ロード・ウォリアー・ホーク

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
2013年9月1日 (日) 18:26時点における240f:a:1970:1:4851:48ce:a0e:b1ef (トーク)による版 (得意技)
(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)
移動先: 案内検索

テンプレート:Infobox プロレスラー

ロード・ウォリアー・ホークRoad Warrior Hawk1957年9月12日 - 2003年10月19日)は、アメリカ合衆国プロレスラーミネソタ州ミネアポリス出身(ギミックの上ではイリノイ州シカゴ出身を自称していた)。

本名:マイケル・ヘグストランドMichael James Hegstrand)。日本ではホーク・ウォリアーHawk Warrior)のリングネームで活躍した。

来歴

ミネソタ州ミネアポリスで育ち、スコット・ノートンはヘンリー高校の同窓生である。1983年カナダバンクーバーNWAオールスター・レスリングにて、ナチスギミッククラッシャー・フォン・ヘイグCrusher Von Haig)としてデビュー[1]

その後、ジョージア・チャンピオンシップ・レスリングにて旧友のジョセフ・ロウリネイティスと合体。ブッカーのオレイ・アンダーソンのアイデアにより、ロウリネイティスはロード・ウォリアー・アニマル、自身はロード・ウォリアー・ホークと名乗り、タッグチームロード・ウォリアーズ」(リージョン・オブ・ドゥーム)を結成する。以降、1980年代を代表するタッグチームとしてマット界を席巻。AWANWAWWF全日本プロレスなど各団体で数々のタッグタイトルを獲得した。テンプレート:Main

アニマルが負傷欠場中だった1992年下期からは、新日本プロレス佐々木健介扮するパワー・ウォリアーをパートナーに、新チーム「ヘルレイザーズ」を結成。IWGPタッグ王座の王者チームとなって長期政権を築いた。同時期、オットー・ワンツが主宰していたドイツのCWAにも単身で遠征し、1992年12月19日にランボーからCWA世界ヘビー級王座を奪取している[2]

2003年10月19日フロリダ州の自宅で心臓発作に見舞われ死去。テンプレート:没年齢

2011年、アニマルとのロード・ウォリアーズとして、初代マネージャーのポール・エラリングと共にWWE殿堂に迎えられた。

得意技

タッグ用の合体技で、パートナーが肩車で抱え上げた相手を、ホークがコーナー最上段からフライング・クローズラインで撃墜する。

獲得タイトル

WWE
NWA
  • NWA世界タッグ王座 : 1回(w / ロード・ウォリアー・アニマル)
  • NWAナショナル・タッグ王座 : 3回(w / ロード・ウォリアー・アニマル)
  • NWA世界6人タッグ王座 : 3回(w / ロード・ウォリアー・アニマル&ダスティ・ローデス×2、ロード・ウォリアー・アニマル&天龍源一郎×1)
  • NWAクロケット・カップ・タッグトーナメント優勝:1986年(w / ロード・ウォリアー・アニマル)
  • NWAアイアンチーム・トーナメント優勝:1989年(w / ロード・ウォリアー・アニマル)
AWA
全日本プロレス
新日本プロレス
その他
  • CWA世界ヘビー級王座(欧州版) : 1回
  • i-ジェネレーション・タッグ王座 : 2回(w / ロード・ウォリアー・アニマル)
  • IPWハードコア・タッグ王座 : 1回(w / ロード・ウォリアー・アニマル)
  • PCW世界タッグ王座 : 1回(w / ロード・ウォリアー・アニマル)
  • MTWタッグ王座 : 1回(w / ボボ・ブラジル・ジュニア)
  • 中部大西洋タッグ王座 : 1回(w / ダグ・ギブソン)
  • MEWFタッグ王座 : 1回(w / アルティメット・コメット)

脚注

テンプレート:Reflist

関連項目

外部リンク

テンプレート:WWE殿堂
  1. アニマル・ウォリアー、アンドリュー・ウィリアム・ライト『ロード・ウォリアーズ 破滅と絶頂』P69-70(2011年、東邦出版、ISBN 4809409511)
  2. テンプレート:Cite web