綾瀬車両基地
綾瀬車両基地(あやせしゃりょうきち)は、東京都足立区にある、東京地下鉄の車両基地および車両工場の総称である。車両基地の綾瀬検車区(あやせけんしゃく、[[[:テンプレート:座標URL]]35_47_7_N_139_49_57_E_region:JP_type:landmark&title=%E7%B6%BE%E7%80%AC%E6%A4%9C%E8%BB%8A%E5%8C%BA 地図]座標: [[[:テンプレート:座標URL]]35_47_7_N_139_49_57_E_region:JP_type:landmark&title=%E7%B6%BE%E7%80%AC%E6%A4%9C%E8%BB%8A%E5%8C%BA 北緯35度47分7秒 東経139度49分57秒])、車両工場の綾瀬工場(あやせこうじょう、[[[:テンプレート:座標URL]]35_46_51_N_139_49_54_E_region:JP_type:landmark&title=%E7%B6%BE%E7%80%AC%E5%B7%A5%E5%A0%B4 地図])から構成される。千代田線の車両が所属している。最寄り駅は北綾瀬駅。
目次
概要
本車両基地は綾瀬駅から北に約2.5kmほど離れており、その引き込み線を旅客営業用として千代田線北綾瀬支線として使用している。北綾瀬支線の終点、北綾瀬駅を直進すると綾瀬車両基地に至る。
敷地は南北方向に750m、東西方向に190m、面積141,810m²の広大な敷地を持つもので、現在も東京地下鉄として最大の敷地を持つ車両基地である。
この車庫用地は元々が田畑や沼地などの湿原地帯であったため、地盤が非常に軟弱であった。このため、千代田線建設工事で発生した残土を用いて2.5mの盛土をして造成を行った。また、用地買収を行った際、地権者との条件から付近に駅を設置することと、横断歩道橋を設置することが条件とされたため、綾瀬検車区の最南部と中央付近に横断歩道橋がある[1] 。
なお、前述した駅の設置条件は北綾瀬駅を設置することで、綾瀬 - 北綾瀬駅間を1979年(昭和54年)12月20日に正式に旅客営業線として開業した。
綾瀬検車区
1969年(昭和44年)9月に準備事務所として発足し、12月に綾瀬検車区として正式に発足した。当初は千代田線車両のみを担当していた。有楽町線開業後は同線内に飯田橋検車区が設けられていたものの、同線用の7000系の主要な検車業務は綾瀬検車区で行っており、車両の留置場所の確保も兼ねていた。1987年(昭和62年)の和光検車区開設後、これらの役目は同車庫に移管されている。
現在も有楽町線や副都心線、南北線の車両の新車搬入の各種整備や報道向け公開は本検車区で行われている。隣接する綾瀬工場への入場のために、有楽町線、副都心線や南北線、埼玉高速鉄道の車両が入区する。
- 敷地面積:141,810m²
- 車両留置能力:273両
最終的な収容計画は以下のとおりで、10両編成41本(410両)である。ただし、現在も余力があるため、留置線はすべて敷設使用していない。
- 月検査線 10両2線
- 気吹庫 10両1線
- 列車検査庫 10両3線
- 転削線 1線
- 車両洗浄台 10両3線
- 車両洗浄機 2基(現在まで1基)
- 引上線 10両4線
- 留置線 10両33線(現在は24線を使用、9線は未使用)
配置車両
綾瀬工場
1971年(昭和46年)7月に綾瀬工場が発足した。千代田線、有楽町線、副都心線、南北線、埼玉高速鉄道の車両の検査を担当している。
従来の営団では1路線1工場を設けてきたが、将来的に他路線の検査も受け持つことを計画していたため、年間検修能力1,500両程度を持つ工場として造られた。
綾瀬工場が設立された当時の法定検査周期は重要部検査が1年6ヵ月または走行距離25万km以内、全般検査は3年以内であった。その後は検査周期の延長が行われ、現行の1999年(平成11年)3月改定以降は重要部検査が4年または走行距離60万km以内、全般検査は8年以内となっている。このため、現在ではこの施工能力は不要となっている。
入出場線(工場建屋)は縦に5両まで入線でき、左右に5両分ずつの仮置き場があり、天井クレーンを使用して車体は仮置きされ、整備される。整備対象の機器は取り外され、それぞれの担当職場へと運ばれる。検修能力を高めるために工場内は流れ作業で検査作業を行えるよう合理的にレイアウトされている。
工場は山側に機器職場 主制御器、補助電源、一般電機、パンタグラフ、戸閉機器の各職場を、海側に台車職場、電動機職場、駆動装置、車輪職場を配置する。
当初の計画では、将来の受け持ち車両の増加時に、工場建屋の南側にトラバーサーを設置し、車体職場を設置することや後述の53 - 55番の奥に車体検査場を設置することを計画していたが、現状ではその計画はない[1]。
検査担当車両
千代田線
有楽町線・副都心線
南北線
沿革
- 1967年(昭和42年)2月 - 綾瀬検車区の建設工事着手
