リトアニア・ポーランド・ロシア・ユダヤ人労働者総同盟

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ファイル:Ac.manif1917.jpg
ブンドのデモ行進(1917年)

リトアニア・ポーランド・ロシア・ユダヤ人労働者総同盟(リトアニア・ポーランド・ロシア・ユダヤじんろうどうしゃそうどうめい / イディッシュ語:Algemeyner Yidisher Arbeter Bund in Lite, Poyln un Rusland[1])は、帝政ロシア時代の1897年ヴィリニュスで結成された、ロシア支配地域におけるユダヤ系住民の社会主義社会民主主義)団体である。

概要

「在リトアニア=ポーランド=ロシア・ユダヤ人労働者総同盟」・「ユダヤ人労働者総同盟」(General Jewish Labor Union)とも訳され、略称は「ユダヤ人ブント」あるいは単に「ブンド」である。

イディッシュ語での正式名称はアルゲメイネル・イディシェル・アルベーテル・ブンド・イン・リーテ・ポイレン・ウン・ルスランドאַלגמײַנער ײדישער אַרבײטערסבונד אין ליטאַ, פוילין און רוסלאַנד)となり、ブンド(בונד)はしたがって、イディッシュ語による略称・通称である。

沿革

ロシア革命以前

ファイル:Bund Odessa 1905.jpg
1905年、オデッサでのポグロムに際し殺害された同志の遺体を囲むブンド党員。

1897年、当時ロシア領であったヴィルナ(現在のリトアニア首都・ヴィリニュス)で結成され、当初は主としてリトアニアおよびベラルーシのユダヤ人を組織基盤とした。翌1898年ロシア社会民主労働党結成に大きく貢献し、結党後は同党に合流して組織・出版活動の主力を担う最も有力なフラクションとなり、1903年1905年の党員数は25,000〜35,000人に達した。

民族問題に関する立場としては、同時期のユダヤ人運動の主流となりつつあったユダヤ教的あるいは民族的で領土主義的なシオニズムを否定する一方で、ユダヤ人独自の社会民主主義組織の維持に固執する点にあった。そしてブリュン綱領1899年)採択以降、独自の民族政策の立案を進めてきたオーストリア社会民主党(もしくはレンナーバウアーオーストロ=マルクス主義者)の影響を受け、1901年のブンド第4回大会ではユダヤ人の民族的独自性の確立と諸民族の非領域的連邦国家の構想[2]を採択した。さらに1903年、社会民主労働党の第2回大会においてブンドは党組織の連邦化を強く主張、多数派と対立して大会をボイコットする事態となった。そして彼らの立場はレーニンスターリンから民族自決を否定する「文化的民族自治論」として厳しく批判されることになった。

1906年になってブンドは自治的単位として党に復帰し、当時激しさを増していた党内論争においては主としてメンシェヴィキ寄りの態度をとった。ヨーロッパのほとんどの社会主義政党が戦争に協力する城内平和路線を選んだ第一次世界大戦中には、ボリシェヴィキおよびメンシェヴィキとともに戦争反対を掲げるツィンマーヴァルト運動に参加した。

ロシア革命後

1917年ロシア革命の頃にブンドの党員数は40,000に達していたが、同年末、ポーランドの組織は独自の中央委員会を結成し在ロシア組織から分離した。そしてソヴィエト=ロシア(ソ連)領地域のブント組織は、政治的にはメンシェヴィキに属しながらユダヤ人の文化的自治を主張したが、ポグロムの激化にともなって1920年代初めに多数派は共産党に合流、あるいは弾圧により消滅に向かっていった。

分離した在ポーランド組織は、同国独立後、内部の親ソ連的傾向やシオニズムとの相克に悩まされながらも社会党左派と提携しながら勢力を伸ばし、1930年後半には組織的絶頂を極めブンド系労働組合員は99,000人に達した(1939年)。しかし第二次世界大戦中のナチス・ドイツによるホロコーストやソ連の弾圧政策によって壊滅的打撃をこうむり、戦後の共産党政権のもとで活動の根を絶たれ、1948年に消滅した。現在はアメリカ合衆国を中心とする国際組織が細々と存続している。

関連項目

参考文献

  • 伊東孝之 「ブンド」 『平凡社大百科事典』 第13巻、1985年
  • 同 「ブント」 『世界民族問題事典(新訂増補)』 平凡社2002年

注釈

  1. アルファベット表記による。
  2. この立場はソビエト連邦の非領邦的自治の構想とも足並みが合うものであったテンプレート:要出典
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