弥の明後日
テンプレート:未検証 弥の明後日(やのあさって、テンプレート:Lang-en-short)とは、明後日の次の次の日[1][2]、すなわち今日より4日後の日である。「やなあさって」「やねあさって」ともいい、明々々後日(みょうみょうみょうごにち)ともいう。また、地域により明々後日(しあさって)、五明後日(ごあさって)ともいう[1][2]。
明後日の次の次の日(今日より4日後の日)を「しあさって」という場合、「やのあさって」は明後日の次の日(今日より3日後の日)を指すこともある。地域により意味が入れ替わる「やのあさって」と「しあさって」だが、「みょうみょうみょうごにち」といえば地域にかかわらず明後日の次の次の日(今日より4日後の日)を指すことができる。
分布状況の研究
地域により意味が異なり、言語島を形成している。1960年代に国立国語研究所において行われた調査によって、「やのあさって」と「しあさって」を含む、方言の東西対立の実態が明らかにされ、その成果は『日本言語地図』にまとめられた(『日本言語地図』の代表的な解説書としては徳川宗賢編『日本の方言地図』がある。)。
方言地理学からの研究
地理方言学の観点から、「やのあさって」系の用法についての冒頭で述べたような混乱状態について、以下のような説明がなされる。
「やのあさって」は東部方言であり、東部地域においては3日後の呼称としておおむね定着していた。かつての西部方言の主流であった「ささって」の東部進出があったもののこれを食い止めている。「ささって」の系統の用法は現在の岐阜県、三重県と九州地方に見られるにとどまっているが、これは「やのあさって」の牙城を「ささって」が覆せなかったばかりか、新たに「しあさって」が3日後の呼称として西部地域に普及し、「ささって」が「しあさって」に駆逐され廃れてしまったためと考えられている(方言周圏論)。
西部において「ささって」を駆逐した「しあさって」の東部進出はほとんどの地域においては「やのあさって」により食い止められ、4日後の用法として「しあさって」の呼称が残るに留まった。しかし、東西の交通が激しかった東京中心部においては、逆に「しあさって」が「やのあさって」を駆逐し、4日後の用法に追いやる、という逆転現象が生じた。
方言国語学からの研究
脚注
参考文献
- 徳川宗賢『日本人の方言』(筑摩書房、1978年)
- 佐藤亮一監修『方言の読本』26頁、28頁(小学館、1991年)
- 佐藤亮一「地域社会の共通語化」(講座方言学3『方言研究の問題』(国書刊行会、1986年)所収)
- 『日本言語地図』によって確認される、「しあさって系」と「やのあさって系」との勢力分布図について、言及する(149頁)。
- 飯豊毅一「地域生活の変動と言語生活の変動」(講座方言学3『方言研究の問題』(国書刊行会、1986年)所収)
- 日本語における共通語化の傾向について、言及する。(134頁、ただし「やのあさって」の現状についてはサンプルにないため確認できず)
- 真田信治「語彙研究法」(講座方言学2『方言研究法』(国書刊行会、1984年)所収)
- 「日・夜」の系列を表す語の変化の一例として「ヤノアサッテ」が挙げられている(同書220頁)。