遠賀郡
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遠賀郡(おんがぐん)は、福岡県の郡。旧筑前国に属しており、北九州市西部と中間市も市制前は遠賀郡に属していた。そのため北九州市の経済圏に属しており、生活・文化面で親密な関係にあるが、郵便番号は芦屋町と水巻町が北九州中央郵便局管内の〒80地域なのに対し遠賀町と岡垣町は新福岡郵便局管内の〒81地域となっている。また、郡部としては珍しく全町で住居表示が実施されている。
歴史・経済
かつては現在の北九州市西部までが郡域であった。1901年、当時の八幡村に官営製鉄所が進出したことで一大工業地となった。八幡、若松、戸畑が市制を施行し周辺町村を吸収した。昭和30年代に香月町、中間町が離脱し現郡域が確定した。 現在残っている水巻町、遠賀町、岡垣町に鹿児島本線と国道3号という九州の大動脈が町域を貫いている事もあり各町とも盛んに開発が進んでいる。 旧産炭地の水巻町は市街地が隣接の八幡西区折尾地区と至近であり、連続した市街地を形成する。また近年看護系の専門学校も進出し学生の町としての発展も期待される。遠賀川を隔てた遠賀町、岡垣町はもともと農村であるが交通の便がよく人口が急増した。近年は拡大する福岡都市圏にも入りつつあり同市のベッドタウンともなっている。 唯一鉄道のない芦屋町は遠賀川の河口に位置し、筑豊炭田の石炭積出港として江戸~明治初期にかけ繁栄し、遠賀郡の中心となっていたが、町内を鉄道が通らないこと、鉄道の開通により若松港に石炭積出港の役割を奪われたことで衰退した。古くからの市街地を持つが、近年さらに衰退している。 郡内には、隣接市町ほどの工業集積は無く、専ら農漁業である。
沿革
市になった町
合併によって廃止された町村
明治22年以前 | 明治22年4月1日 | 明治22年 - 明治45年 | 大正1年 - 昭和19年 | 昭和20年 - 昭和64年 | 平成1年 - 現在 | 現在 | |||
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岡県村 | 明治40年10月1日 岡垣村 |
岡垣村 | 昭和37年10月1日 町制 |
岡垣町 | 岡垣町 | ||||
矢矧村 | |||||||||
芦屋村 | 明治24年 町制 |
明治38年11月5日 芦屋町 |
芦屋町 | 芦屋町 | 芦屋町 | 芦屋町 | |||
山鹿村 | 山鹿村 | ||||||||
浅木村 | 浅木村 | 昭和4年4月1日 遠賀村 |
昭和39年4月1日 町制 |
遠賀町 | 遠賀町 | ||||
島門村 | 島門村 | ||||||||
水巻村 | 水巻村 | 昭和15年2月11日 町制 |
水巻町 | 水巻町 | 水巻町 | ||||
長津村 | 長津村 | 大正11年11月1日 町制 |
大正13年9月1日 改称 中間町 |
昭和33年11月1日 市制 |
中間市 | 中間市 | |||
底井野村 | 底井野村 | 昭和7年3月1日 中間町に編入 | |||||||
若松村 | 明治24年2月1日 町制 |
明治39年10月1日 若松町 |
大正3年4月1日 市制 |
若松市 | 若松市 | 昭和38年2月10日 北九州市 |
北九州市 | 北九州市 | |
石峰村 | 石峰村 | ||||||||
江川村 | 明治41年2月15日 島郷村 |
昭和6年8月1日 若松市に編入 | |||||||
洞北村 | |||||||||
八幡村 | 明治32年2月15日 町制 |
大正6年3月1日 市制 |
八幡市 | 八幡市 | |||||
黒崎村 | 明治30年4月23日 町制 |
大正15年11月2日 八幡市に編入 | |||||||
上津役村 | 上津役村 | 昭和12年5月5日 八幡市に編入 | |||||||
洞南村 | 明治37年7月1日 改称 折尾村 |
大正7年12月3日 町制 |
昭和19年12月8日 八幡市に編入 | ||||||
香月村 | 香月村 | 昭和6年4月1日 町制 |
昭和30年4月1日 八幡市に編入 | ||||||
戸畑村 | 明治32年6月10日 町制 |
大正13年9月1日 市制 |
戸畑市 |