フアン2世 (カスティーリャ王)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
フアン2世(スペイン語:Juan II, 1405年3月6日 - 1454年7月20日)は、カスティーリャ王国(トラスタマラ朝)の国王(在位:1406年 - 1454年)。エンリケ3世とその王妃でイングランドの王子ランカスター公ジョン・オブ・ゴーントの娘カタリナの息子。
生涯
父王の死去により、フアン2世は1406年12月25日にわずか1歳10ヶ月で王位に即いた。ペドロ1世の孫を母親に持つフアン2世の即位には、ペドロ1世の系統(ボルゴーニャ家)とトラスタマラ王家の合一という意味があった。
フアン2世の治世は49年の長きに亘ったが、それはカスティーリャにとって極めて不運なことだった。フアン2世は温和ではあったが、薄弱で周囲から影響されやすかった。彼は装飾以外には好みがなく、詩作・狩り・馬上試合などのような娯楽以外には興味がなかった。
2番目の王妃にポルトガル王女イサベルを迎えるまで、フアン2世はサンティアゴ騎士団長アルバロ・デ・ルナを重用していた(スペインの寵臣政治の最初の例とされる)。しかしイサベルはフアン2世に対する影響力をアルバロから奪い、忠実で有能な大臣であった彼を罷免させた。
1454年7月20日、フアン2世はバリャドリードで死去した。
家族
1418年に、アラゴン王フェルナンド1世の娘で従姉に当たるマリア・デ・アラゴン(1396年 - 1445年)と結婚した。2人の間には1男3女が生まれた。
- カタリナ(1422年 - 1424年) アストゥリアス女公
- レオノール(1423年 - 1425年) アストゥリアス女公
- エンリケ4世(1425年 - 1474年)
- マリア(1428年 - 1429年)
1447年に、ポルトガル王ドゥアルテ1世の弟ジョアン王子の娘イサベル・デ・ポルトゥガル(1428年 - 1496年)と再婚した。2人の間には1男1女が生まれた。
|
|
|