トレビュシェット

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ファイル:Trebuchet.jpg
南フランス・プロバンス地方、レ・ボー城塞のトレビュシェット

トレビュシェットは、固定式の攻城用兵器の一種。平衡錘投石機。巨大なおもりの位置エネルギーを利用して石を投げる。攻城用の投擲兵器としては後発にあたる。大型で威力と安全性に信頼の置ける火砲が出現するまで利用された。

アルキメデスが発明したという伝説も伝わる。シラクサに侵攻した古代ローマ軍をアルキメデスの発明した新兵器が撃退したという逸話、アルキメデスがてこの原理を発見していることが根拠とされるが、その後の歴史を見るに信憑性はない。最古の記録は1165年東ローマによるものである。また、東ローマによる1097年のニケーア包囲戦で使用された投擲機が最初のトレビュシェットである可能性がある

動物の腱などの弾力を利用するバリスタなどの他の投擲兵器と違い、岩石などを詰めた箱の重量を利用するので、大きく造ればそれだけ威力が増した。また、詰め物の重量を変えることで射撃距離を自由に調整でき、精度も高かった。この投石器は最大のものは140キログラムの石を最大300メートルも飛ばすことができた。シーソーの原理で、片方におもりをつけて、反対側を振り上げて飛ばす。

石のほか、伝染病が当該地域に蔓延することを狙って、人や牛の死骸を目標に投下することもあった。また、小型の物や原型となったマンゴネルはおもりではなく人力で投擲し、その際は竿にかけた何本かの紐を複数の人間が同時に引くことで投擲した。この兵器で攻撃されると城壁に釘付けにされる。おとなしく身を潜めていないと、空から石や死体が降ってきて直撃してしまう。

良く似た兵器としてカタパルトがある。こちらは威力や射程はトレビュシェットには劣ってはいたが移動できたので、トレビュシェットの登場後も併用して用いられた。

中国においては、三国時代霹靂車と呼ばれた投石機が発明されていたが、人力によるものであった。軍による南宋の都市襄陽の包囲攻撃(襄陽・樊城の戦い)の際にトレビュシェットが導入された。ペルシアから来た回教徒の技術者により導入され使用されたので、襄陽砲もしくは回回砲と呼ばれる。霹靂車の石弾の投射能力が48kgが限界だったのに対し、襄陽砲は89kgの石弾の投射能力があった。

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