出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
2013年5月30日 (木) 21:24時点における
オクヤマ (トーク)による版
(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)
テンプレート:基礎情報 中国君主
太丁(たいてい)は、殷朝の第28代帝。帝乙・比干・箕子の父でもある。
成湯の息子にも「太丁」がおり、それと名前が混同され、史記などでは名が太丁となったと考えられる。甲骨文では「文武丁」であるから、実際はこう呼ばれていたのであろう。
西の国である周の季歴を重用したが、後に監禁して餓死させた[1]。
脚注
テンプレート:Reflist
テンプレート:殷の帝
テンプレート:Chinese-history-stub
- ↑ 殷墟から発掘された『卜辞』より。