- 1969年(昭和44年)9月18日 - 綾瀬検車区準備事務所発足
- 1969年(昭和44年)10月31日 - 綾瀬検車区の土木工事完成
- 1969年(昭和44年)12月20日 - 綾瀬検車区発足
- 1970年(昭和45年)7月 - 綾瀬工場の建設を開始
- 1971年(昭和46年)7月20日 - 綾瀬工場完成・発足
- 1979年(昭和54年)12月20日 - 車庫への引き込み線を旅客線化、綾瀬 - 北綾瀬間として開業する
車両基地内
なお、本項では北綾瀬駅方面から入庫する列車から見て左側を山側、右側を海側と呼称する。
- 綾瀬検車区では1 - 38番線の収容番線(一部は欠番)と39 - 44番線(引き上げ線)の番線が付番されている。太字は建屋構造の収容線
北綾瀬駅を直進するとそのまま車両基地に至る。この引き込み線は40・42番線と呼称され、その両側に引き上げ線39・44番が合流する。そのまま直進すると山側に綾瀬工場への引き込み線が分岐する。
左右に1番目の留置線群が分岐する。山側では1 - 4番線(10両分)、5 - 8番線(10両編成2本分)、9番 - 15番線(10両分)の各留置線を敷設する計画であった。現状では6 - 8番線は1本分だけが敷設され、1 - 5番線は未敷設で欠番とされ、一部は保線用器材線として使用されている。
反対に海側では16 - 24番留置線(10両分)と車輪転削線(25番線、10両編成2本分)が分岐する。転削線の近くには保線作業線があり、千代田線工務区の保線車両の留置やレール資材置き場が設置されている。
40番・42番線を直進すると41・42番線(車両洗浄機あり)となり、そのまま直進すると山側より26 - 28番留置線、29番線(気吹室)、30・31番線(月検査庫)、32 - 34番線(列車検査庫)、35番留置線、36 - 38番線は車両洗浄線で洗浄台が設置されている。
- 綾瀬工場では51 - 60番線の番号が付番されている。
前述の工場引き込み線は51・52番線となり、1番線留置線用地の隣から53番線(留置用)、54番線(気吹室・5両編成用)、55番線(整備室・10両編成用)があり、56・57番線(工場授受線・5両編成用)、一番山側には58番線(約500m長の試運転線)を設置する。
当初段階では56・57番線で編成分割後、54番線において床下洗浄を行い、入場することになっていたが、現在、綾瀬工場では気吹き作業は実施していない。
54番線の反対には59番線(工場入出場線)となり、手前のホロシート置き場で幌と座席を下ろした後、入場する。ほかに60番線(入換機庫・工場入換用のアント留置線)がある。
代々木公園の留置線
本車両基地とは別に、反対側の終端駅である代々木上原駅の近くにある代々木公園駅付近には、10両編成8本が留置可能な留置線がある。
この留置線は引き上げ線1線と反対に留置線8本を持つ構造である。引き上げ線にはプールピットも有し、車両の点検も可能であるが、日中や夜間の車両留置に使用するものである。
付記
- かつて日比谷線で運行されていた車両で、のちに長野電鉄の3500系として使用されていた3000系第1編成が東京メトロで保存されることになり、2007年(平成19年)1月19日 - 21日にかけて、屋代駅から当検車区まで甲種輸送された。
- テレビ朝日の深夜番組『タモリ倶楽部』にて、当車両基地の内部が紹介された(関東地区では2007年12月7日深夜放送)。
- 2007年(平成19年)12月15日に、「綾瀬車両基地見学会&車両撮影会」として一般公開された。このイベントでは上記の3000系も公開されていた。なお、綾瀬基地の一般公開は最寄の北綾瀬駅が非常に狭いため、混乱防止の点から毎回抽選による事前公募制(有楽町線の新木場や東西線の東陽町でのイベントは最寄駅がある程度のスペースがあることや駅から離れているなどにより、近年のイベントは自由参加可能)となり、過去のイベントでは全て当選は高倍率となった。
- 2009年(平成21年)12月5日には「東京メトロスマイルフェスタ'09 in AYASE」と題して2年ぶりにイベントが行われ、一部の催しは事前公募制にして、車両撮影などは自由に参加できるという形態での開催となった。
- 2010年(平成22年)11月28日にも、前年と同様の形態で「東京メトロスマイルフェスタ2010 車両基地イベント in AYASE」と題してイベントが開催された。
- 2011年(平成23年)11月27日には、「メトロファミリーパーク in AYASE」と題したイベントが開催された。前年までの自由参加から一転、参加自体が事前応募制に戻った(一部イベントはさらに抽選)。
脚注
参考文献
- 帝都高速度交通営団「東京地下鉄同千代田線建設史」
- 帝都高速度交通営団「60年のあゆみ - 営団地下鉄車両2000両突破記念 - 」
- 鉄道図書刊行会「鉄道ピクトリアル」
- 1995年7月臨時増刊号「特集:帝都高速度交通営団」