パウロ三木
パウロ三木(パウロみき、永禄7年?(1564年?) - 慶長元年12月19日(1597年2月5日))は安土桃山時代のキリシタンでイエズス会員。カトリック教会の聖人で、日本二十六聖人の一人として殉教。
生涯
パウロ三木は摂津の生まれ。父の三木半太夫は三好氏に従う戦国武将であったが、永禄11年(1568年)に上洛を果たした織田信長に随身し、功をあげて取り立てられた。やがて父半太夫がキリスト教にひかれて洗礼を受けると、幼いパウロ三木も共に洗礼を受けた。このとき受けた洗礼名が「パウロ」である。安土に最初のセミナリヨ(小神学校)が出来るとパウロ三木は第一期生として入学。イエズス会員の手で教育を受け、幅広く諸学を治めた。成績優秀だったパウロ三木は長じてイエズス会に入会し、すぐれた宣教師として活躍するが、慶長元年(1597年)、豊臣秀吉の命によって大阪で捕らえられ、京都を引き回された上で長崎に送られ、処刑されることになった。奉行の石田三成はパウロ三木などのイエズス会関係者を釈放させようと努力したが、かなわなかった。パウロ三木は他の二十五人と共に長崎へ送られ、同年2月5日、同地で処刑された。
ルイス・フロイスの記録によれば、パウロ三木は十字架の上で、押しかけた群衆に向かって「自分は罪状書きにあるようなフィリピン人でなく、れっきとした日本人である。私はキリスト教を信じたというだけで殺されるのである。この理由のゆえに私は命をささげることをいとわない。私はキリストの教えに従い、自分の処刑を命じた人(豊臣秀吉)と処刑にかかわったすべての人を許したい」と叫んだという。
1627年(寛永4年)2月14日、教皇ウルバヌス8世によって列福され、1862年(文久2年)6月8日に教皇ピウス9世によって列聖された。
今日、パウロ三木の名前は、聖イグナチオ教会の運営を託されたイエズス会の聖三木図書館にその名前を留めている[1]。