。

予選大会

テンプレート:Main

出場国

出場選手は1974 FIFAワールドカップ参加チームを参照。

大陸連盟 出場
枠数
予選大会
予選順位
出場国・地域 出場回数 備考
UEFA 1+8.5 開催国 テンプレート:FRGf 6大会連続8回目[1]
欧州予選 1組 1位 テンプレート:SWEf 2大会連続6回目
2組 1位 テンプレート:ITAf 4大会連続8回目
3組 1位 テンプレート:NEDf 7大会ぶり3回目
4組 1位 テンプレート:DDRf 初出場
5組 1位 テンプレート:POLf 7大会ぶり2回目
6組 1位 テンプレート:BUL1971f 4大会連続4回目
7組 1位 テンプレート:YUGf 3大会ぶり6回目
8組 1位 テンプレート:SCOf 4大会ぶり3回目
CONMEBOL 1+2.5 前回優勝国 テンプレート:BRA1968f 10大会連続10回目
最終予選 1組 1位 テンプレート:URUf 4大会連続7回目
2組 1位 テンプレート:ARG1812f 2大会ぶり6回目
3組 1位 テンプレート:CHIf 2大会ぶり5回目 [2]
CONCACAF 1 最終予選 1位 テンプレート:HAI1964f 初出場
CAF 1 最終予選 1位 テンプレート:ZAIf 初出場
AFC/OFC 1 最終予選 1位 テンプレート:AUSf 初出場
  • 備考欄の「○」は大陸間プレーオフに勝利の上、出場が決定したチーム。

本大会

概要

この第10回記念大会で初めて現在でも使われているFIFAワールドカップトロフィーが、優勝国に手渡された。それ以前に使われていたジュールリメ杯は、1970年大会でブラジルが3回目の優勝を遂げたため、ブラジルにて永久に保管されることとなっており、新しいトロフィーが今後の大会のために準備されたのである。また、この大会から開幕戦は開催国ではなく、前回優勝国が出場することになった。これは2002年の日韓大会まで続いた。ドイツの地で2回目の開催となった2006年からは、前回優勝国の予選免除特権が無くなったため、再び開催国が開幕戦に出場することとなった。

大会の方式が1970年大会のものから変更され、初めて「2次リーグ制」が取り入れられた。16チームが地区予選を突破して招待され、1次リーグは4チームずつ4つのグループに分けられた。各グループの1位と2位チームが2次リーグに進出し、4チームずつ2グループに分けられた。各グループの1位同士が決勝戦を行い、各グループの2位同士が3位決定戦を行った。この方式が実施されたのは今大会と次回アルゼンチン大会のみである。

1次リーグでは、ハンブルクの試合会場で東ドイツ対西ドイツ戦が行われた。両国が同組に入ることが決まった瞬間、組合せ抽選会場には大きなどよめきが起こったという。東西ドイツが対戦した史上唯一の国際Aマッチであり、大方の予想を覆してユルゲン・シュパールヴァッサーのシュートにより東ドイツが1対0で勝利したが、この時ハンブルクのフォルクスパルク・スタディオンは沈黙に包まれた。

前回優勝国のブラジルは、ペレトスタンジェルソンが代表引退した影響でチーム力が落ち、1次リーグも何とか通過する状態であった。2次リーグでもオランダに0対2で完敗し、3位決定戦でもポーランドに敗れ4位に終わったが、2次リーグでの東ドイツ戦でリベリーノがマジックのようなFKを決めた場面が唯一の見せ場だった。

2年前のミュンヘン・オリンピックで金メダルを獲得した実績を持ち、ヨーロッパ地区予選でイングランドに競り勝って出場したポーランドの躍進も話題となった。グジェゴシ・ラトーが通算7得点を挙げ大会得点王となったが、彼以外にもロベルト・ガドハアンジェイ・シャルマッフカジミエシュ・デイナら好選手を揃えてスピード溢れる攻撃サッカーを披露、2次リーグ最終戦で西ドイツに敗れたが、3位決定戦でもブラジルを下して3位の座を確保した。

ジャンニ・リベラサンドロ・マッツォーラらを擁して優勝候補にも挙げられていたイタリアだったが、名GKディノ・ゾフの持つ連続無失点記録をよりによってハイチにストップされたのがケチの付き始めとなった。ハイチ戦は3対1で勝利したものの、続くアルゼンチン戦を1対1の引分け、2次リーグ進出を賭けたポーランド戦を1対2で落すと、アルゼンチンに得失点差で1点及ばず、1次リーグ敗退に終わった。

この大会は既存のサッカー戦術に大きな変革をもたらした大会であった。準優勝に終わったものの、今大会の台風の目となったオランダは、”フライング・ダッチマン”ヨハン・クライフを中心にヨハン・ニースケンスルート・クロルロブ・レンセンブリンクヨニー・レップアリー・ハーンウィレム・ファン・ハネヘムビム・ヤンセンらが従来のポジションに捉われず目まぐるしく動き回る全員攻撃・全員防御の「トータルフットボール」を披露し、サッカー界に一大センセーションを巻き起こした。

