国際連合事務総長
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国際連合事務総長(こくさいれんごうじむそうちょう、英語:Secretary-General of the United Nations、フランス語:Secrétaire général des Nations unies)は、国際連合の主要機関の一つである国際連合事務局の代表である。
概要
任務は国際連合内部の組織運営をめぐるものと国際連合加盟国における紛争などに際しての調停や国際連合が扱う諸問題についての発言などの両方が含まれる。
国際連合憲章の規定
国際連合憲章の定めるところにより、事務総長は国際連合安全保障理事会の推薦を受けて国際連合総会によって任命される。
国際連合憲章には任期の定めはない。ただし、慣例としては、事務総長の任期は1期につき5年で、現在までの事務総長は最長でも2期10年で全員がその職を退いている[1]。特定の国や地域に権力が集中することを防ぐため、事務総長は安全保障理事会の常任理事国からは選出されないこと、また世界の各地域から順に大陸ごとに選出されることが慣例化している。前任の事務総長と同じ出身地域から選出された例は、第2代のダグ・ハマーショルドと第7代のコフィー・アナンのみである。
2006年10月13日に行われた安全保障理事会で、大韓民国の外相の潘基文が満場一致で支持された。同日の総会で第8代事務総長に選出する決議案を全会一致で採択した。
歴代国連事務総長
代 | 肖像 | 事務総長 | 就任日 | 退任日 | 出身国 |
---|---|---|---|---|---|
代 理 |
80px | グラッドウィン・ジェブ Hubert Miles Gladwyn Jebb |
1945年10月24日 | 1946年2月1日 | テンプレート:Flagicon イギリス (欧州) |
1 | 80px | トリグブ・リー Trygve Halvdan Lie |
1946年2月1日 | 1952年11月10日 | テンプレート:Flagicon ノルウェー (欧州) |
2 | 80px | ダグ・ハマーショルド Dag Hjalmar Agne Carl Hammarskjöld |
1953年4月10日 | 1961年9月18日 | テンプレート:Flagicon スウェーデン (欧州) |
代 理 |
80px | ウ・タント U Thant |
1961年11月30日 | 1962年1月1日 | テンプレート:BIR1948 (アジア) |
3 | 1962年1月1日 | 1971年12月31日 | |||
4 | 80px | クルト・ヴァルトハイム Kurt Josef Waldheim |
1972年1月1日 | 1981年12月31日 | テンプレート:Flagicon オーストリア (欧州) |
5 | 80px | ハビエル・ペレス=デ=クエヤル Javier Pérez de Cuéllar y de la Guerra |
1982年1月1日 | 1991年12月31日 | テンプレート:Flagicon ペルー (南米) |
6 | 80px | ブトロス・ブトロス=ガーリ Boutros Boutros-Ghali بطرس بطرس غالي |
1992年1月1日 | 1996年12月31日 | テンプレート:Flagicon エジプト (アフリカ) |
7 | 80px | コフィー・アナン Kofi Atta Annan |
1997年1月1日 | 2006年12月31日 | テンプレート:Flagicon ガーナ (アフリカ) |
8 | 80px | 潘基文(パン・ギムン) Ban Ki-moon 반기문 |
2007年1月1日 | (現職) | テンプレート:Flagicon 韓国 (アジア) |
- 第2代のダグ・ハマーショルドは、在任中に北ローデシア(現・ザンビア)で事故死。次のウ・タントは事務総長代理を務め、1962年1月1日から正式に事務総長になった。
- 第4代のクルト・ヴァルトハイムは、3期目を目指していたが、中国の拒否権発動により2期で退任。
- 第6代のブトロス・ガーリは、2期目を目指していたが、アメリカの拒否権発動により1期で退任。
脚注
- ↑ ただし、第3代のウ・タントは第2代のダグ・ハマーショルドの事故死に伴って約1ヵ月間事務総長代理を務めており、その代理期間も含めると実質的な在任期間は歴代事務総長の中で唯一10年を超えている。