日本列島ズバリリクエスト

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日本列島ズバリリクエスト(にっぽんれっとう/にほんれっとう-)は、近畿放送(現:京都放送)で放送された、若者向け深夜ラジオ番組である。通称"ズバリク"。

番組概要

1972年10月2日スタジオ300の後番組として開始。放送時間は、1974年3月までは毎週月-土の24:00-26:00(尾崎、諸口が日替わりで担当し最後の半年は月 - 木に限り30分延長された)。1974年4月から1978年3月までは23:00-26:00、1978年4月から1979年3月までは23:00-25:00放送。1979年3月31日に終了。後番組はハイヤング11

パーソナリティに地元京都で活躍する歌手を多く起用し、スタジオ生ライブを行うなど音楽色も強かったが、リスナーから寄せられたハガキに基づくコーナーにも力を入れていた。後に桂文珍オール阪神・巨人といったお笑い芸人の起用も行った。

1974年4月から1978年3月の間が、第一次の隆盛期。当時、関西の深夜放送は大阪の朝日放送ABCヤングリクエストおよび毎日放送の「MBSヤングタウン」が人気を二分する中、一人のパーソナリティが週に2日×4時間担当(番組創世記のDJである尾崎千秋諸口あきらに加え高石ともやザ・ナターシャー・セブンが加入。1976年秋からは完全に曜日別のパーソナリティー制に移行し、当時売り出し中であった桂文珍オール阪神・巨人やしきたかじんらが新たに参加した)するという独自の「濃い密着度」で固定ファンをつかんだ。「宵々山コンサート」が最盛であったのもこの頃。番組が盛り上がると五時までしばしば延長された。年末にはオールナイト企画もあった。

1978年4月以降は近畿放送がニッポン放送制作のナイター中継やオールナイトニッポン等のネット開始に伴い、基本の放送時間が短縮され(同時にそれまでズバリクに続いて放送されていた音楽ゾーン的な枠「ミュージック・オン.ステージ」も廃止された)、ナイター中継延長時にも時間短縮を受けた事に対する当時のリスナーからの批判は少なからぬものがあった。またこの時期から生放送ではなく録音の曜日が増えたことも、結果として番組の凋落につながる結果となった。

尚この番組でやしきたかじんが京都市内の某私立女子高に対して不適切な発言をし降板になった。

担当パーソナリティ

  • 1972年10月2日 - 1974年3月30日:尾崎千秋(月・水・金)/諸口あきら(火・木・土)
  • 1974年4月1日 - 1976年10月2日:尾崎千秋(月・火)/高石ともやザ・ナターシャー・セブン(水・木)/諸口あきら(金土)
  • 1976年10月4日 - 1976年12月:尾崎千秋(月)/笑福亭鶴瓶(火)/横井くにえ(水)/オール阪神・巨人(木)/きたむらけん(金)/諸口あきら(土)
  • 1977年1月 - 1977年4月2日:尾崎千秋(月)/笑福亭鶴瓶(火)/キャンディー浅田(水)/オール阪神・巨人(木)/きたむらけん(金)/諸口あきら(土)
  • 1977年4月4日 - 1977年12月:尾崎千秋(月)/桂文珍(火)/キャンディー浅田(水)/オール阪神・巨人(木)/きたむらけん(金)/諸口あきら(土)
  • 1978年1月 - 1979年1月20日:尾崎千秋(月)/桂文珍(火)/やしきたかじん(水)/オール阪神・巨人(木)/きたむらけん(金)/諸口あきら(土)
  • 1979年1月22日 - 1979年3月31日:尾崎千秋(月)/桂文珍(火)/広見早苗(水)/オール阪神・巨人(木)/きたむらけん(金)/諸口あきら(土)  

主な準レギュラー

主なコーナー

月・火:尾崎千秋は翌日の予報が晴れの場合「カサ、いりまへ~ん」、雨の場合は「カサ、いりまっせ~」とバックにエコーをかけて叫んだ。
  • 「愛の告白」 - ポルナレフの「愛の休日」をバックに片想い告白の葉書をとりあげる。
  • 「なんでもベスト5」(水:やしきたかじん
リスナーの選んだ「ベスト5」を読む。リスナーが送った「すぐやらせてくれる女子高ベスト5」が原因で降板する事になる。

テンプレート:KBS京都の夜ワイド番組