一方、優勝した西ドイツもベッケンバウアーを中心としたリベロ・システムを披露した。オランダのトータルフットボールが全世界の注目を集めたため、それほど目立たなかったもののディフェンダーが戦術的に攻め上がるというシステムは画期的であった。西ドイツは円熟の境地を迎えた”皇帝”フランツ・ベッケンバウアーを始めとして”爆撃機”の異名を誇ったFWゲルト・ミュラー、中盤で試合を組み立てた”左足の芸術家”ヴォルフガング・オフェラート、クライフを密着マークし完封したDFベルティ・フォクツ、決勝で同点ゴールとなるPKを事も無げに決めた若き左サイドバックパウル・ブライトナー、GKゼップ・マイヤーといった今日でも語り継がれるスター選手を揃えていた。ミュラーは決勝戦で決勝点を挙げ、西ドイツ代表の優勝に貢献した。

会場一覧

競技場 都市
ベルリン・オリンピアシュタディオン ベルリン
ヴェストファーレン・シュタディオン ドルトムント
ラインシュタディオン デュッセルドルフ
ヴァルトシュタディオン フランクフルト
パルク・シュタディオン ゲルゼンキルヒェン
フォルクスパーク・シュタディオン ハンブルク
ニーダーザクセン・シュタディオン ハノーファー
ミュンヘン・オリンピアシュタディオン ミュンヘン
ネッカー・シュタディオン シュトゥットガルト

結果

1次リーグ

グループ 1


チーム







1 テンプレート:DDRf 5 3 2 1 0 4 1 +3
2 テンプレート:FRGf 4 3 2 0 1 4 1 +3
3 テンプレート:CHIf 2 3 0 2 1 1 2 -1
4 テンプレート:AUSf 1 3 0 1 2 0 5 -5

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グループ 2


チーム







1 テンプレート:YUGf 4 3 1 2 0 10 1 +9
2 テンプレート:BRA1968f 4 3 1 2 0 3 0 +3
3 テンプレート:SCOf 4 3 1 2 0 3 1 +2
4 テンプレート:ZAIf 0 3 0 0 3 0 14 -14

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ブラジルが得失点差でスコットランドを上回り2次リーグ進出

グループ 3


チーム







1 テンプレート:NEDf 5 3 2 1 0 6 1 +5
2 テンプレート:SWEf 4 3 1 2 0 3 0 +3
3 テンプレート:BUL1971f 2 3 0 2 1 2 5 -3
4 テンプレート:URUf 1 3 0 1 2 1 6 -5

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グループ 4


チーム







1 テンプレート:POLf 6 3 3 0 0 12 3 +9
2 テンプレート:ARG1812f 3 3 1 1 1 7 5 +2
3 テンプレート:ITAf 3 3 1 1 1 5 4 +1
4 テンプレート:HAI1964f 0 3 0 0 3 2 14 -12

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アルゼンチンが得失点差でイタリアを上回り2次リーグ進出

2次リーグ

グループ A


チーム







1 テンプレート:NEDf 6 3 3 0 0 8 0 +8
2 テンプレート:BRA1968f 4 3 2 0 1 3 3 0
3 テンプレート:DDRf 1 3 0 1 2 1 4 -3
4 テンプレート:ARG1812f 1 3 0 1 2 2 7 -5

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グループ B


チーム







1 テンプレート:FRGf 6 3 3 0 0 7 2 +5
2 テンプレート:POLf 4 3 2 0 1 3 2 +1
3 テンプレート:SWEf 2 3 1 0 2 4 6 -2
4 テンプレート:YUGf 0 3 0 0 3 2 6 -4

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3位決定戦


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決勝


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優勝国

テンプレート:Winners

得点ランキング

順位 選手名 国籍 得点数
1 グジェゴシ・ラトー テンプレート:POLf 7 
2 アンジェイ・シャルマッフ テンプレート:POLf 5
ヨハン・ニースケンス テンプレート:NEDf
4 ゲルト・ミュラー テンプレート:FRGf 4
ヨニー・レップ テンプレート:NEDf
ラルフ・エドストレーム テンプレート:SWEf
7 ヨハン・クライフ テンプレート:NEDf 3
パウル・ブライトナー テンプレート:FRGf
リベリーノ テンプレート:BRA1968f
レネ・ハウスマン テンプレート:ARG1812f
ドゥシャン・バイェヴィッチ テンプレート:YUGf
カジミエシュ・デイナ テンプレート:POLf

ベストイレブン

ポジション 選手名 国籍
GK ロニー・ヘルストレーム テンプレート:SWEf   
DF ベルティ・フォクツ テンプレート:FRGf  
ルイス・ペレイラ テンプレート:BRA1968f  
フランツ・ベッケンバウアー テンプレート:FRGf  
マリーニョ・ペレス テンプレート:BRA1968f  
MF ヨハン・ニースケンス テンプレート:NEDf  
ビリー・ブレムナー テンプレート:SCOf   
カジミエシュ・デイナ テンプレート:POLf
FW ヨハン・クライフ テンプレート:NEDf   
ロベルト・ガドハ テンプレート:POLf  
グジェゴシ・ラトー テンプレート:POLf  

脚注

テンプレート:Reflist

外部リンク

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  1. 旧ドイツ時代を含む。
  2. ソビエト連邦の選手がクーデターが起こっているチリで行なわれる予定だった大陸間プレーオフ第2戦を棄権したため、チリの本大会出場が決まる。