プラスチックス
テンプレート:Infobox Musician プラスチックス(Plastics)は、日本のテクノポップ・バンド。
概要
イラストレーターの中西、ファッション・スタイリストの佐藤、グラフィック・デザイナーの立花が中心となって結成される。結成当初は素人による仲間内のパーティバンドに過ぎず、また音楽性もオールディーズから始まりグラムロック、パンクロックと頻繁に変化していたが、四人囃子のベーシストであった佐久間が参加した頃からその流れが変わる。クラフトワークの『ヨーロッパ特急』に影響を受けてリズムボックスの使用を試み、テクノポップ・バンドとしての方向性が確定していく。後にリズムボックス担当として、佐久間と親交のあった作詞家の島が加入(当時流行していたスペースインベーダーが上手かった事から、「ならばボタンを押すのは上手いだろう」と思われて加入に至ったという)し、解散までの不動のメンバーが揃う。
日本でのテクノポップ黎明期にあたる1970年代末 - 1980年代初頭にかけて、彼らは日本の音楽シーンにおいては異色の存在であり、マスコミからは「ピコピコ系」と呼ばれる事もあった。しかしYMOの逆輸入ブレイク以降、言葉としての「テクノポップ」も定着し、また彼らの活動も活発化していきP-MODEL、ヒカシューと共に「テクノ御三家」の一つに数えられることもあった。立花や佐久間が海外のバンドとの親交がある縁もあって、1stアルバム発売後程なくして米国ツアーが実現、B-52'sと共演を果たし大反響を得る。その後もラモーンズやトーキング・ヘッズなど一線級のアーティストと共演。1979年にイギリスのラフ・トレード・レコードより「Copy / Robot 」をリリースした。[1]アイランド・レコードとの契約に成功し、3rdアルバムは海外でも発売されることになる。また自由度の高いプログラミングが可能な当時最新鋭のリズムマシンTR-808の導入により、従来はリズムボックスに付きっきりであった島がキーボードへ、それに伴って佐久間がベース/ギターへのパートチェンジも可能となり演奏の幅を広げていく。しかし、国内・海外で精力的に活動を展開しまさに「これから」と思われていた1981年に突如解散。その理由には諸説あったが、佐久間が2013年のインタビューで元々期間限定での活動を予定していたことを明かした[2]。
その後は各々独自の活動を開始。1988年にはインクスティック芝浦ファクトリーにて2日間限定で再結成ライブを行うも、プラスチックスとしては長らく沈黙を守ってきたが、『サウンド&レコーディング・マガジン』2007年9月号に掲載された立花のインタビュー内において復活に向けて動いている事が明かされ、同年10月29日に恵比寿・LIQUIDROOMにてライブを行った。メンバーは立花・中西・佐久間に加え、各々とバンドを組んだ経験(THE CHILLで立花と、MELONで中西と、The d.e.pで佐久間と)のある屋敷豪太が新たに参加(リアルドラマーの参加は正式デビュー以前に参加していた大口広司以来、実に約30年振りの事である)。この時は以前の音楽性とは異なる、オルタナティブロック色の濃い演奏を披露した。
その後、2010年5月には2007年再結成時のメンバーにサポートを加え、東京・大阪にてライブを行う。この頃にはリズムボックスの音色をドラムパッドで屋敷が叩く等、再び活動時の音楽性に回帰。また、同年夏にはワールド・ハピネスやライジング・サン・ロックフェスティバル等のロック・フェスティバルにも出演している。
2014年1月、佐久間正英が死去。
メンバー
- 中西俊夫(なかにし としお)
- ギター、ヴォーカル担当。解散後は佐藤と共にMELONを結成(後に結婚、一女を儲けている)。そこから発展したプロジェクトWATER MELONやSKYLABを経て、2007年現在はPLASTIC SEXをメインに活動中。
- 佐藤チカ(さとう ちか)
- ヴォーカル担当。解散後は中西とともにMELONを結成。MELON解散後は音楽からは身を引き再びファッションの世界へ。自らの名を冠したアパレルブランド「CHICA SATO」を立ち上げ活動中。
- 立花ハジメ(たちばな はじめ)
- ギター担当。解散後はソロ活動の一方、サックス奏者としてのセッションも行う。近年は本業のデザイナーとしての仕事が中心であったが、2007年に新バンド「THE CHILL」を率いて音楽シーンへ本格復帰を果たす。
- 佐久間正英(さくま まさひで)
- キーボード担当(後期にはベース、ギターも)。解散後はミュージシャンとしての活動の一方、プロデュース業へ進出し様々なアーティストを手掛ける。2014年逝去。詳しくは本人の項を参照。
- 島武実(しま たけみ)
- リズムボックス担当(後期にはキーボードも)。解散後は引き続き作詞家として活動。またアルバム『万力の国』のプロデュースを手掛けたり、『ごっつええ感じ』や『HEY!HEY!HEY!』の番組アドバイザーを務めたりと、ダウンタウンとの関係が深い。
作品
シングル
- COPY(1979年、イギリス)
- TOP SECRET MAN(1980年、日本)
- good(1980年、日本)
- PEACE(1980年、日本)
アルバム
- WELCOME PLASTICS(1980年、日本)
- ORIGATO PLASTICO(1980年、日本)
- WELCOMEBACK PLASTICS(1981年、日本、アメリカ、イギリス、ドイツ)
- FOREVER PLASTICO(1988年、日本) - ベスト盤
- ALL ACROSS THE USA 80 LIVE(1997年、日本) - 1980年のアメリカでのライブを収録したCD
- ORIGATO 25 (ビクター) - ベスト盤
- HARD COPY LIVE AT YANEURA (ポリスター) - CD+DVD+BOOK 限定生産
- Dr.VoBG(2009年、日本) - 2007年再結成ライブを収録したCD
関連アルバム
- WELCOME TO PLASTIC WORLD(1999年、日本) - トリビュートアルバム
ビデオ
- ライブ帝国 PLASTICS(2004年、日本)
参考文献
- 中西俊夫 『プラスチックスの上昇と下降、そしてメロンの理力・中西俊夫自伝』 K&Bパブリッシャーズ、2013年7月、ISBN 978-4-902800-39-5