シャロン・テート
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
テンプレート:ActorActress シャロン・マリー・テート(Sharon Marie Tate、1943年1月24日 - 1969年8月9日)は、アメリカ合衆国の女優。テキサス州ダラス出身。
概要
1960年代にテレビの小シリーズに出演し、その後、映画に進出した。映画『吸血鬼』で共演したのが縁で1968年に映画監督のロマン・ポランスキーと結婚したが、翌1969年、狂信的カルト指導者チャールズ・マンソンの信奉者達の一人、スーザン・アトキンス(en)ら5人組によって、一緒にいた他の4名とともにロサンゼルスの自宅で殺害された。殺害当時彼女は妊娠8ヶ月であった。彼女は殺害の際に、子供がいるから助けてと哀願したというが、アトキンスらはナイフで16箇所を刺して殺害した。ポランスキーは、生まれることなく死んだわが子にテートと自らの父の名を取ってポール・リチャードと名付け、テートとともに埋葬した[1]。
事件の10年後、彼女の母親ドリス・テートは殺害犯がカルト的信奉を得、仮釈放の可能性が生じたことを嫌悪し、殺害犯の釈放反対運動に参加した。彼女の運動は公の注目となり、州法修正システムへの批判は1982年のカリフォルニア州刑法修正に結びついた。これらの修正で犯罪被害者とその家族が、判決および仮釈放審問において陳述を行うことが可能となった。彼女は新法の下、娘の殺害犯チャールズ・マンソンの仮釈放審問において陳述を行った最初の人物となった。
テート殺害の主犯スーザン・アトキンスは、1971年に死刑判決が下ったが、カリフォルニア州の死刑一時撤廃に伴い、マンソンらとともに終身刑に減刑され、2009年9月24日に同州の刑務所で脳腫瘍のため獄中死した。 テンプレート:-
出演作品
映画
- バラバ (Barabbas) (1961年)
- 青年 (Hemingway's Adventures of a Young Man) (1962年)
- 卑怯者の勲章 (The Americanization of Emily) (1964年)
- Eye of the Devil (1966年)
- 吸血鬼 (1967年)
- サンタモニカの週末 (Don't Make Waves) (1967年)
- 哀愁の花びら (Valley of the Dolls) (1967年)
- ローズマリーの赤ちゃん (1968年)
- サイレンサー第4弾/破壊部隊 (The Wrecking Crew) (1968年)
- The Thirteen Chairs (1969年、死後に公開)
テレビドラマ
脚注
関連項目
- チャールズ・マンソン
- ローズマリーの赤ちゃん - 殺害の前年に夫ロマン・ポランスキー監督で公開された妊婦を主人公とするホラー映画。
外部リンク
- Official site
- Watch documentary All Eyes on Sharon Tate (1967)
- Watch trailer for Eye of the Devil (1967) - select from list.
- Beautiful Soul
- Sharon Tate.Info
- CharlieManson.com - Extensive information on the Manson Family
- CieloDrive.com - The Story of the Manson Family and Their Victims
- The Crime Library
- Debra Tate article
- The House on the Hill - The Sixties, Manson and Helter Skelter
- Sharon Marie Tate - Find A Grave